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2022年2月13日 (日)

川田谷村の枝郷で分村した樋詰村を通る中仙道の脇街道と石川川という河川

荒川の入間川と合流するところより上流に向けて、左岸に沿った上尾市内の道路を進んでいると、いつの間にか桶川市に入っていました。

以前はこの辺りは樋詰村という名で、それが川田谷村、桶川町、桶川市となっていたといいます。

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というか、江戸時代の慶安2~3年(1649~50)の記録ではここは川田谷村に含まれていたものの、元禄15年(1702)の記録では川田谷村枝郷として樋詰村と記されています。

明治時代になって再び川田谷村と合併したようです。

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樋詰氷川神社は川田谷村から分村する過程で村の鎮守として祀られたようです。

案内板には参道入口の鳥居に掲げる「氷川大明神」の額の裏に「元文四未(1739)」と刻まれているとありましたが、新しい鳥居に変わっているように見られます。

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 祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しているので、大雨で暴れた川を表す八岐大蛇、水害を鎮める守り神として祀られたと考えられています。

荒川は暴れ川で大変だったことでしょう。

↑庚申塔には青面金剛も祀られており、後ろには力石がありました。

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↑また、ここには桶川市指定文化財の「樋詰の道しるべ」があります。

写真に入っていませんが高さ40センチほどの小さな道しるべで、明和8年(1771)に建てられたものです。

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正面には「あきは道、大宮道」とあり、指扇村(現さいたま市)の秋葉神社と武蔵一宮氷川神社のことです。

右側面は「かうのす道」、左側面は「太郎エ門舟渡」で、鴻巣と太郎右衛門橋付近にあった荒川の渡し場のことです。

↑明治14年(1881)頃の川田谷村周辺に地図では、荒川は河川改修前ですから大きく蛇行しています。

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樋詰氷川神社の前の道は、江戸時代には中山道の脇道、また荒川の舟運や渡河のための主要交通路として、多くの人の往来があったそうです。

↑この道を荒川上流方向に600メートルほど進むと、石川堀とも呼ばれる石川川が荒川に流入しています。

石川でなく石川川というようです。

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河川というか、土地区画整理事業による3.7キロほどの排水路で、荒川への樋管の対岸にはホンダエアポートがあります。

石川川を400メートルほど上流に進むと、富士見ホタル親水公園がありました。

今は冬ですが、夏にもあまりホタルが飼育にされている気配のない感じでした。

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↑公園から石川川の対岸には多数のソーラーパネルが並んでおり、メガソーラー桶川発電所のようです。

電線は地下ケーブルを通しているようですが、川のところだけ電線があり、不思議な風景でした。

橋が簡易なものですから工事に備えての仮設配管なのかもしれません。

さらに上流に進むと、国道17号バイパスである上尾道路の北側に出ます。

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石川川と交差する上尾道路沿いでは工事が行われていましたが、戻って調べてみると道の駅ができるようです。

↑道の駅予定地の隣には、富士塚がありました。

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登ると富士嶽神社、食行身禄霊神、小御嶽神社の石碑があります。

桶川市による案内板がありましたが、特に富士塚の名称はなく地元では浅間様と呼ばれており、大正末頃までは山開きの日の衆拝が行われていたそうです。

石川川の源流は、市内であり大字は同じである川田谷から流れているということです。

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