川越にある国指定史跡になっている河越館跡は土塁や空堀もある芝生の広い公園
こんなに暑くなっていない、しばらく前の話になりますが、川越市にある河越館跡に行きました。
川越城は川越市街地からそれほど遠くない1.5km程度のところにあり、先日利用した自転車シェアリング駐輪場もありましたが、こちら河越館跡にはありません。
本川越駅からは3km以上北西に離れていており、入間川を渡った先ですから、シェアサイクルで来ることは想定されていないようですが、車で来ることは考えられていて、無料駐車場はありました。
国指定史跡である河越館跡は「河越館跡史跡公園」として整備されており、空堀や土塁も保存されています。
1969(昭和44)年に国指定に向けた検討が開始され、1984年(昭和59年)には指定されましたが、調査、発掘などを経て、2009年(平成21年)史跡公園としてようやくオープンしました。
この場所に居を構えていた河越氏は、平安時代末(12世紀後半)から南北朝時代(14世紀中頃)にかけて、武蔵国で勢力を誇った武士です。
1184(元暦元)年、河越重頼の娘は源義経の正妻として嫁ぐなど隆盛を極めましたが、義経の縁者として源頼朝に滅ぼされ、勢力を失いました。
鎌倉時代中期以降、武蔵国の筆頭格となるなど回復しましたが、1368(応安元)年に平一揆(へいいっき)を組織した河越直重が、鎌倉府に河越館の戦いで敗れ、歴史の表舞台から姿を消しました。
↑当時の井戸跡ですが、武蔵国では素掘りの井戸が多く、このように板材で囲った井戸は珍しかったようです。
↓ここには周囲を溝に囲まれて盛土に礫を葺いた塚状の遺構があったようです。
おそらく霊廟や納骨堂だったと推測されています。
河越氏の屋敷地を区画していた堀があり、その外側の道路跡があります。
河越氏がいなくなった以降も、ここは戦いの拠点でした。
↑拡張や掘り直しによると思われる、いくつもの重複した空堀跡が発掘されています。
15世紀末には扇谷上杉氏の河越城(川越城)を攻略するため、ここ河越館跡に山内上杉氏が陣所を構えました。
ややこしい話ですが、あちらの川越城は太田道灌または道真によって、室町時代になってから築かれた扇谷上杉氏の本拠の一つです。

当時、扇谷上杉氏と山内上杉氏は上杉氏同士で20年近く戦っていました。
↑重複していない、山内上杉氏の陣所を区画した堀は時代が進み、より複雑な形状になっています。
土塁もありますが、この頃築かれたものです。
ここは芝生の広い公園で、縦横200m程度の距離があります。
その後、16世紀には川越城も小田原北条氏(後北条氏)のものとなり、その重臣である大道寺氏が、ここ河越館跡に陣所を構えていたと考えられています。
史跡区域内にある常楽寺には大道寺政繁の墓所があります。
4つの時代の異なる遺跡・出土品が混在していることがこの史跡の特徴です。
建物跡はあまり残っていないのですが、小学校と隣接しているところに、13世紀後半から14世紀頃の堀立柱建物跡があります。
この建物の大部分は小学校校庭の敷地内となっています。
ここは史跡公園となっていますが、横に上戸小学校がありますから、子どもたちの遊びまわる広い芝生の公園となっています。
おそらく今は歴史に興味を持っている子はほとんどいないでしょうが、大きくなった時、自分の遊んでいた公園が国指定史跡だったというのはいいものです。
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