白子川の河岸段丘にある武州白子熊野神社の黄葉と富士塚
練馬区から北に向け白子川が流れていることは知っていましたが、和光市に白子という地名があることは知りませんでした。
板橋区と和光市の都県境を流れ新河岸川に合流する白子川の名前の由来のようです。
↑その川越街道と東武東上線の間、駅でいうと成増駅と和光市の中間に熊野神社があります。
背後は林になっているので分かりづらいですが、急斜面となっています。
この神社は白子村の鎮守として栄え、創建年は不明ですが社伝によれば約1000年前といいます。
白子は江戸時代には川越街道の宿場町として栄えていたそうです。
熊野神社本殿に向かって右側、方角としては北側には富士塚があります。
鳥居があり、富士嶽神社となっています。
入り口にはいくつもの碑があります。
ハチに注意との表示もありますが、いつもどう注意すればいいのか考えてしまいます。
まあ今は寒くなってきたので安心です。
↑しばらく登ると、登山道は左に折れ、ここにも鳥居があります。
右にも何かあるのでしょうか。
見ての通り、すぐ奥はマンションが建っています。
↑右には素敵な祠が二つありました。
左に向かうと、鳥居から先も急な登り坂が続きます。
やがて頂上に着くと、そこにも祠がありました。
御賽銭のほか、果物も供えられていました。
割と高いところで、熊野神社の社殿はかなり下方に見えます。
頂上から反対側にも登山道があり、こちらは下り用となっているようです。
下山し、熊野神社社殿の右側に着きますが、そこには富士塚とは別の登り坂が北に向かってあります。
登り始めると、その途中から本殿及びその裏側が見えるのですが、かなりの急斜面となっています。
後で知りましたが、ここには湧水もあり、この急斜面は白子川の河岸段丘で10メートル以上の高低差があります。
現在は河川改修もされていますが、長い時代での川の水の流れのすごさを改めて感じます。
坂道は登りきると、神社裏側の住宅街との通路となっているだけでした。
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