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2015年9月27日 (日)

高天神城の西峰は武田氏が守備固めした堀切や切割がすばらしい

静岡県掛川市にある高天神城の東峰に行った前回の続きで、西峰の方に行ってきました。

二つのコブのような形になっている東峰と西峰の間の谷の部分も、かなり高いところにあります。

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↑南方を見渡すことができるので、遠州灘の風力発電のプロペラがいくつも見えます。

また、南側も急斜面であることがわかります。

西峰の方を登ると、二の丸跡があります。

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この城の攻防戦で後期はこちらの西峰が中心となったようです。

北と東と南は急斜面で、攻めづらい地形となっている中、西だけが緩傾斜の尾根が続いているのです。

そのため、西側には長い横堀が造られています。

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実際に、徳川方の城を武田軍は、1574年(天正2年)の戦いでは西から攻めて、奪いました。

そのため、武田軍は西がこの城の弱点であることがわかっていたため、この横堀(空堀)を整備しました。

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空堀と通常書きますが、ここにある標識によると「隍堀(からぼり)」と書いてありました。

西の斜面を覗き込んでみると、十分に急斜面のように感じられます。

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ここを武器を持って駆け上がってくるのは、かなりきつそうに思われます。

この横堀を突破されたことも想定されています。

深い堀切があります。

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尾根上を進んでくる敵の攻撃を阻むため、尾根を切り開いて造られました。

発掘調査の結果によると、この上部を繋ぐ橋が架けられていたそうです。

普段は橋で行き来し、攻め込まれてきたら、橋を壊してたのでしょう。

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↑西の丸跡周辺は、高天神社となっています。

東峰にあったものが江戸時代になってから、こちらに移転されたものです。

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さらに西側に進むと、深い切割があります。

こちらも、尾根沿いの侵攻を防ぐため、造られました。

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案内標識は、先程のところは「堀切」で、ここは「切割」となっていますが、どちらも目的は同じようです。

この西側は馬場平という高いところで広場となっています。

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東峰132mに対して、西峰も128mですから、こちらも高いです。

南方がよく見渡せます。

守りの有利ということは、補給路も難しいということですから、武田軍は徳川軍の兵糧攻めには立ち向かうことができなかったようです。

この西端には甚五郎抜け道というのがあります。

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1581年(天正9年)、武田軍の軍監だった横田甚五郎は徳川軍に攻められて、ここから命からがら抜け出して、武田勝頼に落城を告げたということです。

犬戻り猿戻りの険道ともいわれています。

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この尾根道は険しくて、犬や猿も戻ってきてしまうほどだということです。

甚五郎もさぞや苦労して、甲斐国まで戻ったことでしょう。

ここは私には通れないので、通常ルートで北側の搦手門跡に戻ります。

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↑下りで通ってみると、やはり急傾斜だし、三日月井戸のところは急に曲がったりします。

それにしても、こんないい城跡なのに空いているところがいいです。

全く人とはすれ違いませんでした。

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↑山を出て、田んぼの方から振り返って、西の方をみると、確かに尾根が繋がっています。

ここに城があり四百数十年前には、激しい攻防戦が繰り広げられたとは、不思議な思いです。

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