多摩市にある稲荷塚古墳は全国的にも珍しい八角墳でおしゃれな名の神社が上にある
桜は散ってしまいましたが、木々が芽吹いてきれいな若葉色が見られる季節となりました。
ただ今回はそれより少し前に、多摩市東寺方、和田周辺に珍しい古墳を見に行った時の話になります。
↑7世紀の前半頃に造られたとみられる稲荷塚古墳があり、この古墳の形は全国的にも珍しい八角形の八角墳です。
古墳の全長は38mあり、一番外側に幅2mほどの周溝とよばれる空堀がめぐっていました。
その内側に長さ34mの墳丘が二段に築かれていたといいます。
↑(クリックすると拡大します。)
墳丘一段目は周溝の内側に6mでめぐる低い段で、地上から見て現在は2mの高さで残っている部分は、長さ22mの二段目にあたると説明板に書かれていました。
つまり、一段目は土に埋もれて見えていないということでしょうか。
裏側から見てみます。
明治時代までは4mほどの高さがあったものの、上の方を削って神社が建てられたことから、半分ほどの高さとなっているそうです。
芝丸山古墳もそうでしたが、当時は考古学など考えられていないので、古墳は単なる小山としか思われていなかったのでしょう。
東京都指定史跡となっています。
墳丘二段目には横穴式石室がありました。
全長約7.7mで、一番手前が通路である羨道、真ん中が前室、一番奥が玄室という部屋になっていました。
↑稲荷塚古墳の石室は、以前は木造の覆屋で露出公開されていたものの、傷みが激しくなり埋め戻して保護することになり、位置はブロック舗装で示してあります。
↑古墳の周辺は公園になっていますが、ここは江戸時代の18世紀には黄檗宗の資福院という寺があったそうです。
古墳上の神社は恋路稲荷神社という、おしゃれな名前となっています。
この周辺には他にも古墳があるようです。
↑稲荷塚古墳をはじめ、臼井塚古墳・庚申塚古墳・塚原古墳群など多くの古墳があります(クリックすると拡大します)。
大栗川をはさんだ対岸の丘陵斜面には中和田横穴墓群、その丘陵上には日野市万蔵院台古墳群があります。
これらをまとめて和田古墳群と呼んでおり、都内でも有数の古墳群のひとつに数えられます。
↑臼井塚古墳はこちらの方向のようですが、埋め戻されているようで見ることは出来ませんでした。
景色から、この稲荷塚古墳が周囲よりも高い位置にあることがわかります。
もう一つ近くにあるという庚申塚古墳に行ってみました。
こちらは規模も小さく住宅地の中にポツンと佇んでいます。
稲荷塚古墳は説明板が3つも4つもあり充実していましたが、こちらは簡単なものが1つだけでした。
しかも、内容は庚申塚古墳のことというよりは和田古墳群のことでした。
和田の台地には6~7世紀頃の豪族の墓が多数造られたが、この古墳は当時の姿を残す貴重な遺構であるというものです。
↑さらに、先程の和田古墳群の地図にあった、東側を流れるアメダ川と書かれていた川を見に行きました。
川幅は狭いものの、思った以上の水量があります。
現在はコンクリートで護岸されていますが、曲がり具合からして、かなりの暴れ川だったことでしょう。
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