人見街道という名称とそこから長い参道の先にある人見稲荷神社
杉並区浜田山から府中市まで続く人見街道は、ちょっと不思議な名前だと思っていました。
杉並区や三鷹市内に比べて府中市内では道幅も狭くなっていますが、多磨霊園南側辺りの交差点脇に名称由来について書かれた案内板がありました。

かつて人見街道沿いに人見集落があり、現在の若松町三丁目、四丁目だとのことです。
この辺りでは現在の街道もかなり道幅は狭くなっています。

センターラインもない道で都道であるとは思えない感じです。
そこから北へ向けての人見稲荷神社の参道があります。

街道沿いに人見集落があったのは近世以降のことで、さらに以前は浅間山麓の近くだったとのことです。
それと関係あるかはわかりませんが、参道は北へと続きます。

↑100メートルほどで道路を横切りますが、参道は畑などの間をまだ進んでいきます。
さらに100メートル以上進むと一部だけ開通した都市計画道路を渡り、さらに進んでいくとまた道路を渡り、ニノ鳥居があります。

人見稲荷神社は、武蔵国造兄武比命を祀った六所宮客来三所之神と呼ばれていました。
調べてみると、同じ府中市内にある大國魂神社が六所宮であり、そこに集まる三ノ宮である大宮氷川神社の御旅所とありました。

寛喜3年(1232)に武蔵左衛門尉資頼が三所之宮を造営したいいます。
後の慶長2年(1597)稲荷社等を合祀し、稲荷社と呼ばれるようになり社領十石を賜りました。
御祭神は倉稲魂命、天下春命、瀬織津比咩命です。

↑ 社殿右の末社である祓戸神社には祓戸四神である瀬織津姫、速秋津姫、気吹戸主、速佐須良姫を祀っているそうです。
また、社殿の左手前には、木花咲耶姫を祀る浅間山遥拝所もあります。

人見という神社名、引いては地名の由来は、武蔵七党の人見氏がいたからという説があります。
ただし、他のところでもそうであるように地名が先か人名が先か不明なところです。

↑少し離れて神社を見ると、こんもりとした林となっています。
左端にニノ鳥居があり、後ろの方の森が浅間山になります。
浅間山はこちらの方(南東側)からだと、ちょっと全体像が見渡せません。

浅間山は、遠くを見たり遠くを眺める格好の場であることから人見山とも呼ばれていたことに地名は由来するという説もあります。
正平5年(1352)に足利尊氏と新田義貞、義宗兄弟で争われた人見山の戦いは、この周辺でありました。
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