さいたま市にある秋葉神社は関東総社で1250年も前に創建という
秋葉神社といえば、遠州静岡県にある火除けの神という印象があります。
さいたま市内を車で走っていたら、その秋葉神社の関東総社という看板があったので行ってみました。
JR埼京線指扇駅の北、国道16号線西大宮バイパスの北で、県道57号さいたま鴻巣線からの秋葉通りという道沿いです。
秋葉神社公園という広い公園の奥に駐車場があり、その向こうに境内はあります。
江戸時代に江戸で火事が多発していたため、秋葉信仰が広まったということなので、この秋葉神社もその頃のものかと思っていました。
ところが、境内にある案内板によると、聖武天皇の世、天平年間創建とありますから、729年から749年の間ということになります。
↑西側から入ってきましたが、鳥居は社殿の南側にあります。
調べてみると、秋葉神は山岳信仰から発したものが神仏習合により秋葉山大権現として信仰されるようになったといいます。
一に剣難、二に火難、三に水難に神徳があったため、武士の信仰を集めていたものが、江戸時代に火除けの神として人気となったようです。
↑東側から見た、冬の午後の日差しの中の手水舎越しの神社です。
この秋葉神社は、江戸時代には旗本山ノ内家に守護神として崇敬され、社殿が改築されたといいます。
また、紀州徳川家の御祈願所ともなり、火災・盗難防護、延命長寿、家内安全の霊神として関東一円より多くの人に崇敬尊信されたそうです。
ということは、関東総社となるのは、江戸時代だったのでしょう。
現在の社殿は昭和時代に建てられたもののようです。
本殿は江戸時代代表的様式の大隅流「八ツ棟、三手先作り」で、その四面には豪壮優美な彫刻が壁面を埋め尽くしていると神社HPにありますが、見ることは出来ません。
Google マップで見ると、社殿裏手に弁天社があるはずです。
ちょっとイメージと違うなと思いながらも、境内の外周を歩いてみてわかりました。
やはり池があるのです。
↑境内に戻ってもう一度よく見てみると、社殿の裏というよりも社務所裏に斜面を下っていく階段があります。
その先に、池と弁天社がありました。
また、ずっと気になっていた、モーとも聞こえる牛かなと思われる鳴き声とあの独特なニオイの正体もわかりました。
境内の北側の隣接地に、本当に多勢のウシさん達がいました。
ここはさいたま市という政令指定都市の中ではありますが、田舎の良さのようなものがあっていいところです。
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