狭山湖の水は周辺に降った雨水なのかと山口貯水池はいつから狭山湖といわれるようになったのか
多摩湖自転車道はよく走る道で、3年半前には多摩湖の様子をこのブログでも紹介しましたように、自転車乗りにとっては割となじみのあるところです。
狭山湖はそのすぐ隣ですが、周回コースが未舗装ということもあって、あまり行く機会はありません。

↑狭山湖堤体の上から、柳瀬川の源泉らしきところを見下ろしています。
最近ダムめぐりを始めてから、改めて考えてみると、ここは不思議な湖です。
ダム湖の水は周辺の山々に降った雨水が貯められていますが、狭山湖の周りには狭山丘陵はあるものの、それほどの広さではありません。
尾根道を13kmほどで一周できるのですから、ここに降った雨水がこんなに貯まるとは考えられません。
↑狭山湖の湖面方向を見ていますが、すぐに答えは見つかりました。
多摩川の水を、羽村市にある小作取水堰(一部は羽村取水堰?)から地下の導水管で運んできて、ここに貯えているのです。
明治42年(1909年)に東京市の水需要の増加に備えて調査を依頼された中島博士が、多摩川の水をこうして貯水池に貯え、安定的に浄水場に水を供給しようと計画を策定したとのことです。
明治時代とは、ずいぶん前に計画されたものだと驚かされます。
もう一つ疑問が浮かびます。
狭山湖(正しくは山口貯水池)は埼玉県の所沢市、入間市に位置するのに、東京都水道局が管理して東京都民の水として利用されていることです。
狭山湖堤体から見える西武園ゆうえんち観覧車(左)と西武プリンスドーム(右)に沿って、多摩湖があることが鍵のようです。
都水道局HPによれば、東京都東大和市に位置する多摩湖(正しくは村山貯水池)が、まず、大正12年と昭和元年に完成しています。
さらに増加する水需要に応えるため、第二期工事として、狭山湖は昭和2年に着工し、昭和8年に完成しています。
東京都内の村山貯水池(多摩湖)が完成した後、セットのように隣接した、埼玉県側の柳瀬川の渓谷に山口貯水池(狭山湖)は計画され造られ、そのまま東京都管理となっているようです。
柳瀬川の渓谷といっても、そんなに大きな川ではないので、元はどんなところだったのでしょうか。
↑航空写真でしょうか、雲らしきものも多くわかりづらいのですが、これを見ると、細長く田んぼがありその周りは、現在の湖周辺と同様に森林だったように見えます。
この狭山湖は子供の頃から割と身近に既に存在するものであるため、この第1取水塔が立っている湖が日常風景なので、今は水の底に沈んでしまっている風景があったとは想像つきませんでした。
ところで、ここ狭山湖最寄りの駅は西武球場前駅ですが、西武球場(西武プリンスドーム)ができる前は、狭山湖駅でした、
鉄道会社が貯水池を観光資源とするため、狭山湖という名称を付けたという話を聞いたことがあったため、調べてみたところ、「多摩湖のページ」によると、面白い話が載っていました。
驚くことに、それまでは山口貯水池(狭山湖)は多摩川から水を取り入れているから、「多摩湖」、村山貯水池(多摩湖)は狭山公園があるから「狭山湖」と呼ばれていたと言います。

↑堤体の上からはこうして遠くを見渡せますから、当時としては観光地だったのでしょう。
毎日新聞社が西武線池袋駅構内で、「村山、山口貯水池に観光地としてふさわしい名称をつける改名署名運動」として、投票を実施したとのことです。
村山貯水池は北多摩郡に属するから「多摩湖」、周辺の観光開発に着手した西武鉄道としても多摩湖線があるので、村山貯水池は「多摩湖」がいい、山口貯水池一帯は埼玉県立狭山公園になっているので「狭山湖」がいいということです。

↑湖面に雲が映って見える、こんな風景も見ることができる観光地です。
この結果を踏まえて、二つの湖の名前は逆転することとなり、昭和26年(1951年)には、現在の西武球場前駅は「村山貯水池際駅」という名から「狭山湖駅」に、現在の西武遊園地駅は「狭山公園前駅」とい名から「多摩湖駅」に改名されました。
こうして、狭山湖と多摩湖という名前が定着したようです。
↑確かに、東京都水道局が設置した案内板には「山口貯水池」とあるだけで「狭山湖」という文字は書かれていません。
当時としては地元の人達には違和感があったことでしょう。
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