国宝との碑もある桶川市の4世紀後半に築造された熊野神社神社古墳
桶川市川田谷には埼玉県最古級の時期に位置付けられる古墳があるといいます。
4世紀後半に築造された熊野神社古墳です。

古墳上には熊野神社があり、別当寺である天長6年(829)慈覚大師により開基されたという天長寺とともに勧請されたと考えられています。
1000年以上も前の平安時代のことですが、古墳から見れば500年も後のことです。

かつて神社は小さな木の祠で、周囲には杉や欅の大木が多数生え、盛り土の高さも現在の社殿の屋根位までありました。
昭和3年(1928)にこの祠を改築するに当たり盛り土を掘削したところ、粘土槨が発見され、中から勾玉や紡錘車など多数の遺物が出土しました。

↑社殿の横には国宝出土品之碑があります。
しかし、古墳出土品は国指定重要文化財となっており、国宝指定まではされていません。
昭和25年(1950)施行の文化財保護法で国宝は「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」とされています。

では嘘が書かれているのかと言えば、そういうわけでもないようです。
旧法である古社寺保存法、国宝保存法では国宝と有形文化財は区分されてなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」と称されていました。
熊野神社古墳の出土品は、いわば「旧国宝」ということになります。

ややこしいですが、出土品の国指定のことを書いてきましたが、熊野神社古墳そのものは史跡として埼玉県指定文化財です。
昭和59年(1984)には発掘調査が行われて、墳形は円墳で直径40メートル、周囲に幅13メートルの周溝があることが確認されました。

また、出土遺物より4世紀代に築造されたものであることがわかりました。
ふじみ野市の権現山古墳がやはり調査により、3世紀後半のものと判明したことにより最古とは言えなくなってしまいました。

発見された玉類、銅製品、太刀などの副葬品の数々は畿内の古式古墳に匹敵するもので、それらは国の重要文化財に指定されました。
これらは行田市にある埼玉県立歴史と民俗の博物館で保管されていますが、桶川市歴史民俗資料館でも複製品を展示してあるというので見に行ってみました。

前回見た富士塚のすぐ近くにある川田谷生涯学習センター内にあります。
現在はあまり見学者もいなさそうでしたが、隣接して道の駅ができれば多くの人が訪れることでしょう。

荒川と江川に挟まれた舌状台地の先端にある熊野神社古墳も観光名所となるかもしれません。
埼玉県最古ではないとしても、ヤマト王権による統一国家が4世紀中頃であることからすると、やはり古いことがわかります。
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