数少ない聖徳太子信仰の太子堂のあるクラシキではないゾウシキと蔵敷熊野神社からの眺望
かつては、一万円札にも五千円札にも肖像画が描かれていた聖徳太子はとてつもない偉人であり、しかも超人であるように習ってきました。
しかし、今ではあの絵のモデルはそもそも本人か不明として、「伝聖徳太子画像」とされています。
実在しなかったかもしれないともいわれ、少なくとも厩戸皇子、厩戸王と書かれています。
↑以前はヒーローですから、ここには江戸時代に聖徳太子を信仰する太子堂があり、「蔵敷太子堂」として東大和市史跡に指定されています。
多摩郡山口領では太子堂はここだけにしかないそうです。
山口領とは、現在の東大和市、武蔵村山市、東村山市一帯と一部の周辺市の範囲です。
この裏は狭山丘陵になっており、上には神社らしきものが見えますから行ってみました。
蔵敷は、クラシキと読むものと思い込んでいましたが、ゾウシキだそうです。
そこには、蔵敷熊野神社があります。
丘陵の斜面に建てられており、急な石段の上にあります。
鳥居後ろの石碑には、武蔵国多摩郡蔵敷村、村社熊野宮と書かれています。
明治15年に鳥居、石階、石橋が造られたと刻まれているようです。
↑参道左には、もう一つ別の参道もあるようです。
まずは、右側の石段を登ります。
創建は不明ですが、蔵敷村の素封家である内野氏の鬼門除けに建立され、当地区の鎮守として祀られるようになったといいます。
内野家の文書によると永禄年間(1558~1572)前後の創立だろうとのことです。
社殿は拝殿と本殿には分かれていません。
一方、小島家の文書によれば、創建は天文2年(1533)、社殿の造営は寛永6年(1629)とあるそうです。
現在の社殿は当時のものではありません。
↑先程の左側の山道というか参道を登るとやはり社があります。
こちらの詳細はわかりませんでしたが、調べてみると内野家の稲荷社と記載されているものがありました。
↑位置的には、少し上がった右に写っているのが、熊野神社社殿横にある神楽庫です。
↑蔵敷熊野神社の境内は高台にあるため、末社越しには南東方向を見渡せます。
さらに裏手には登って行けそうです。
↑もう少し高いところから、南方向を見渡せます。
さらに奥へは通路途中にロープが張ってありますが、東大和市立狭山緑地の敷地のようでした。
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