ふじみ野市の川崎にある白山神社の明治時代には珍しかった石鳥居と江戸時代から栄えた福岡河岸
ふじみ野市に川崎という地名があります。
新河岸川が大きく蛇行した内側にあり、川に突き出たようになっていることから川崎と名づけられたといいます。

↑市の北部に位置し、新河岸川の養老橋から右岸上流方向を見ると、何となくわかるような気がします。
さらに先には川崎橋という橋もあり、その川崎には古くから人が住んでおり縄文時代の遺跡も多くあります。
川沿いの森というか丘には白山神社があります。

入り口がわかりづらいとの評判のようですが、新河岸川沿いの道から階段を登った先にありました。
江戸時代の元禄年間(1688〜1704)の「川崎村屋敷検地水帳」には記載があるといいます。
新河岸川から上がってくると、鳥居の右側に出てきます。

↑ 石鳥居は明治24年(1891)に建立されたものですが、当時地方の神社には石の鳥居は極めて少なかったそうです。
石の鳥居を七つ潜ると七難を免れるという伝説から、多くの参詣人で賑わったそうです。

↑社殿左から後ろへ末社の八坂神社・稲荷神社・水天宮の小祠があり、右にも注連縄があります。
ここには柊(ヒイラギ)の木があり大六天というそうです。

↑新河岸川沿いに戻り、同じく養老橋から左岸下流方向を見ると、そこは川越市古市場になります。
新河岸川は江戸時代には川越と江戸を結ぶ舟運が盛んに行われていました。
両岸に河岸があり、左岸には醤油醸造所があり古市場河岸といいました。

↑反対に左岸から右岸側を見ると、福岡河岸跡があります。
江戸時代後期に開設された福岡河岸の辺りには、回漕店や料理や、船頭の履く足袋・股引の専門店などがあり、大正初期まで大変なにぎわいであったといいます。
大正時代末期の新河岸川の河川改修により舟運禁止となり河岸も閉じられました。

↑右岸は、ふじみ野市福岡で、市指定文化財である回漕問屋の福田屋の建物は「福岡河岸記念館」となっています。
4年前にすぐ近くの権現山古墳を見に来た時にも通りましたが、16時過ぎており閉館後でした。
今回も3回目の緊急事態宣言が出るよりも前のことだったから開いてはいたはずですが、夕方だったため、同じく門が閉まっており中は見学出来ませんでした。
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