高低差のある西坂戸の住宅街に隣接している多和目城跡
城山という名前には城跡があるはずと各所を見てまわっています。
坂戸市多和目にもありました。
西坂戸にある住宅地の南端の高台に西坂戸運動場があり、その向こうが城山です。

西坂戸は地名の通りに坂戸市の西の方にありますが、想定していた東武東上線の坂戸駅からは遥か西です。
ここには住宅街だけでなく、隣接して城西大学や明海大学病院もありました(住所は、けやき台になります)。

↑先程の位置で北に向いて振り返ってみると標高90メートルほどで、ここまでは階段や坂道があり、住宅街は標高60メートルの下の方から広がっているのがわかります。
半年程前に訪れた木造の冠水橋である多和目天神橋に来た時は、見てはいないとは言え多和目の住宅街がここまで大規模とは思っていませんでした。

↑運動場から少し坂を登ると森となっており、坂戸市教育委員会による多和目城の説明板があります。
埼玉県選定重要遺跡となっているようであり、また、かっこして田波目城とも書かれていました。
前にも見たように田波目は日高市の地名です。

多和目城は市内で最も高い標高113メートルの城山にある中世の城跡です。
丘陵上の平場を利用して築かれていますが、城跡の南側は高麗川の険しい断崖となっているといいますから、後程そこを見てみましょう。

↑改めて右側を見ると、ここからは木々が鬱蒼としています。
左も同様ですが、イノシシに注意という看板が気になります。
夕方6時30分頃に2頭が目撃されたとのことです。

そうはいうものの気合を入れて多和目城跡を見に行くことにしますが、さらに気合を削ぐ注意板もあります。

↑まむしに注意ともありました。
また、予想はしていましたが目の前は急坂となっています。
登ってみると予想外に運動場のテニスコートか何かとと思われるような平らなところがあり、城山配水池のようです。

↑そのすぐ先に「田波目城跡」という木柱が立っています。
海抜113.4メートルとも書かれていますから、ここが頂上ということでしょう。

↑周りを見てみても特にこれといった城の遺構はありません。
説明板もなく、そもそも先程の木柱も坂戸市が設置したものではなく、PTAや自治会などによるものでした。

↑やはり先程のところが城山の頂きのようで、ここからは先は下り坂になってきます。
薄暗い中、人通りは全くなくすれ違う人もいませんから、まむしやイノシシと出会わないか不安になってきます。
日が差す明るい空間があったかと思ったら、高圧鉄塔の立っている空間でした。

↑ちょっと明るくなっており川を見下ろせそうなところがあったのですが、雑草もあり、まむし怖さに入っていけませんでした。
電車が鉄橋を通る音が聞こえてくるので、高麗川の近くなのかと思われます。
この時は東武越生線かと思っていましたが、後程知ったのですが違うようです。

↑さらに進むと、今度は坂戸市役所による通行禁止の看板です。
この先、崖崩れのため危険なので通行禁止と書かれています。
高麗川まで行きたかったですが、さすがに崖崩れの状態がわからなのでここで引き返し城跡探索をしようとしました。
長くなってきたので次回に続きます。
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