都内に2箇所しか残っていない蔵敷高札場と2つの本殿があるような厳島神社
江戸時代に禁制や法令を伝えるための板札である高札を掲げたところを高札場といいます。
当時はそこらじゅうにありましたが、現在は都内に二箇所しか残っていません。
↑その一つが蔵敷高札場で、東京都旧跡に指定されています。
慶長8年(1603)の年貢に関する高札が最初に掲示されたものといいますが、この年は徳川家康が江戸幕府を開幕した年ですから驚きです。
青梅街道沿いにありますが、蔵敷のバス停の待合所のようなイメージで、これまで気付きませんでした。
高札場とはもっと大きな高いものだと思い込んでいましたが、この蔵敷のものは比較的小さめです。
蔵敷高札場の近くの青梅街道沿いに厳島神社という看板があり、こちらも気になっていました。
↑狭山丘陵に登っていくところに蔵敷厳島神社の鳥居があります。
↑鳥居をくぐると、参道の石段です。
以前は弁天社といわれ、創建は永禄12年(1569)または天正6年(1588)とされています。
前回見た蔵敷熊野神社と同様に、内野家と小嶋家文書で若干の違いがあるようです。
石段を登り切ると社殿があります。
こちらが本殿のようですが、両脇にはなぜか階段があります。
↑後ろにも社殿がありますが、こちらも本殿のようです。
前にあるのが拝殿で、後ろにあるのが本殿なのでしょうか。
それとも、別の神社だったのでしょうか。
↑うしろにある建物は覆殿で中には本殿が見え、立派な彫刻も彫られています。
天保6年(1835)に建立されたものといいます。
明治3年(1870)には厳島明神とされ、熊野神社の摂社とされたようです。
↑狭山丘陵の谷戸を挟んで、熊野神社も厳島神社は位置します。
両者とも、裏は東大和市立狭山緑地となっています。
厳島神社からは木々の隙間から南西方面に山々を見ることが出来ます。
少し先に祠らしきものが見えるので近寄って行きましたら、ここは私有地ですと地元の方からやんわりと注意され恐縮しながら戻りました。
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