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2016年12月 4日 (日)

江戸城の外濠はどこからどこに繋がっていたのかと赤坂見附の見附と門の関係

江戸城の外濠というと、JR中央線の市ヶ谷から御茶ノ水辺りまでの車窓から見える景色が頭に浮かびます。

飯田橋から御茶ノ水の間は神田山(駿河台)を外濠を作るために、あえて開削したことを1年前に見て廻った際に知りました。

そこよりも下流側は、神田川(江戸時代の平川)の水が隅田川まで流れていくのはわかりますが、神田川の流れる飯田橋より反対側というか西側はというと外堀の流れがどうなっていたのかよくわかりません。

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↑しかし、先日、赤坂見附付近に行った時、弁慶濠を見て、そう言えばここも外濠だよなと思いましたので、この前後を確認してみたいと思います。

弁慶濠とはいいますが、この弁慶橋は明治時代に架けられて、弁慶濠という名も付けられたようです。

でも、江戸時代の江戸城の外濠なのだから、その痕跡はあるはずと思えば、ありました。

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↑ここも何度か通ったことはあるのに気付きませんでしたが、赤坂御門の石垣が一部保存されています。

赤坂見附の「見附」とは見張りの兵を置いた番所のことだと習ったような気がしますが、赤坂門があるからここで見張りをしていたから「見附」なのだそうです。

江戸城外堀跡は1636年(寛永13年)に作られた約14kmの外濠のうち約4kmが国指定史跡となっています。

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現在の青山通り、国道246号線である当時の大山道からの門だったようです。

内濠から江戸城への門というと現存している物も多く有名ですが、外濠の門というとあまり知りませんでしたが、ここも田安門や桜田門と同様に、二つの門が直角に配置された桝形門があったそうです。

ところで、弁慶橋から東の方を見ると、その先は埋め立てられているのか、水面は見当たりません。

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ただ、この先、最高裁判所と国会図書館の間を通り、800mほど先の三宅坂交差点の向こうは内濠である桜田濠がありますから、この向きに外濠があると、内濠と外濠がここで繋がっていたとなり変な話です。

ちょっと調べてみると、わかりました。

外濠はここから南へと向きを変え、溜池方面に繋がっていたのです。

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その名の通り、もともと江戸時代には「溜池」がありましたから、あえて開削した弁慶濠から、既に水がある溜池に通すというのは理にかなっています。

溜池の先にあるのはと考えると、虎ノ門ですから、やはりそこにも外濠の門があったことがわかります。

埋め立てられて道路になっているところを見て歩いても面白くないので、弁慶濠に沿って歩いて行ける北西側に向かいます。

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↑右のホテルニューオータニの敷地が庭園として残されているため、この辺りの風景は建物や首都高速道路を除けば、江戸時代の面影が残されているといいます。

でも、この弁慶濠は600mほど先には堤があり堰き止められています。

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↑この堰からというか土橋から弁慶濠を振り返ってみると、高いところからのいい景色です。

ここは江戸開府の最も初期に作られた見附、門の一つである喰違見附のあったところです。

他の見附とは異なり、石組のない簡易な門で枡形でもありませんが、現在も残されています。

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江戸初期の古い形式の虎口の形状が残っている貴重なもののようです。

クランク状になった形態から、「食い違い」という言葉とのつながりも感じられました。

ここは江戸時代から土橋、つまり堤になっていたようなので、水はこの前後で分かれていたのでしょうから、弁慶濠から溜池への水源はホテルニューオータニ庭園のある緑地だったのでしょう。

外濠沿いの道路に沿った迎賓館の辺りは歩いたこともありましたが、こんな珍しいところがあるとは知りませんでした。

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↑この喰違見附の堤から外濠があったところである北側を見ると、上智大学のグラウンドがあります。

あの地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅から見えるグラウンドですが、ここは外濠である真田濠を戦災の瓦礫で埋めたところだそうです。

JR四ツ谷駅も外濠の上にあるということになります。

その駅前の交差点は四谷見附交差点といいます。

ここにも江戸時代には見附というか門があったようです。

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四谷御門といい、甲州街道、今の国道20号線からの門になります。

この四谷御門にも、一部当時の門の遺構が残されています。

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↑この四谷門から北側の外濠はこのJR中央線とその脇の、その名も外濠公園によって埋め立てられています。

埋め立てたと言っても、周囲と同じ高さまで土を盛るわけではないため、上智大学グラウンドと同様に、この外濠公園も道路よりかなり低い位置にあります。

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この公園をさらに北に向かうと、中央線の車窓からよく見る風景である市谷濠となります。

市ヶ谷駅ホームから振り返って、南西の四ツ谷方面を見てみますと、市谷濠の水面が見られ、その向こうの外堀通り沿いにビルが立ち並びます。

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あえて歩いてみなくても、まあ普通に考えれば、赤坂見附から市ヶ谷、御茶ノ水方面に繋がっているのは予想がつきますが、赤坂見附から向こう側が溜池に繋がっていたというのは、ちょっと想定外でした。

水は神田川(旧平川)から飯田橋で、外濠の東西(西は喰違見附まで、東は隅田川まで)に流れていたのでしょう。

外堀通りという道路名とそのルートから考えれば、どこにあるかは想定の範囲内だったのでしょうか。

「史跡江戸城外堀跡保存管理計画書」千代田区港区新宿区より↓

Soyobori

↑まあ、答え合わせの意味で地図で確認すると、江戸城外濠は「の」の字を描くような形になっていたことがわかります。

埋め立てられ、溜池、虎ノ門、新橋は外堀通りとなっており、そこから北向きには首都高速のKK線、八重洲線となっていますが、東京駅北側の呉服橋、常盤橋から飯田橋までは日本橋川の流れが外濠に該当するようです。

水系は、旧平川からの流れがほとんどですが、喰違見附から東へ新橋付近までだけは別だったようです。

赤坂見附から市ヶ谷間だけでも、10838歩、7.7km歩いたのですから、無駄な街歩きではなく健康のためにも良かったことでしょう。

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