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2021年6月 6日 (日)

多摩野という名の付いた神社とそれがある小平市天神町の地名の由来

地域の呼び名として武蔵野という名称は以前からありました。

そうした「〇〇野」という名称は市町村合併に伴い、あきる野やふじみ野など野のつく自治体名が近年では多く見受けられます。

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↑そうした中ではよくありそうで、実はあまり聞かない「多摩野」という名の神社があります。

新小金井街道と青梅街道の交差点の近くで小平市天神町にあります。

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↑境内は広くなく、社殿もこちらになります。

創建は不詳ですが、江戸時代の享保年間のようです。

この多摩野神社社殿のすぐ後ろには鐘楼があります。

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というよりは延命寺の境内の南西一部が多摩野神社となっているという感じです。

延命寺は享保18年(1733)に武蔵国多磨郡中藤村から引寺されてきたといいます。

多摩野神社はその10年ほど前からあったといいますが、新編武蔵風土記稿では稲荷社とされており、多摩野という名がついた由来はわかりません。

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↑延命寺山門の左にある庚申塔は嘉永3年(1850)に造立されたもので、小平市内にある中では珍しい形であり市有形民俗文化財です。

この延命寺本堂への参道には橋があり、水路が流れていました。

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↑西から東の奥の方に向かって流れているようです。

小平市内にはいくつかの用水路があるようなので少し見てみます。

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↑すぐに流路を北に変えて、多摩湖自転車道を横切っています。

大沼田用水との表示板があり、享保14年(1729)開削と書かれています。

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↑西武新宿線の向こう側に流れていきいますが、線路手前にはちょっとした親水空間もあります。

江戸時代の享保年間の出来事が並びましたが、享保の改革による新田開発に伴い、用水路とともに寺院や神社もできたのでしょう。

ここの現在の地名は小平市天神町ですが、「天神」という名の由来はこの多摩野神社ではなさそうだし、思い当たる天神社が見られません。

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↑調べてみたら、多摩湖自転車道を西に700メートルほど行ったところに南側が低くなった土地があり、「天神窪」と呼ばれていたといいます。

あじさい公園となっており、池もありました。

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現在の天神町はあじさい公園の手前東側ですが、ここは明らかに周囲より低くなった窪地であり、天神窪があったことが天神町の名の由来のようです。

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↑公園西脇には別の用水路があり、その横の道は「あじさいの小径」と名付けられています。

こちらは小川用水のようですが、小平市は用水路の保全にも力を入れているようです。

この辺りは水田は全くありませんが、水路のある景色というのはいいものです。

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