富士塚のある三芳町上富の浅間神社と様々な名前の石碑
埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線は、三芳町上富の辺りでは、特産品である「富の川越いも」を生産している農家が軒を連ねることから、「いも街道」と言われています。
その三芳町の北端に近い道路沿いに、浅間神社があります。
三芳町の設置した文化財の案内柱には、浅間神社と書かれています。
社殿の中の社額には富士嶽神社と書かれていました。
天保4年(1834)の勧請と伝えられています。
この社殿の北側には富士塚があります。
八軒家をはじめ近隣の富士講の人々により信仰されていました。
↑山の中腹には、小室浅間神社という石碑があります。
塚の高さは6メートルほどですが、かなりの急斜面で登山道もなく、上りはなんとか行けるものの、下りはかなり慎重に歩かなければなりません。
↑頂上には、富士嶽神社との石碑と祠があります。
↑高い位置から見るサクラは一段とキレイです。
↑全体を外から見てみると、ここだけ周囲とは異なる昔から残る空間のようです。
↑裏側から敷地を見ると、小御嶽神社との石碑があり、祠らしきものもありました。
所沢には有名な荒幡富士がありますが、この辺りではあまり見かけなかった富士塚に、こんなところで出会えるとは思ってもいませんでした。
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