大和時代はどうかとしても平安時代にはあった狭山市の廣瀬神社と樹齢400年のねじれた梅の木
狭山市にある廣瀬神社は、社伝によれば創建は古く、3世紀の大和時代の景行天皇の御代、日本武尊東征の折だといいます。
ここを流れる入間川が大和国広瀬の地によく似ていることから、廣瀬神社から分社したとのことです。
しかし、元の大和国の廣瀬神社の創建が天武天皇の頃といいますから、ちょっとあり得なさそうな話でです。
そうは言うものの、嘉祥3年(850年)の文徳天皇実録には、武蔵国廣瀬神社が記載されているといいます。
これまでもいろいろ見てきた延喜式内の神社では、中氷川神社のようにいくつかの候補があるケースも多いようですが、ここは違うようです。
廣瀬神社は入間郡五座の一つですが、ここ以外にはないようです。
延長5年(927年)に延喜式神名帳は書かれていますから、平安時代にはこの神社はあったということです。
↑拝殿の御神号額は明治の三筆といわれた野村素介によるものです。
↑御神木の大欅二本も古く、樹齢900年と1000年といい、高さ30メートルです。
埼玉県指定天然記念物となっています。
そして、ねじれた不思議な松の木もありました。
↑不朽梅という樹齢400年の梅です。
知りませんでしたが、通常梅の木は樹齢200年を超えると幹がねじれてくるそうです。
この木もねじれて、皮だけのようですが春には花を咲かせます。
明治42年(1909)に本殿、拝殿を境内北隅から現在地に移したといいます。
↑大正9年(1920)に本殿の覆殿を再築くしました。
↑神楽殿は昭和7年(1932)に改築されたものです。
↓太鼓楼もありましたが、これは昭和15年(1940)に新築されたものです。
拝殿左側の木の上を撮影している人たちが何人かいました。
何だろうと見ていると、地元の方らしい人が親切に教えてくれました。
↑写真ではわかりづらいですが、アオバスクがいます。
このフクロウが営巣していると結構有名になっているそうで、撮影に来る人が多いといいます。
平安時代からの由緒あるこの廣瀬神社にいろいろな意味で来る人が多くなるのはいいことです。
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