和光富士見バイパスの南東側朝霞市での計画と内間木神社と内間木の歴史
国道254号和光富士見バイパスは、西側の463号浦和所沢バイパスとの交差点付近では立体交差の工事が行われています。
東側はどうなのか見てみました。
↑計画としては全長6.9キロで外環道和光北インターから2.6キロは既に開通しています。
一部通れることは知っていながらも、細かくはどこまで開通しているのかよくわかっていませんでした。

供用開始されているのは、埼玉県道79号朝霞蕨線の新盛橋北交差点までのようでした。
↑バイパスは荒川と新河岸川の間を通る計画路線で、ここに写っているのは新河岸川沿いの道で、川が左側、計画線が右側になります。
右に見えているのは朝霞市クリーンセンターで、正面奥にはJR武蔵野線が見えます。

↑右折して道に少し入って南東側を振り返ると、まだ道路工事中というよりはその準備中というところでした。
奥の方が、T字路となっている新盛橋北交差点です。
一方、北西側の計画線方向を見ると、まだクリーンセンター敷地のようです。

ただし、都市計画線の入ったところには建築物等はなく、導入空間は広がっています。
この北側は朝霞市の内間木公園となっています。
公園の北西の方向を見たら、道路工事のためかと思われる盛り土がありました。

しかし、戻ってから調べてみると、これは和光富士見バイパス計画線より北側に位置しており、道路が通るのは林となっている辺りのようです。
ここには「湯〜ぐうじょう」という朝霞市の温浴施設がかつてあったようで盛り土はその名残のようです。

↑ここ朝霞市上内間木のすぐ近くには、内間木神社がありました。
荒川と新河岸川沿いの内間木は、上流側の上内間木村と下流側の下内間木村がありましたが、下内間木の方が元々あったようです。
上内間木は元禄年間(1688〜1704)に新田開発され、宝永4年(1707)には上内間木村として検地されています。

内間木神社は本村であった下内間木の蔵王権現社を分祀したといいます。
重殿権現社と言われていましたが、蔵王権現社が転じたものではということです。
ジュウドノと読むということから、どう転訛したのかよくわかりませんでした。

現在の社殿は、昭和54年(1979)に旧社殿が台風で倒壊したため57年に建て替えられたものです。
旧社殿の天井に所狭しと飾られていたという大絵馬は、朝霞市指定文化財として朝霞市博物館に保管されています。

明治6年(1873)村社として内間木神社という名になり、明治40年(1907)稲荷社と厳島社を境内社として合祀しました。
↑手前の石柱には弁天神社と表示されています。

ここの小字は松ノ木で、由来は境内に千年を越す大きな松の木が昭和25年頃まであったからだといいます。
現在では立派なイチョウの木があります。
都市計画道路を調べることから、内間木の歴史まで知ることとなりました。
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