ネコバスの行き先に出てくる牛沼の神明神社と鎌倉時代末期の銅製立像
所沢は西武沿線ではかなり大きな街ですが、所沢市は広くて、田園風景の広がる場所もあります。
牛沼はそういうところの一つで、火の見櫓もあり懐かしさを感じさせてくれます。

↑奥に見えるのは「牛沼市民の森」で、市内に残された貴重な緑を守り育て、市民の憩いの場とするための4箇所ある「市民の森」の一つで1.34ヘクタールあります。
かなりの部分が神明神社の境内となっています。
所沢市街地の宮本町に所沢神明社がありますから、こちらは牛沼神明神社ともいわれています。

所沢神明社より分社したもので、御神体の石棒もそちらから持って来たものだそうです。
古記録には「直径八寸総丈六尺位中程にて折れる」と記されており、現在も御神体として本殿内に納められています。
牛沼は所沢村から享保9年(1724)に分村して、所沢村枝郷牛沼分と称し天保郷帳には牛沼新田と記されています。

となりのトトロは所沢に馴染みの深いジブリアニメですが、牛沼も登場しています。
いなくなったメイを探してサツキが困っている時に迎えに来てくれるネコバスにです。

バスの行き先表示が「めい」となってメイのところに連れて行ってくれるシーンです。
最初は「塚森」行きだった行先がクルクル回転して「牛沼」と表示された後に「めい」になるのです。
参道もトトロに出てくるような森の中でしたが、社殿右側にも森があります。

ここには想像もしていなかった文化財がありました。
入り口の案内板には書かれていない御堂がありました。

↑「銅像薬師如来立像」との表示板が立っていました。
何なのか調べてみると、所沢市指定有形文化財があるということです。
鋳銅製で高さ35.4センチメートルで、背面の銘文には元徳4年(1332)に越阪部家吉が大工重吉に造らせたとあります。

↑南側にも下りられるようなので行ってみると、牛沼神明神社よりも東側に参道があるようです。
歴史的には鎌倉時代の末期、1333年に足利高氏(尊氏)や新田義貞により鎌倉幕府が滅亡する前年になります。
そんなに古く重要なものがあるとは思えないところです。

↑南からの入り口にも何の表示もなくセキュリティ的にも無防備ですから、現物はここには無いのでしょう。
それとも、あるからこそ危険なので表示が無いのでしょうか。

↑森を西側から見ると、立像を持っていってしまおうなんて人がいるわけようなところだったのでしょう。
ここは浦和所沢バイパスから200メートル程度しか離れていないことを忘れるようないい場所です。
.
.
.
« 十社神社にある大類古墳群と鎌倉街道沿いの川角古墳群 | トップページ | 有間ダムのある飯能市水道の入間川からの取水口と曲竹での美しい蛇行 »
「51埼玉県」カテゴリの記事
- 8年ぶりに入間航空祭2025を2キロ離れて見てみるとどうか(2025.11.09)
- 大滝白滝不動滝の三滝と白雉創建という高山不動尊の大イチョウ(2025.10.26)
- 東松山の市民の森の山道になぜか並走する舗装道と見晴らし台(2025.10.12)
- ハイキングのまち越生の100メートル毎に登っていく大高取山(2025.09.21)
- 博物館らしくはない里山さいたま緑と森の博物館(2025.07.06)
「神社」カテゴリの記事
- 南向きから江戸の護りのため東向きになった武蔵御嶽神社と2本の巨木(2025.09.07)
- 奥溜から地名が変わった奥富にある歴史ある梅宮神社と富士塚(2025.08.10)
- 和同開珎推しの秩父市黒谷と和銅と和同の違いの謎解き(2025.04.06)
- 加治丘陵の新久高台にある八坂神社からの景色と丘陵からの見え方(2025.03.02)
- 呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは(2024.11.24)
« 十社神社にある大類古墳群と鎌倉街道沿いの川角古墳群 | トップページ | 有間ダムのある飯能市水道の入間川からの取水口と曲竹での美しい蛇行 »

コメント