全国で2つしかない本丸御殿が現存する川越城と通りゃんせに歌われた天神の細道じゃ
天守閣がある城は有名なものがいくつもありますが、本丸御殿が現存し大広間があるのは高知城と川越城だけだといいます。
ちなみに、二の丸御殿が現存するのは、以前見に行った掛川城と京都二条城だけです。
その川越城本丸御殿を見に、引き続き、川越市自転車シェアリングを利用して行きました。
川越城は、室町時代に太田道灌または父の太田道真によって築かれましたといいますから、江戸城と同様です。
扇谷上杉氏の武蔵国支配の居城となりますが、日本三大夜戦の一つ河越夜戦で後北条氏に敗れ、さらに安土桃山時代には、豊臣秀吉の小田原成敗を経て、江戸時代には川越藩として、徳川家康の譜代、酒井氏の城となりました。
この本丸御殿は、1848年(嘉永元年)松平斉典が造営したものです。
もっとずっと大きかったようで、本丸御殿だけで16棟、1025坪あったそうです。
その玄関部分と大広間は残されており、埼玉県指定有形文化財となっています。
↑玄関が廊下の中心部にあり、左へ時計回りに向かっているので、長さのイメージが湧きづらいですが、この東廊下は40m近くの長さがあり、幅も3m以上あります。
↑順路としては最後に見ることになる玄関前のこの広間は、36畳もの広さがあり、部屋の中に入ることもできるようになっています。
大広間がこんな玄関からすぐの位置にあっていいものかとも思いますが、近世の城の本丸御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設となっていました。
↑庭は美しい枯山水の庭園となっています。
まあ、これが当時からあったかはよくわかりません。
家老詰所だった建物もありますが、これは移築されたということで、当時はもっと離れていたようです。
川越藩は相模国の三浦半島にも領地をもっていたため、幕末には海岸警護も命じられていました。
さらには、品川台場の警備も命じられたということで、その打ち合わせをしているという家老たちの人形もあります。
これは予想外にいきなり現れるので、びっくりしてちょっと声を出しそうになりました。
ところで、童謡「通りゃんせ」といえば、子供の頃から知っているし、歩行者用信号機でもボタンを押すと流れていました。
♪通りゃんせ通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。・・・行きはよいよい、帰りは怖い、怖いながらも通りゃんせ通りゃんせ。♪
この歌詞は小さいころから、なんとなく怖いイメージがありましたが、この川越城本丸御殿のすぐ東隣にはある、三芳野神社へお参りに行く歌だといいます。
↑本丸御殿にあった、城図と航空写真を合成したもので見ると、神社は本丸のすぐ東にあるため、南から南大手門を入り、田郭門、東へさらに天神門を通らないと行けない位置にあったようです。
上の写真にあるのは南から北へ向かう参道ですが、天神門を入った後、西から東に向かっている、この参道までの細い道が、♪天神の細道じゃ、御用のないもの通しゃせぬ♪の「細道」だったのではないでしょうか。↓
社殿は残念ながら修復工事中でしたが、お参りしようとすると、通りゃんせの歌がスピーカーから流れてきます。
川越城には天守閣は無かったようですが、富士見櫓が三の丸(八幡曲輪)の南端にあり、ここが一番高い位置で天守の代わりだったようです。
街中は開発されて住宅となってしまっているため、ここは城内の面影の残る数少ないところです。
現在は御嶽神社となっていますが、上まで登ることはできます。
埼玉県指定史跡となっています。
すっかり住宅や建物ばかりの景色ですが、やはり遠くを見渡すことはできます。
二の丸跡地には川越市立博物館と美術館、それ以外はすっかり川越のまちとなってしまっていますが、もう一ヶ所、川越城のイメージを残しているところがあります。
中ノ門堀跡で、1639年(寛永16年)松平信綱によって、川越城の大拡張工事が行われた際に造られた三本の掘りの一つです。
江戸時代初期で、当時はまだ戦いを想定していたということに、その後の歴史を知る立場としては感心させられます。
現在は市役所のすぐ近くで、周囲は住宅に囲まれており、ちょっと不思議な空間です。
いずれにしても、2回にわたりお伝えしてきた小江戸川越ですが、想像していた以上にいいところで、はまってしまいましたから、いずれまた来てみたいと思います。
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