相模川水系の総合運用って何なのかと、見たかったダムに沈んだ中津渓谷と石小屋
相模川水系の相模川と中津川は、水の総合運用をしているといいます。
総合運用っていいますが、どちらかの河川のダムの水量が少なくなったら、補完しあうというのでしょうか。
だとすると、ダム同士をつなぐ連絡管を連想しますが、そのためにはダム湖からダム湖への繋がりが必要になるはずです。

つまり、ダムの内側に水の出入口があるはずです。
↑しかし、見る限りは、中津川の宮ヶ瀬ダムの堤体外側に連絡管らしき出入口があります。
ちょっと不思議なので、総合運用とはどういうものなのか調べてみました。
↑国土交通省関東地方整備局HPによると、総合運用の流れとしては、下流で水が必要になった場合は、まず本川(相模川)にある相模ダムや城山ダムから水を使います。
その後、本川ダムの容量の3割を使用した後、支流である中津川の宮ヶ瀬ダムからの連絡管により、城山ダムを経由して水を補給するということです。
なんで、こんなややこしい方法をとらなくてはいけないのでしょうか。
さらに疑問が湧いてきましたが、同HPに答えがありました。
相模川にある相模ダムは4820万立方m、城山ダムは4736万立方mと、合わせても宮ヶ瀬ダムの貯水量の半分ほどしかありません。
相模ダムや城山ダムは集水面積も大きく貯水しやすい反面、容量が小さいため、どんどん放流せざるを得ず、有効活用されず海に流れ出る水量が多くなってしまいます。
そこで、本川である相模川の上流にある道志川の道志ダムから、宮ヶ瀬ダムへ導水路を作り、宮ヶ瀬ダムに水を貯められるようにしました。
反対に、宮ヶ瀬ダムのある中津川から、道志川に水を返す導水路も造られており、これが津久井導水路、上で見えた取水口です。
宮ヶ瀬ダムのすぐ下流800mのところに、副ダムとして、石小屋ダムがあります。
この機能の一つが、津久井導水路への水位確保とされています。
この小さなダムがあるから、最初の疑問であった、ダムの外側に連絡管(導水路)があっても大丈夫のようです。
直前に大きなダムを見てきたので、とても小さく感じられますが、この石小屋ダムも高さ34.5mあり、55万立方mの貯水容量があります。

また、宮ヶ瀬ダムの愛川第一発電所は電力のピーク時に対応するための発電所であり、放流が不規則となってしまいます。
川の水量があまり増えたり減ったりして、下流地域へ影響するのを抑えるため、この副ダムで一旦貯めて、流量をコントロールしています。
副ダムとはいえ、石小屋ダムにはダムカードもあります。
この近くには、不思議な石のオブジェのようなものがありました。
何なのかと思ったら、
宮ヶ瀬ダムのできる前は、この辺りは中津渓谷(中津川渓谷)という観光名所で、この巨大な石による石小屋というのもあったようです。
石小屋ダムのデザインにも、この石小屋のイメージが取り入れられているといいます。
コンクリートの表面が岩模様になっていたり、ダムの両側が自然の岩山のようになっていたり、凝ったデザインです。
↓ここから下流を見てみると、あの巨大な宮ヶ瀬ダムの水の流れ出る川とは思えないほど、狭い川幅です。
この石小屋ダムが副ダムとして、水量をコントロールしているから、こうした渓谷のあったような狭い川に大きなダムを造ることが出来たのでしょう。
ここにある愛川第2発電所では24時間連続運転による発電を行い、安定した放流を行っています。
宮ヶ瀬ダムの観光放流も、この副ダムである石小屋ダムがあるからこそ、水の無駄遣いにならずに済んでいるのです。
ところで、これらのダムのできる前には、渓谷には砂防ダムがあり、そこから流れる水が玉すだれのようだとのことで、玉すだれの滝と呼ばれていたといいます。
現在の石小屋ダムと宮ヶ瀬ダムの間にある新石小屋橋から、大沢の滝を見ることができます。
中津川渓谷の名残が少し感じられる気がします。
YouTubeで当時の様子を見ることができましたが、やはりダムができるというのは、こうした犠牲を伴っているのだということを改めて感じられました。
近くには、「半原渓谷 石小屋」と書かれた石碑があり、県下名勝史跡四十五佳選当選記念と書かれています。
横浜貿易新報社により昭和10年に建てられたもののようです。
45という数字が妙に中途半端な気もします。
半原というのは愛川町のこの辺りの地名で、中津渓谷とも半原渓谷とも呼ばれていたのでしょう。
この渓谷、見たかったものです。
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