縄文、古墳、小磯城、そして三井別邸もあった大磯のいい景色のところ
大磯にある旧吉田茂邸を、前回は見てまわりましたが、隣接していた神奈川県立大磯城山公園を区域拡張したということでした。
もともとあった公園の方を見に行きます。
どちらも、大磯城山公園ですが、「しろやま」とばかり思っていましたが、「じょうやま」と読むそうです。
↑地図を見ると、国道1号線を挟んで、南(海側)は旧吉田茂邸地区、北(山側)が旧三井別邸地区となっており、実態は別の公園のようです。
明治31年(1898年)、この地が三井財閥本家の別荘地となり、旧三井別邸である城山荘があったところです。
こちらは「じょうざんそう」と読むそうで、日本語は難しい…
小高い丘陵となっており、階段や坂道を登っていくと、展望台があります。
海の見えるいい景色です。
ここには、三井家を表すシンボルとして、三井総領家第10代当主三井高棟(たかみね)が情熱を注いだという城山荘本館のあったところです。
建築家久米権九郎設計の木造建築物で、昭和9年(1934年)に完成しました。
この建物は、全国の28寺社の古材を使用して建設され、歴史的にも非常に価値の高い建物だったようですが、建物は残念ながら残っていません。
富士山も見えるのですが、この日は見えませんでした。
2年前の2月に小田原から江の島までの自転車旅の時にもここに来て、富士山の頂上以外は見えた写真です。↓
ここは昔から人が住みたくなる土地のようで、古くは縄文式土器が出土していますし、古墳時代の多数の横穴墓群が残されています。
室町時代には、小磯城があったとのことです。
大磯ではなく小磯というのも驚きましたが、この辺りの地名は小磯でした。
文明8年(1476年)から文明12年(1480年)にかけて起こった、関東管領上杉氏の有力家臣長尾景春による反乱がありました。
文明9年(1476年)景春の被官・越後五郎四郎がここ小磯城に篭りましたが、太田道灌に攻められ落城したとされます。

↑さて、昭和の旧三井別邸に話を戻すと、建物で残存しているのは「北蔵」だけです。
北蔵は昭和16年(1941年)に石造り、瓦葺屋根で建てられたもので、東京の麻布区今井町本邸にあった茶道具や骨董を入れる倉庫として使われていて、現在は「北蔵ギャラリー」となっています。
さらに、庭園内を見てまわります。
敷地内は高低差を利用した庭園となっており、滝もあります。
小淘綾の滝(こゆるぎのたき)といい、ゆるぎは波の揺れを表しています。
大磯町は、昔は相模国余綾郡(ゆるぎぐん)と呼ばれ、古い歌集では、大磯海岸は「小余綾ノ磯」と詠まれています。
滝からの水が流れる不動池には、多数の鯉が泳いでいます。
庭園には池はつきものです。
こうした池のある風景に安らぎを感じるようになったのは、何歳になったときからでしょうか。
池もいいですが、展望台以外にも景色のいいところはあり、のんびり海を眺めていつまでも座っていたい気分になります。
地元の人にとっては、当たり前の風景のためでしょうか、混みあっていないところがいいです。
城山荘のほかにも、国宝の茶室「如庵」などが建てられていましたが、これも残っていません。
これを模して建設された茶室城山庵(じょうざんあん)はあります。
財閥解体後は、ほとんどの土地が三井家の手を離れ残った土地も放置されていましたが、その後、三井別荘跡地の再利用案として公園化計画が持ち上がりました。
昭和62年(1987年)に公園として整備され部分開園し、平成2年(1990年)に神奈川県立大磯城山公園として正式に開園しました。
割と公園としての歴史は古くないようです。
それにしても、歴史的な建築物がほとんど残っていないのが残念です。
帰りは大磯駅から東海道本線で帰りました。
上野東京ラインが開通して、電車が東京駅行きでなく東北本線や高崎線に直通するようになっており、湘南新宿ラインとともに便利になったなあと感じました。
ところで、「湘南新宿ライン」に対して、「上野東京ライン」という名前はバランスがとれていないのではないでしょうか。
でも、いまさら「湘南新宿ライン」を「池袋新宿ライン」とか「新宿渋谷ライン」には変えられないのでしょう。
だったら、「上野東京ライン」というネーミングをなんとかするべきだったのでは…
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