かつてあった高麗郡と平成の天皇皇后も参拝したという高麗神社
入間川、そして越辺川に流れ込む高麗川があり、JR八高線に高麗川駅、西武池袋線に高麗駅があります。
それらが、高麗郡という名の郡にも由来しており、高麗神社があることも知っていましたが、行ったことはありませんでした。

奈良時代に高麗郡は建郡されたと、日本書紀からの続きである六国史の3番目「続日本紀」にあります。
霊亀2年(716)に、「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヶ国の高麗人1799人を移して高麗郡を設置した」と書かれています。

天智2年(663)の「白村江の戦い」で日本は百済とともに、唐と新羅に敗れた5年後に高句麗も滅んでしまったのです。
高麗郡は現在の日高市、鶴ヶ島市、飯能市を中心とした範囲で、明治29年(1896)に郡の統合により入間郡に統合されるまで高麗郡という名がありました。

高麗神社は高麗王若光を主祭神として、猿田彦命、武内宿禰命の三柱を祀っています。
覆殿内の本殿は室町時代後期の建立と考えられており、切妻造で平入、一間社流造、屋根は桧皮葺で埼玉県指定文化財となっています。

斎藤 實、若槻禮次郎、浜口雄幸、平沼騏一郎、鳩山一郎、小磯国昭らが参拝後、総理大臣になったということで、高麗神社は「出世明神」とも称されるといいます。
戦前に就任された方がほとんどなのはちょっと気になります。
↑上皇陛下、つまり平成時代の天皇と皇后も参拝しているようで「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」がありました。
ちなみに、平成天皇というのは失礼に当たるので「の」を入れています。

↑社殿左側の山頂には末社として水天宮もあります。
手前の御神木の彼岸桜は樹齢300年になります。
さらに、神社の奥には国指定重要文化財もあるといいます。

「高麗住宅」といい、慶長年間(1596~1614)頃の建築と伝えられ、御祭神の末裔である高麗氏の旧住居です。
茅葺きの入母屋造りで東日本に残る民家の中では古い形を遺している、極めて貴重な例とされています。

また、住宅脇の枝垂れ桜は樹齢400年といいます。
神社入口付近に戻ると、一の鳥居からの参道とは別に、不思議な花崗岩だという柱があります。

第一印象として、トーテンポールを思い出しました。
高句麗が存在した朝鮮半島には「長丞」と言われる標柱を立てる風習があるそうです。
これは「将軍標」という日本の道祖神にも似た習俗で、村や寺院の入口に立ち、魔除けや道標の役割を担っているそうです。

↑高麗川駅から高麗神社へと歩いて来るとすると、高麗川を渡ってくることになりますが、そこに架かる橋は「出世橋」といいます。
ここを渡って参拝すれば出世できるということでしょう、いい名前です。
↑橋の神社側のふりがな橋名板には「志ゆつせばし」と書かれているところは、さらに素晴らしいです。
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はじめまして。ブログ村から流れてやってきました。
記事を拝見しまして活動されているエリアが当方の活動エリアに比較的近いのでコメントさせていただきました。
高麗神社もそうですが、それぞれの記事は写真もさることながらそれに伴う情報も詳しく記録されていてとても参考になります。今後ともよろしくお願いします。
ところで高麗神社の将軍標ですが、西武線の高麗駅前にも大きい赤いのがありますね。新しい駅舎になって大きくなりましたが昔の小さな駅舎の頃にもあったことを覚えてます。
投稿: taboom | 2020年12月14日 (月) 09時17分
taboomさん、コメント有難うございます。
今後ともよろしくお願いします。
以前は図書館で調べたりしていましたが、最近は地元自治体や神社の公式HPからの情報が多いです。
他の方のブログ情報も数多くあるのですが、(私のも含めて)正確性が不明なので引用は控えています。
ところで、高麗駅前の将軍標は知りませんでしたので、今度見てみたいと思います。
投稿: すずた | 2020年12月15日 (火) 21時03分