東川地下河川の案内板とは違った流入立坑の場所と国登録有形文化財の旭橋
所沢市街地では川幅拡幅できないため地下河川が造られた東川の排出立坑を前回見に行きました。
そこには工事の概要を示す「東川総合治水対策地下河川工事」という案内板がありました。

↑図には排出立坑が書かれていないので、右端にある「第3立坑」がそれを示しているのか、さらに図の右に排出立坑があるのかは分かりません。
いずれにしても、左端に西武新宿線が通っているようなので、第1立坑も第2立坑も1キロ程度の範囲にあるかと歩いて探してみることにしました。

↑しかし、東川を西へ上流に向けて行ってもなかなか見当たらず、西武線の電車が走る少し手前に流入立坑がありました。
奥から流れてきた水が大量になると、手前の止水板により左岸にある流入口に流れ込む仕組みのようです。

案内板の図の第1立坑も第2立坑も左岸にあるはずだし、西武線との位置も違う気がします。
図が排出立坑のある右岸側の東川に沿って立っていたため、地図と川は当然同じ向きと思い込んでいましたが上下というか左右が逆だったようです。

調べてみると、あの図の東川は右から左への流れを左右逆向きの面にそのまま掲示したもので、ここにあるのは「第1立坑」のようです。
東川地下河川は約2.5キロあり、そのうちこの第1立坑から排出立坑までは約1.3キロとなっています。
立坑内径10.5メートル、立坑高25.3メートル、側壁厚0.9メートルで、やはり排出立坑よりは少し小さいようです。

↑でも、水をうまく流入させるための仕組みは素晴らしく、また立っているコンクリート柱それぞれの造形の美を感じます。
次の立坑にも期待して上流へ西武新宿線のガードを潜って進んでいくと、今度は美しい橋がありました。

↑振り返ると、特急小江戸号の走る手前には「旭橋」という鉄筋コンクリート造の単桁橋があり、国登録有形文化財となっています。
所沢駅から日本最初の飛行場である所沢飛行場へつながる「飛行機新道」に架かる橋で、当初は土橋でした。
飛行場拡張で物資や見物人が増えたため、昭和5年(1930)に空都所沢にふさわしいデザインとして現在の橋に架け替えられました。

両端の親柱には赤御影石で西洋風の彫刻があり、欄干はリズミカルな白タイル貼りの連続アーチで飾られています。
親柱の上部には、かつてはブロンズ製で唐草模様をあしらった六角形の電灯が設置されていたそうですが、戦時中に金属供出されてしまったといいます。

↑ここから上流に向けてはタワーマンション群が見えますが、左岸(写真の右側)に規則的に何かの基礎のようなものが並んでいるのが不思議です。
これは次の橋のところへ続いて見られますが、戻って調べてみると川に蓋かけされた駐車場があったというのでその基礎かもしれません。

↑次の橋から先の上流は、川幅がかなり狭くなるように見えます。
1キロ程度の散歩ではなくなってしまいましたが、引き続き上流へ、第2立坑と第3立坑を見に行ってみました。
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