多摩市諏訪は連光寺村の一部であった馬引沢のさらに一部だったところ
多摩ニュータウンの中でも多摩市諏訪や永山は、一番最初の昭和40年代に開発された地区です。
京王線や小田急線の永山駅ができる前に入居が開始されたので、当時は陸の孤島であり、バスで通勤通学するしかなく大変だったといいます。
↑京王永山駅のすぐ北側の多摩消防署交差点から北東の諏訪1丁目方向を見ています。
現在は消防署は建替工事が行われているようで、ここにありません。
多摩市になる前の多摩町・多摩村の小字馬引沢から、多摩ニュータウンのための区画整理により諏訪などが分離されました。
↑諏訪越通りを登り、坂を下ると多摩馬引沢交差点です。
左右に通る都道18号府中町田線の向こうは、現在も馬引沢という地名です。
2020年8月9日の東京オリンピックにおける自転車競技ロードレースのコースは、この奥の馬引沢北通りから来て、この都道を右へと進みます。
こんなところを!とびっくりですが、本当なのです。
↑ところで、馬引沢という名の川は現在もあり、馬引沢ではなく諏訪1丁目を流れています。
諏訪神社の前なのですが、上流方面は急な斜面となっています。
↑この奥は先程通った諏訪越通りの下を潜る暗渠となっているようです。
沖ノ谷戸から流れているようですが見つけられませんでしたので、諏訪神社を見てみます。
この辺りの諏訪という地名の由来は、この諏訪神社なのでしょう。
↑鳥居にも諏訪神社とだけ書かれていましたが、検索してみると連光寺諏訪神社がヒットしました。
なぜ連光寺なのかを調べてみました。
連光寺という地名も多摩市に現在もありますが、馬引沢よりもずっと北の、聖蹟桜ヶ丘の駅名の由来にもなった、夏に行った都立桜ヶ丘公園のある辺りです。
↑社殿の手前に賽銭箱はなく、鍵のかかった戸に賽銭投入口が少しだけ開いています。
左側には梅が綺麗に咲いていました。
本殿の右の方は斜面となっており、この上に諏訪越通りが通っており、馬引沢はその向こうから流れてくるのです。
連光寺諏訪神社なのかは調べてみると、諏訪がもともと属していた小字馬引沢が属していた大字は連光寺だったようです。
もともとは武蔵国連光寺村があり、それが関戸村、一宮村などと合併して多摩村となり、その時に大字が連光寺となりました。
連光寺村小字馬引沢の鎮守だったということです。
↑馬引沢が地上を流れる区間はほんの数百メートルほどで、乞田川に流れ込みます。
乞田川は立派に河川改修工事がされていますが、川幅をみると大雨の時はかなりの水量になるのでしょう。
↑少しだけ上流の永山橋からさらに上流方向を見ていますが、工事された人工の川ですがキレイです。
川岸にには桜が植えられており、もう数週間後に来ていれば、もっと違う意味で綺麗だったことでしょう。
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