そもそもダムとは何のことなのか、狭山湖(山口貯水池)はダムなのか、だったら名前は
前回も見てきましたように、埼玉県所沢市、入間市にある「山口貯水池」は、多摩川からの水を地下の導水管で運んできて、東京都民の水道水として利用するために、貯えておくためのその名の通り、貯水池でした。
その名前も当初、多摩湖と呼ばれていたものが狭山湖となったとのこともわかり、驚いたことです。
ところで、この狭山湖(山口貯水池)はダムなのでしょうか。
狭山ダムとか、山口ダムという名称はあまり聞いたことがありません。
隣りの多摩湖(村山貯水池)も、多摩ダムとか、村山ダムとは聞きません。
そもそも「ダム」とは何なんでしょうか。
「ダム湖百選 狭山湖」と書かれたプレートがありました。
ダム湖百選とは、所在する地方自治体首長の推薦を受けて、一般財団法人ダム水源地環境整備センターが認定したダム湖です。
狭山湖が「ダム湖」として認定されているということは、ここにあるのは「ダム」ということになります。
ダムというと、川の水を堰き止めて貯めているものかと思われます。
ここではぐるっと1周しても13kmほどの範囲の、柳瀬川の源泉としての水源であるといえなくもないですが、実際には大部分は、よそ(多摩川の小作取水堰)から運んできた水が貯められています。
そもそも、ダムの定義はどうなのでしょうか。
↑この狭山湖の堤体をこうして、のどかな田園風景の中で下から見上げると、きれいに整備された小高い丘がある公園という感じです。
日本ダム協会HPにも解説はありましたが詳しすぎるので、宮島咲著「ダムマニア」によると、河川の流水を貯留し、または取水するため、河川管理者の許可を受けて設置する構造物で、基礎地盤から堤高までの高さが15m以上のものをいうとあります。
噛み砕いて、水を溜めたり取ったりするために、川を堰き止める高さ15m以上の施設とありました。
施設の土木構造物が「ダム」なので、湖は「ダム湖」です。
その水が自然に流れてきた川の水なのか、川から導水管で運んできた水なのかは、特に問題視されていないので、山口貯水池(狭山湖)にあるこの構造物は「ダム」に入ることになりそうです。
では、ダムという視点で、ここを見てみましょう。

堤頂長は716mもあり、どう見ても立派なアースダムです。
湛水面積といわれる満水時の面積は189haもあり、アースダムとしては国内5位の大きさだそうです。
総貯水量も2065立法メートルもあり、これも国内4位の規模です。
1999年(平成11年)から堤体補強工事が行われていました。
阪神・淡路大震災後、耐震診断をしたところ、対策が必要となったからのようです。
その工事の際、昭和当時の高欄と親柱が出てきたといいます。
親柱とは、照明と避雷針用の塔だそうです。
↑現在の親柱と高欄、展示保存されている昭和当時の親柱↓
第二次世界大戦当時、米軍の攻撃によるダム湖の決壊を防ぐために、堤体上部に2.5mにもなる石とコンクリートによる対弾層をつくり固められたと言います。
その際に、地中に埋まっていたものが、平成の補強工事により、出土しました。
昭和当時の高欄も展示保存されています。
転落防止の手すりのことだそうです。
この工事により、堤高も33.5mから35mとなり、しつこいようですが立派なダムです。
しかし、「○○ダム」という名称がないことが気になります。
「○○湖」はダム湖の名称であって、ダムの名前ではありません。
ダム便覧には「山口ダム」とされていますが、その名が定着しているとは思えません。
マクドナルドでは、新しいバーガーの名前を公募するようです。
グランプリはなんとバーガー10年分に相当する142万3500円の賞金です。
前回も見てきたように山口貯水池という名よりも、愛称である狭山湖という名を誘導することで、定着させたわけですから、ダム名も公募でもしてみたらどうでしょう。
ただ、ダムがあるからといって喜んで来るのは、私のような、にわかダムマニアくらいだから無駄でしょうか。
ブログランキングに参加して、交流を広げていきたいと思っています。
いずれかポチッとお願いします。
,
« 狭山湖の水は周辺に降った雨水なのかと山口貯水池はいつから狭山湖といわれるようになったのか | トップページ | 英語放送のFENはいつのまにかAFNになっていた、理研本部は和光市にいつからあるのか »
「51埼玉県」カテゴリの記事
- 8年ぶりに入間航空祭2025を2キロ離れて見てみるとどうか(2025.11.09)
- 大滝白滝不動滝の三滝と白雉創建という高山不動尊の大イチョウ(2025.10.26)
- 東松山の市民の森の山道になぜか並走する舗装道と見晴らし台(2025.10.12)
- ハイキングのまち越生の100メートル毎に登っていく大高取山(2025.09.21)
- 博物館らしくはない里山さいたま緑と森の博物館(2025.07.06)
「水道水の流れ」カテゴリの記事
- 市立公園やトトロの森だけじゃない多摩湖北側おさんぽコースの奥の深さ(2022.10.23)
- 利根川の水を東京都の水道水に利用できる仕組みとしての利根大堰(2019.09.01)
- 埼玉県にあるのに東京都の朝霞浄水場から都内への水道管のシールドトンネル工事が行われていた(2018.03.04)
- やんばツアーズの八ッ場ダム工事現場見学会はとてもいいし、また行きたくなる(2017.09.17)
- 相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった(2017.08.06)
「土木」カテゴリの記事
- 調整池式発電している大野ダムで13年ぶりの謎解き(後篇)(2025.08.24)
- 調整池式発電している大野ダムで13年ぶりの謎解き(前篇)(2025.08.17)
- ちょっと想定とは違う形ではありながらも復活するという首都高速の羽田可動橋(2025.03.09)
- 治水橋の由来となった斎藤祐美の出身地である飯田新田のびん沼と対岸の萱沼の読み(2024.01.28)
- 水没する前提の狭山台図書館駐車場と狭山台団地の広い調整池(2023.12.31)
« 狭山湖の水は周辺に降った雨水なのかと山口貯水池はいつから狭山湖といわれるようになったのか | トップページ | 英語放送のFENはいつのまにかAFNになっていた、理研本部は和光市にいつからあるのか »

コメント