川越街道中央分離帯に残る幟立てと木宮稲荷神社とひまわり畑
国道254号川越街道には所々に旧街道らしい並木が残っています。
三芳町では松並木がありますが、その中央分離帯に神社の幟立てらしきものものがあります。

↑向こうの上り車線側に見える柱も、こうして見ると何だろうとも思えますが実はパチンコ屋です。
ですが、下り車線側には神社があります。
藤久保にある木宮稲荷神社です。

ここには江戸時代の街道と並木が残っているのですが、昭和時代初期に、神社の参道があったところに新たに下り車線を通したことから、以前からの幟立てと神社が分断されこうなったようです。
寛文元年(1661)、領主であった中山治左衛門が大阪在業の際、霊夢を見て社殿を建立したといいます。
木宮とは地名でもないのですが、紀州の良材を運搬して建立したとのことですから紀宮から来ているのかと考えられているようです。

この辺りの開発は、正保年間(1645〜48)から元禄年間(1688〜1704)にかけて行われましたといいますから、その新田開発が行われていた頃です。
稲荷神社は、藤久保のような畑作を主体とした地区では農業神として信仰されました。

藤久保の地名は、その昔、地区の東にある窪地に大きな藤の木があったことによるといいます。
↑社殿の裏に銀杏でしょうか、御神木があります。
社殿の左側には右から八坂神社と浅間神社があります。

別の場所に祀られていたものを境内に移したもので、浅間神社はもとは藤久保の北にあった富士塚に祀られていたものだということです。
今も富士塚という地名は三芳町に残っていますが、その富士塚は場所がわかりませんでした。

↑木宮稲荷神社の南側は住宅地を挟んで、その向こうには林があります。
緑のトラスト保全第14号地として保全されているようです。

↑説明板によると、江戸時代初期に川越藩主松平信綱によって川越街道が整備された際に開発され、屋敷地、耕作地とともに平地林も作られたとのことです。
トラスト地の間には三芳町として所有している土地もあるようです。

↑せせらぎ水辺広場として整備されていますが、今年4月29日開園予定だったものが、新型コロナの影響で延期されています。
トラスト地内だけでなく、隣接してある総合運動公園グラウンドなどの周囲も含めて「令和の森公園遊歩道」となっています。

川島町には平成の森公園がありましたが、三芳町は令和の森公園です。
町役場のすぐ近くなのですが、このように自然環境に囲まれたいいところです。

↑徒歩数分のところに、ひまわり畑もありました。
特に何も表示はなかったのですが、民有地なのでしょう。
梅雨であじさいの季節とばかり思っていましたが、いつの間にかひまわりの咲く時期になっていたのですね。
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