南大塚の菅原神社にあるのになぜか菅原神社東古墳という名称
南大塚というと山手線大塚駅の南方、つまり丸の内線新大塚駅辺りを連想するでしょうか。
西武新宿線の終点である本川越駅の一つ手前も南大塚駅といいます。

↑その国道16号沿いに菅原神社があり、地名から南大塚菅原神社ともいわれます。
隣りに、練馬タクシーがあるので一層どこなのかがわかりづらくなっていますが、川越市の南大塚です。

菅原神社社伝によれば南北朝期の創建だといいますから、700年も経っています。
本殿と拝殿は川越市指定文化財となっています。拝殿と本殿とは反橋で結ばれており、連続する空間を形成するという珍しい社殿構成となっているといいます。

拝殿前の灯篭と狛犬があったであろう台座がフェンスで囲まれて保護されていますが、特に説明板等には本殿と拝殿のことだけしか書かれていませんでした。
ここは、菅原神社東古墳でもあります。
確かに社殿の裏は少し高くなっており、20メートルほどの円墳だといいます。

埼玉県選定重要遺跡の南大塚古墳群の一つで、1年少し前に見た山王塚古墳もありました。
ところで、菅原神社「東」古墳という名称が気になります。
後ろの北西側からの見ても、「菅原神社古墳」そのままではないのでしょうか。

wikiでの参考文献でもある「埼玉の古墳 北足立・入間」も調べてみましたが、はっきりした理由はわかりませんでした。
北東側からも見てみます。

ここではなく、南大塚古墳群には二ツ塚古墳というのがあります。
「このほか菅原神社東古墳などの円墳」という記載もありました。

↑神社南側の国道16号の歩道橋から参道を見ると、左に社務所があるのがわかります。
この社務所の位置を菅原神社だとすれば、社殿は東にあるから「東古墳」ということ?
二ツ塚古墳との関係からも、ちょっと無理がありそうな考え方です。
結局、謎のままです。
.
.
.
« あさひ山展望公園からの眺望とちょっとしたハイキングと間近に見る美杉台調整池ダム | トップページ | ふじみ野市の川崎にある白山神社の明治時代には珍しかった石鳥居と江戸時代から栄えた福岡河岸 »
「51埼玉県」カテゴリの記事
- 8年ぶりに入間航空祭2025を2キロ離れて見てみるとどうか(2025.11.09)
- 大滝白滝不動滝の三滝と白雉創建という高山不動尊の大イチョウ(2025.10.26)
- 東松山の市民の森の山道になぜか並走する舗装道と見晴らし台(2025.10.12)
- ハイキングのまち越生の100メートル毎に登っていく大高取山(2025.09.21)
- 博物館らしくはない里山さいたま緑と森の博物館(2025.07.06)
「遺跡・古墳」カテゴリの記事
- はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ(2024.02.04)
- 7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社(2023.09.24)
- 蛇行する槻川に囲まれた天然の要害である小倉城跡(2023.04.23)
- 3つの北峰古墳群と合祀されなお残っている北峰稲荷神社と大日如来石像(2023.03.05)
- ねじれまくりの入西のビャクシンと石上神社古墳と成願寺(2022.09.04)
「神社」カテゴリの記事
- 南向きから江戸の護りのため東向きになった武蔵御嶽神社と2本の巨木(2025.09.07)
- 奥溜から地名が変わった奥富にある歴史ある梅宮神社と富士塚(2025.08.10)
- 和同開珎推しの秩父市黒谷と和銅と和同の違いの謎解き(2025.04.06)
- 加治丘陵の新久高台にある八坂神社からの景色と丘陵からの見え方(2025.03.02)
- 呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは(2024.11.24)
« あさひ山展望公園からの眺望とちょっとしたハイキングと間近に見る美杉台調整池ダム | トップページ | ふじみ野市の川崎にある白山神社の明治時代には珍しかった石鳥居と江戸時代から栄えた福岡河岸 »

コメント