新国立競技場の着工前の周囲の景色を記憶そして記録しに行く(前編)
2016年12月11日にようやく新国立競技場が着工されました。
2020年7月24日より開催される東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に間に合わせるため、2019年11月末までの3年間で工事完了させることになっています。
着工直前に、更地となっている現地や周囲の様子を目で見て記憶しておくため、そして記録を残しておくために見に行ってきました。
↑JR千駄ケ谷駅から東に向かい、駅前の東京体育館を通り過ぎると、広大な敷地が更地となっているのが見えてきました。
奥の南に向かって行く外苑西通りを、現在いるこの道は外苑橋で跨ぐ位置にありますから、全体が見渡せます。
旧国立競技場、正式には国立霞ヶ丘陸上競技場がここにあり、1964年の東京オリンピックが開催されましたが、既に解体されています。
↑少しだけ東に行くと、地下鉄大江戸線国立競技場前駅があります。
かつて、この裏側に独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の4階建ての本部ビルがありましたが、やはり解体されています。
ここから右下に下りていく坂道が外苑西通りにつながっています。
↑下に下り、外苑西通りから南の方向を見てみます。
右の東京体育館側から国立競技場側への歩道橋は撤去されていました。
この歩道橋は、先程の千駄ヶ谷駅からの上にある道と同じ高さレベルですが、新国立競技場はこの高さレベルで設計されています。
では、ここから時計と反対回りにこの外苑西通りを歩いていきます。
↑本体工事の着工前とはいうものの、大型重機が何台か置かれていました。
付帯工事のためなのでしょうか。
奥に神宮第二球場のネットが見えるのは、今の時期だけなのでしょう。
この道路と旧競技場の間には、細長く都立明治公園の敷地がありましたが、新競技場は一回りサイズが大きくなるため、かつての公園もこの工事区域内となってしまいました。
↑道路にある案内地図は、旧競技場がある時のままなので、公園があったこともわかります。
これは左が北として表示されていますが、「現在地」の少し右(南)の観音橋交差点から上(西)に向かう、旧競技場と明治公園の間の道は既に無くなっています。
そのかつての道路の様子を見てみます。
↑南に行き、観音橋交差点を振り返ってみても、信号機のある交差点から右に向けてあった道路はありません。
新競技場工事敷地の中になってしまったのは、やはり、新競技場が大きくなるからです。
↑新競技場の南西端となる仙寿院交差点から敷地を見てみますが、敷地内にはあえて残したと思われる木が二本あります。
ここは明治公園だったところです。
明治公園の敷地が新競技場で使用されるため、その代替として、さらにこの南側の都営霞ヶ丘アパートの敷地が新しい明治公園となるようです。
↑都営住宅の方向を見てみると、そちらは既に住民は退去しているようで、解体工事の準備が進められていました。
この都営住宅の敷地の南西端まで行ってみました。
↑ここまで新たに公園となるということです。
単なる国立競技場の建替というだけでなく、周辺地域にも大きな影響を与えていることがわかります。
↑仙寿院交差点に戻り、今度は東に向かい、敷地を南から見てみます。
これで新競技場の敷地を時計回りに半周まわって来たことになります。
この続きはまた次回お伝えします。
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コメント
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いよいよという感じですね。
それにしても築地移転の方が進まずです・・・(^_^;)。
応援しておきました。ポチッ
投稿: 矢田@医療職兼業トレーダー | 2016年12月15日 (木) 23時46分
矢田@医療職兼業トレーダーさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
競技場とともに、いろいろ建て替えられており驚きました。
市場はどうなるのでしょうか。
投稿: すずた | 2016年12月18日 (日) 19時01分