所沢の東川の源泉を探してヤギと三ヶ島八幡神社の桜を見る
所沢市内を西から東に流れている東川は、桜の名所になっており満開です。
ひがしかわではなく、あずまがわと読みます。
この東川の源泉を目指してみました。
関越道所沢インター周辺では柳瀬川に合流しており、国道463号浦和所沢バイパス、西所沢からは県道179号所沢青梅線にほぼ沿って流れています。
狭山湖周辺に源泉はあるようです。
↑その所沢青梅線下田橋から南の上流方向へは道路に沿って流れています。
↑やがて畑の間に入っていきます。
道と私有地の区分が分かりづらいのですが、グーグルマップを見るとここは道のようです。
小高い丘のところで2つに別れています。
というか正しくは2つの流れがここで合流しています。
右側は沿っては行く道が無いので、まずは左側の流れを上流に向かいます。
水の量はかなり少なくなっています。
畑と道路の間、民家と畑の間を流れています。
グーグルマップではこの道路の手前が上流端のようですが、まだ先に流れはあります。
ここの桜はまだ満開とはなっていませんでした。
この先は民有地のようなので勝手に入るわけにもいきません。
ところで、先程からメーという鳴き声が気になります。
↑川の左側にある道路を進むと、そこにはヤギがいました。
しかし、この道路も行き止まりとなっており、先に進めません。
さらに左に大回りする道路は山?の向こう側を通っていますから、やはり川の上流には行くことは出来ません。
残念ですが、ヤギの声で少し和んだ気分になり、もう一方の流れの上流を探します。
↑2つの流れがあった先端からの小高い丘の上は神社となっていました。
西参道からの階段を上ると、満開の桜が見事です。
ここ三ヶ島八幡神社は元和9年(1623年)に鶴岡八幡宮を分祀勧請して創建されたといいます。
誉田別尊(ほんだわけのみこと)すなわち応神天皇が祀られています。
拝殿は昭和25年(1950年)に建てられたものです。
本殿はその際改修されたものといいます。
左には八雲神社、さらに左には湯殿神社があります。
南の参道から鳥居越しに向こうを見ると、周辺が見渡せます。
ここも少し高くなっていますが、奥の狭山湖のある狭山丘陵はさらに高くなっています。
ここから左に下がった斜面となっており、その左は丘陵で高くなっています。
間の谷戸となったところに、先程見つけることは出来なかった源泉があるはずです。
もう一つの流れが東川の本流のようなので、その源泉を目指すのは次回に続きます。
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