石田堤が破堤したという地点と鴻巣市の史跡公園にある堤の断面
石田三成による忍城水攻めの際に築かれたという石田堤の行田市の現存しているところを見てきました。
新忍川の堀切橋が鴻巣市(合併前の吹上町)との境界ですが、その堀切橋は土木学会選奨土木遺産となっています。
↑北の行田市方向を振り返って見ていますが、親柱頂部に尖頭半球が施されています。
この高欄には三角形の空間があるデザインとなっています。
昭和8年(1933)に竣工しましたが、屋外アート風の橋であることから土木遺産に選奨されたそうです。
↑南の鴻巣市側を見てみると、幾何学模様が描かれているのもわかります。
高欄の影に三角形があるのも面白いです。
忍城水攻めの時は、この堀切橋のところで石田堤が破堤して、石田三成率いる豊臣軍に多数の犠牲者が出たということです。
↑堀切橋から南の約300メートルも石田堤が保存されており、鴻巣市指定史跡として石田堤史跡公園となっています。
東屋や説明板などが整備されていますが、堤が途中でバッサリと切断されています。
ここには上越新幹線が通っているのです。
その高架橋の下も広場となっています。
様々な説明板がありますが、櫓のシンボルモニュメント下では石田堤の音声案内を聞くことが出来ます。
感知器があって、人が下に立つと音声が流れてきます。
音声は2パターンあるようですが、東屋のところにあった説明板によると、上を新幹線が通過するときにその別バージョンが聞くことができると書かれていました。
聞いてみると、解説だけでなくドラマ仕立てとなっており、石田三成役は大和田伸也さんです。
このブログを見ている方は分かりづらいでしょうから、国土交通省HPにある石田堤のイメージ地図です。
映画「のぼうの城」は、この忍城水攻めの様子が演出もあって少々大げさに描かれているようですが、それを差し引いたとしても、このスケールの大きな実際の現場を見てみたかったものです。
上越新幹線の南側には、「のぼうの城」のエンディングロールにも映し出された石田堤の断面観察施設があります。
石田堤の断面を見ることができます。
土のあるガラス面は反射してしまい中がよく見えませんが、周りに書かれている線は地層面を示しています。
また、ここでは堤の上に登ることができるようになっています。
先程の高架下には、豊臣秀吉から石田三成らに送られた朱印状いわば命令書も展示されていました。
それらによると、三成というより秀吉が非常に水攻めに積極的であったことがわかります。
その先も少しだけ堤が残されており、左側はこの史跡公園のための駐車場となっていますから、石田堤には北の行田市側にも南の鴻巣市側にも車で来ることができます。
結局は水攻めは失敗に終わって忍城を陥落させることはできませんでしたが、北条氏が敗れて小田原城が開城されたため、その支城である忍城も結果的には開城されました。
秀吉としては天下統一の総仕上げといえる、これらの北条氏との戦いで長大な堤を築いて自らの権力を誇示したかったのでしょう。
↑堤はこの辺りで形を残さなくなりますが、振り返ってみると上越新幹線がものすごいスピードで走っていきます。
まあ、2つの市に跨って約600メートルほどの距離ですが、石田堤が何らかの形で保存されているのは素晴らしいことです。
秀吉の思うような形ではありませんが、一部レガシーは残されています。
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