神田川下流は自然ではなく造られた渓谷だから御茶ノ水駅バリアフリー化工事は大変
御茶ノ水に所用があり電車で行ったのですが、JR中央線ホームから良く見えるはずの神田川に巨大な桟橋が築かれていました。
中央線上りホームから、西にお茶の水橋方向を見ています。
御茶ノ水駅ではバリアフリー化工事が行われているのですが、どうやらそのためにこの桟橋が作られているようです。
改札を出て、お茶の水橋から東に神田川と駅ホームを見ると、神田川を半分くらい塞いでいます。
バリアフリー化といえば、エレベーターやエスカレーターの設置工事を行うために、ある程度の足場などは必要でしょうが、ちょっと大げさすぎる気がします。
JR東日本のHPを調べてみたら、工事の資料がありました。
駅全体を2階建てにするような工事をするようで、2020年度までの完了を目指しているとのことです。
西側のお茶の水口は今と同位置ですが、東側の聖橋口は現在は南向きですが、それを聖橋に向いた東向きにして、両者を2階で繋ぐ設計です。
それにしても何であんな桟橋が必要なのかは、今度は聖橋から西に向いて、駅ホームを見るとわかります。
駅の線路のすぐ南側は急な崖というか擁壁になっており狭くて、工事のための足場が組めないのでしょう。
となると、神田川に仮設桟橋を作るしかなかったようです。
合わせて、首都直下地震に備えた河川側盛土と台地側擁壁の耐震補強工事も行われます。
改めて見てみると、ここは20mほどもある渓谷といってもいいような急な谷となっています。
↑お茶の水橋から神田川上流の水道橋方向を見ても、同じような深い谷となっています。
神田川は半年ほど前に見に行ったように、井の頭公園を源泉に高田馬場、飯田橋などを通り、ここお茶の水、秋葉原を通って、隅田川に流れています。
台風や集中豪雨があったとしても、こんな渓谷をつくるような川とは思えません。
どうして、こんな渓谷が街中にあるのでしょうか。
調べてみると、この神田川下流付近は人工の河川のようです。
↑上流に水道橋まで歩いてみて、御茶ノ水方面を見てみると、ここから上流は平地なのですが、下流に向かって神田川の両側が高くなっていて、谷ができています。
江戸時代初期までは、ここは全体が神田山と言われる山でした。
神田川は当時、平川または江戸川と言われており、上流から飯田橋辺りまでは今とほぼ同じルートでしたが、そこから下流は南に向きを変え、今の内堀を通り、日比谷入江から東京湾に流れていました。
↑水道橋から少し下流に行ったところを見てみても、かなり深い谷となっています。
徳川家康は江戸城及び江戸の町を整備するために、全国の大名を動員し天下普請を進めました。
まず神田山を崩して日比谷入江を埋め立て、大名屋敷の地区を生み出しました。
2代将軍秀忠の時代に、平川による氾濫対策と外堀を築く目的で、いわば神田川放水路として飯田橋から平川の流れを東に変えたのです。
そのために、神田山を渓谷のように削ったのです。
↑神田川の南側は駿河台という名で、今でもこの南斜面には急な階段があります。
この横の明治大学付属の中学高校は移転したようで、明治大学の校舎となっていました。
作家が締め切り前に缶詰めにされて原稿を書くといわれる山の上ホテルも、この神田山にあります。
ところで、この普請工事は仙台藩の伊達家が行ったことから、ここを仙台堀とも言うようです。
伊達政宗が徳川秀忠と囲碁を打ちながら、江戸城を攻めるとしたら、本郷台地、神田山から攻略するとあえて言い、自ら徳川家に対して、自分達で台地を二分し外堀をつくる大工事を申し出たとする逸話もあるようです。
ただし、この逸話は史実とは違うようです。
仙台藩がこの工事を行ったのは事実のようですが、もともと幕府によって工事は始まっていたようです。
↑上路橋アーチの美しい聖橋も、ここに神田川があるからこそ、御茶ノ水駅ホームから見ることができます。
↑聖橋から下流方向を見ると、地下鉄丸ノ内線が一瞬だけ外に出て、神田川の水面近くを走り、その横では中央線が御茶ノ水駅ホームに止まっており、総武線が上を迂回しながら秋葉原に向かって走っていく、こんな風景も、江戸時代初期に大工事が行われたからこそ、見ることの出来るものなのです。
いずれにしても、神田山を削って、この堀というか川を作る工事は大変だったことでしょう。
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