圏央鶴ヶ島IC近くの逆木の池と近代風土記である武蔵国郡村誌
車で走っていて、鶴ヶ島ICという道路表示板はよく見かける気がします。
もともと関越道にありましたし、さらに圏央道にも造られ、2つの道が交差する鶴ヶ島JCTがあるからそう感じるのでしょう。

↑圏央道の鶴ヶ島インターチェンジ周辺というと、カインズやベイシアなどの大型店のイメージが強いですが、すぐ近くには池もあります。
池といっても開発に伴い造られた調整池ではなく、本物の池です。

武蔵国郡村誌には逆木の池として、東西八十四間(152、7メートル)、南北十二間三尺(22、7メートル)という記述があると案内板にありました。
ところで、江戸時代文化文政期の新編武蔵風土記稿は神社の話でよく参考にしてきましたが、武蔵国郡村誌とは聞き慣れない名前です。

調べてみると、皇国地誌という明治時代初期の未完に終わった官撰地誌編纂によるもののようです。
埼玉県庁に保管されていた郡村誌の控えを昭和時代になって刊行したものです。

逆さ木の池はここの湧水かと思いましたが、説明板によると西方の日高市高萩の森林に水源をもち、地下水は台地の下を通り抜け、この池に流れ込んでいるとのことです。
以前は三ツ木全耕地を潤していたといいますが、今では下流と思われる東側への流れもわずかです。

池の名前の由来は、永享12年(1440)春、上杉氏と結城氏が河越の「北三ツ木原」で戦いをした時のことです。
合戦が終わり、矢尽き刀折れた武士が杖にすがり水を求め辿り着き、池のほとりに杖を逆さに差立てて、渇いた喉を潤し亡くなりました。
やがて、その杖が芽を吹き、柳の大木なったので「逆木の池」と呼ばれるようになったということです。

斜めの枝から柳かとも思いましたが、枝垂れ桜のようです。
池の周囲にミニゴルフかパークゴルフ場のようなものがあります。

調べてみると、マレットゴルフ場が以前あったようです。
それぞれの違いはよく知りませんし、マレットゴルフという名前も初めて聞いた気がします。

↑池やゴルフ場のあった敷地の道路を挟んだ西側は林だったのでしょうが、切り株が多数あることから何らかの開発がされるようです。
まあこの林が無くなっても、日高市高萩が水源というのですから、逆木の池の水が涸れることはないはずです。
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