武蔵野三大湧水池の一つである善福寺池の湧水を探しに
善福寺池は、吉祥寺に近い井の頭池、石神井公園の石神井池、三宝寺池とともに、武蔵野三大湧水池の一つといいますが、近くに駅が無いせいか、割と訪れる人が少なくていいところです。
杉並区にありますが、JR中央線西荻窪駅と西武新宿線上石神井駅の中間に位置します。
善福寺公園という都立公園になっています。
善福寺川は湧水量も多く、かつては神田上水の補助水源としても利用されるほど澄んだ水だったといいます。
善福寺川の源泉探しとしては、いきなり終着点ですが、上池と下池というストレートな名前の二つの池に分かれていますから、上池の方が源泉ということになるでしょうか。
↑上池の北西の端には、「善福寺川源流 遅野井湧水の碑」が立っています。
小さな滝のようになっていて、水が流れ出ていますが、これは往時の湧水の形を再現したものです。
残念ながら、現在は湧水ではなく、地下ポンプで吸い上げているといいます。
1189年のことですが、源頼朝が奥州征伐の後、ここに立ち寄り、干ばつで軍勢が水を欲していたところ、7本の矢で土を突いて水が湧き出た。
それ自体のことか、その水の出方かわかりませんが、とても遅かったから、この遅の井という名がついたといいます。
↑この上池に沿っては東京都水道局の杉並浄水場があり、23区内では井戸の湧水を利用しているのはここだけだそうです。
やはり、地下には湧水のある所のようです。
武蔵野三大湧水池はいずれも標高50m地点にあるそうで、以前の東京はこの高さに地下水の流れがあったようです。
ボート乗り場もありますが、休日だというのに、石神井池や井の頭池のように混み合っていないところがいいです。
あまり源泉らしいところが見つからず、ちょっと残念に思いながら下池の方にも寄ってみましたが、なんと、こちらの方に湧水らしき所がありました。
↑下池の方は水草が生い茂っているところもあり、上池とは全く違った風景です。
ボートもなく、落ち着いた雰囲気です。
上池からの水が流れ込む水路がありますが、池の西側の道路を挟んで流れ込む水があります。
斜面が住宅地なっており、中に入ることはできませんが、こちらは本当に湧水が流れ込んでいるようです。
水音もしています。
見に来た甲斐があったというものです。
この下池から善福寺川へと水は流れていきます。
池から流れ出る水はあまり多くないと聞いていましたが、結構な水量がありました。
↑奥が下池、手前が善福寺川です。
近くに善福寺という寺がありますが、この寺がこの池の名前の由来となったかと思いきや、そうではなく、元々の善福寺は江戸時代に廃寺となったようです。
逆に、近くにあった寺が、池の名前に因んで、新しく善福寺という名にしたそうです。
↓反対に、善福寺公園から善福寺川を見ると、北側から流れ込む水路があります。
善福寺川は水量が少ないので、千川上水からの下水の高度処理水を流しているとのことでしたが、この日はそちらはほとんど流れていませんでした。
池から流れ出てすぐですが、杉並区の住宅街ということもあり、コンクリート護岸の洪水対策がされたものとなっています。
この川は10kmあまり、大きく蛇行しながら進みます。
かなり早い時期から宅地化が進んだことから、河川改修とともに、なるべく川を真っ直ぐにすることができなかったのでしょう。
中野富士見町駅の近くの杉並区中野区境で神田川と合流します。
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