新東京百景で東京都指定名勝でもあり日本の歴史公園100選にもなっている町田市の薬師池公園
薬師池公園は1982年には「新東京百景」に選ばれ、さらに1998年には「東京都指定名勝」に指定されました。
その上2007年には「日本の歴史公園100選」に選定されたという町田市を代表する公園です。
↑都道18号府中町田線(鎌倉街道)がこのすぐ左側を通っているのですが、ここは薬師池という池があるように周囲より低い標高66メートルほどになるため静かです。
道路が10メートルほど高い位置にあるため、幹線道路沿いであることを感じさせない落ち着いた雰囲気です。
↑池の南から北を見ると、東も西も土地が高くなっていることが分かります。
しかし、ここは自然の池ではなく、江戸時代に人工的に造られたものだそうです。
↑二連の太鼓橋が架かっています。
寛永年間(1624〜43)に、ここを農業用水池にするために耕地を潰して溜井にしました。
長さ70間(126メートル)、横28間(50.4メートル)もの大きさで、十数年間かけて築いたそうです。
↑逆に北から南を見ていますが、東と南と西を尾根に囲まれたような地形なので、自然にも水は溜まりそうなところです。
案内板をみると、「大滝」があるというので見に行きました。
↑水の音がするので近づいてみると、「えっこれが大滝?」と思うような小さい滝でした。
位置としては池の西側の斜面の途中になります。
水量は豊富なようで、水は高いところから低いところへ勢いよく流れていきますが、この薬師池にも苦労の歴史があるそうです。
同じく江戸時代の宝永4年(1707)には、富士山の有名な宝永大噴火による降灰で、せっかく苦労して作ったこの池が埋まってしまいました。
その後、3年間かけて浚渫工事したそうです。
↑池の東側には水車小屋があります。
こちらにも湧水があるようなので、水流を遡ってみました。
↑細い流れですが、もう少し先があるようです。
↓こちらは小滝にもなっていないので分かりづらいですが、ここから湧いています。
池の歴史の方では、文化14年(1817)にも再び泥砂で埋まってしまいました。
野津田村の農民たちは七町歩(7ヘクタール)余りの水田の水を得るために、浚い普請により池として復活させましたといいます。
↑先程の水の湧きだす地点から下を見ると、結構高低差があることがわかります。
苦労して守り続けてきた薬師池は、現在は公園として3つもの「肩書」を持っているわけですから素晴らしいことです。
この公園には、国指定重要文化財や都指定有形文化財の建物もありようなので、さらに見ていきます。
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