柳瀬川合流手前の富士見市志木市の市境と左岸の田んぼで進んでいる工事
柳瀬川が新河岸川と合流するところに志木市役所があり、現在は建て替え工事中です。
そのため、この周辺一帯は志木市だと思っていましたが、市役所は市境にあり、柳瀬川の右岸は志木市であるものの左岸は富士見市となっています。
でも不思議なことに志木市全体から見れば、ここは市の中央部になります。

↑北東に向かって流れていた柳瀬川が東に向いて間もなく新河岸川と合流なるする直前の、ビバホーム志木隣りの架かる高橋から見ています。
左岸には富士見市の住宅街が川間際にあり、ゴルフ練習場の少し先は志木市役所の敷地があります。

↑同じ高橋から上流側を見ると、右岸(写真では左)には志木市の住宅街があるものの下流側と違い、土手があります。
左岸(写真では右)は手前に少し住宅地がありますが、ここはなぜか志木市です。
そのすぐ先から広い敷地が見えていて、こちらは富士見市です。

↑その住宅を迂回して土手へ進もうとすると「堤防強化工事のため施工中は全面通行止」と書かれていますが、まだ通ることはできました。
地図で改めて確認すると、市境は複雑に入り組んでおり、おそらく河川改修以前の川の流路だったと思われます。
柳瀬川と浦和所沢バイパスに挟まれた水田の広がるところを見ています。

この辺りは平成16年(2004)には富士見市によるまちづくりの構想がありました。
当時は「富士見リブレーヌ地区まちづくり」の基本調査が行われ、富士見リブレーヌ都市整備事業協議会総会で報告されています。
↑現在はこの構想はなくなっていますが、工事用の囲いがあり結構大掛かりな工事が行われようとしています。

↑柳瀬川沿いをぐるっと見てまわった後に、この案内板を見つけたのですが「水谷調節池」が計画されていました。
もともと、富士見リブレーヌは調節池と併せて、都市基盤整備を一体的に土地区画整理事業により行うものでした。
現在の柳瀬川沿いの工事現場の様子を見てみます。

↑ 今でも柳瀬川の川幅はかなり広いですが(左が川で右が調節地工事現場です)、水谷東の辺りでは令和元年の台風19号により内水による家屋浸水被害があったといいます。
調節池の役割として、柳瀬川を上流から流れてくる水対策は重要でしょうが、周辺に降った雨水の内水対策の意味もあるのでしょう。

↑調節池の盛土をおこなっていると書かれていますが、この時点でも現在の土手よりも高くなっていますし、さらに強化されるのでしょう。
この日は工事は行われていませんでしたが、様々な重機があり工事の大変さが想像されます。

かつての計画の調節池は16ヘクタールとされていましたが、今回整備されるものは4.6ヘクタールの規模です。
数値だけで見ると随分小さくなったように感じられますが、4.6ヘクタールとは4万6千平方メートルですから実際にはかなり広さです。

引き続き、この水谷調節池工事と柳瀬川の様子を見るとともに、開発計画についても調べてみます。
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