桶川市の城山公園にある三ツ木城跡と王子稲荷神社
城山公園という名の付くところは各地にあり、そこには城跡があるものです。
桶川市の国道17号バイパスの上尾道路沿いにある城山公園も、やはりそうです。

10.4ヘクタールの広さがあり、小高い丘に三ツ木城跡があることから城山です。
低地に突き出た台地上に広がるとされていますが、荒川から近く大きな高低差はあまり感じられませんでした。

↑東から見ていますが、公園内で城跡のところは林になっています。
東西北は湿地で囲まれ、南を底辺とした三角形の敷地だということです。
北から見ても木々が生い茂っており、城址を見て回るための通路は設けられていません。

東西120メートル、南北110メートルの単郭の平山城で、内外二重の土塁があり間に水堀があるということです。
案内図には、城跡のところに狭いながらも広場があるようなので三ツ木城全体が見えるかなと期待しましたが、あまりそういう感じのところではありませんでした。

中世の城なので築城主は明確ではなく、説明板では鎌倉時代の源頼朝に仕えた足立遠元、または室町時代の岩槻の太田氏に仕えた石井丹後守という説があるようです。
ただし、近年の研究では14世紀の築城かと書かれていますが、その説明板が昭和62年のものなので近年といっても既に35年前の情報です。

↑西側の駐車場から見ています。
城跡の南側は公園ではなく民家の敷地なので、こちらの方からはこれ以上見るのは無理のようです。
城山公園には北の方に展望広場もあるようなので行ってみました。

↑高台になっていて遠くが見渡せるところがあるのかと思ってましたが、想像以上の展望するための建築物というか構造物がありました。

↑さすが高いので景色はよく、南方には大池の噴水が見えました。
その向こうの林が三ツ木城跡ですが、そちらはやはり全体像は見えません。
逆向きの公園のすぐ外の北側に神社の覆殿とその中の本殿が少し見えたので、目標を変えて行ってみました。

王子稲荷神社で、ここで行われる「前領家のささら獅子舞」は桶川市の無形民俗文化財に指定されています。
地区ごとの名が付いて前領家といい、一人立ちの獅子三匹によって行われるものだそうです。

↑実際近くで見ると覆殿という表現は正しくないかもしれません。
覆っているというよりか屋根がついています。
このすぐ近くには数多くの石碑、石像が並べられたところもありました。

その前には見るためと思われる板張りのウッドデッキのような空間があります。
同じく木製の看板がありおそらく説明が書かれていたのでしょうが、残念ながら見えませんでした。
国道バイパスのすぐ近くにもこのような歴史を感じさせるものがあることが改めてわかりました。
というより、そんなところに後から道路ができたということです。
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