気になる交番やタワーのある南大沢駅前と広大でフレンチもある首都大学東京
車では何回か通り過ぎたことはありながらも、行ったことのなかった南大沢へ行く機会がありましたので、京王線で行ってきました。
さすが、多摩ニュータウンとして計画された街だけあって、歩車分離されています。
しかも、雨に濡れずに周辺施設に行けるよう屋根も付いています。
なぜか、多摩ニュータウンに行く京王線というと、京王多摩センター行き電車のイメージが強くあります。
京王相模原線の京王よみうりランド駅から京王多摩センター駅までの開通は1974年(昭和49年)のことです
それが南大沢駅まで延伸されたのは、1988年(昭和63年)のことですから、その間の学生時の記憶が残っているからでしょうか。
その2年後、1990年(平成2年)には橋本駅まで開通して、現在の状況になっています。
南口駅前広場には、南大沢駅前交番があります。
入口で業者の人が作業をしているので、建設中のように見えますが、1993年(平成5年)には完成した團紀彦氏による設計のものだそうです。
ちょっと不思議なデザインです。
上に乗っているものは何なんでしょうか。
ミサイル発射基地のようです。
その奥に見える建物もデザインが凝っています。
この建物はサザンウインズ南大沢というパチスロ、フィットネスクラブ、銀行、レストランなどが入っています。
その手前の駅前広場の中央には、タワーというか、オブジェというか、塔というかわからないものがあるのも気になります。
検索して見ると、南大沢には「光の塔」というものがあるようですが、それは首都大学東京の中なので、この名称ではないようです。
再び駅改札前から北口に向かうと目の前に、三井アウトレットパーク南大沢があります。
下に広い多摩ニュータウン通りが通っています。
ここは2000年(平成12年)にラ・フェット南大沢として開業しました
その奥には、首都大学東京があります。
こちらは、南大沢駅の開業の3年後の1991年(平成3年)に、当時は東京都立大学として移転してきています。
↑この右の塔が光の塔です。
というか、戻って検索して初めて知ったので、この時は素通りしてしまいましたが、日時計や振り子時計のある面白い建物だったようです。
確かに写真をよく見ると、壁面に日時計らしきものが見えます。
この首都大学東京 南大沢キャンパスはかなり広く、面積は428,041平方メートルもあります。
東京ドーム9個分ということで、都内の国公立大学では一番広いのかと思いましたが、さすがにあの東京大学には負けているようです。
この日は首都大の先生のところに所用があり来たのですが、早く到着したので少し散歩します。
ここもアウトレットパークかと思うような大屋根があります。
東京都立大学は、2011年(平成23年)から「首都大学東京」という名称になっています。
このネーミングどうかなとも思いますが、2004年(平成16年)に「新銀行東京」が開業した時から、この名前になることは運命づけられていたのでしょうか。
南大沢駅前と同様に、雨に濡れずに移動できるように屋根が続いています。
ただし、広いキャンパス内の移動手段として自転車が使われているようで、かなりの台数が置かれていました。
なんと、フレンチレストランもあります。
国際交流会館の中にある「ルヴェソンヴェール南大沢」です。
ランチタイムとディナータイムの間でクローズでしたが、ランチは1080円から食べられるようです。
このお店は、他にも本郷や駒場にあるようです。
あれ、と思って調べてみると、やはり東京大学の敷地内や目の前にあるようです。
今度、光の塔を見がてら、ここにも来てみたいと思いました。
入学試験と合格発表の間の、のどかな春休みの一日でしたが、学校が始まるとこんなにのんびりした雰囲気ではないのでしょうか。
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