立川市緑町の不思議な神社と高松町にある熊野神社の戦争をめぐる繋がり
立川駅北口には立川基地跡の広大な敷地があるため、数多くの政府系機関や近年ではIKEAなどの商業施設も建てられています。
その緑町の「自治大学校国立国語研究所」バス停の前には、ちょっと不思議な神社らしきところがあります。
フェンスに囲まれており、社号標などはありませんが、「熊野神社」という名で関係者以外立ち入り禁止と書かれています。
唯一ともいえる倉庫のような建物があります。
奥には熊野神社の鳥居と祠のみあります。
さらに奥の方に見えているのは、多摩都市モノレールの高松駅です。
調べてみると、500メートルほど東にある熊野神社が元々あったところのようです。
↑それは、高松バイパス沿いの高松町にある熊野神社で、立川熊野神社とも言われています。
武蔵野によくあるように、この辺りは江戸時代の享保年間に柴崎新田として開発され、当初は7軒しか家がなく、七軒家と言われていました。
この新田の鎮守として、先程のところに享保11年(1726)創建された神社です。
↑当時は考えもしなかったでしょうが、手水舎ではコロナ感染予防策で柄杓はなく水が流しっぱなしにされています。
そもそも、神社がどうして移転したかも気になるところです。
↑参道脇には、小さいながら小川も流れています。
明治6年(1873)には村社に列せられ、明治41年(1908)には社殿改築もされています。
そうした中、大正11年(1922)に立川村に陸軍飛行第5連隊の立川飛行場が設置されました。
飛行場近くということもあり、昭和20年(1945)4月には太平洋戦争による米軍の空襲によって神社社殿は消失してしまいました。
さらに、終戦後には立川飛行場は陸軍のものでなくなり、昭和21年5月には境内地も駐留軍の接収されることとなってしまいました。
そのため、こちらに新境内地を買収し、昭和23年4月には完成し遷宮式をしました。
昭和31年9月新社殿も完成したので、新たに熊野本宮大社より御分霊を勧請したといいます。
さらに、昭和43年11月には市道新設に伴い建造物の一切を移転したといいます。
↑社殿には透かし彫りもあり、立派な建物です。
戦争という時代の波に翻弄されながらも、さらに道路建設という特殊事情もありながら、こうして神社が存続しているのは素晴らしいことです。
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