ローマ風神殿建築にある日本水準原点と、その海抜はどうなっているのか
土地の高さを表すのに、標高何メートルといいますが、その基準はどうなっているのでしょう。
海抜ともいわれ、平均海面から算定しているのはわかりますし、水準点が全国に設置されていることも知っています。
その総本山ともいうべき「日本水準原点」が国会議事堂のすぐ近くにあります。
この「日本水準原点標庫」は、1891年(明治24年)に日本全国の統一された標高の基準とするため設置された水準原点を保護するために建てられたものです。
全国の主要道路沿いにある水準点の高さは、この日本水準原点に基づいて測量されます。
上部をよく見ると、レリーフ装飾がなされています。
↓横書きで右から左に向かって書かれており、「大日本帝国 水準原点」とあります。
国土地理院HPによれば、設置当時のこの水準原点の東京湾平均海面からの海抜は24.5000mとされ、経年による高さの変動がないように基礎が地下10mまで達しているそうです。
しかし、大正12年の関東大震災で地殻変動があり、標高24.4140mに修正され、平成23年の東日本大震災でさらに24.3900mとなりました。
東京湾平均海面は東京都のどこかで測っているかと思っていましたが、神奈川県三浦市三崎の油壺験潮場で測量しています。
昭和45年(1970年)に議会開設80周年記念として、議会制民主主義の一般の認識を深めるために設立され、昭和47年開館しました。
入場は無料です。
憲政の歩みの展示がメインですが、こんなものの現物もありました。
わざわざ「実物の議員席です。」というプレートまでついています。
さらに、衆議院の演壇もあるのですが、なぜかそちらは4分の3の大きさになっています。
スペースの関係でしょうか、せっかくなら実物大にすればいいのに…
再び、外に出ますが、一帯は、江戸時代の初めに加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、幕末には藩主で、江戸幕府の大老でもあった井伊直弼が居住していました。
明治時代になり、参謀本部、陸軍省がおかれていました。
でも周辺は、さすが国会議事堂周辺なので、警察の警備車両が何台もいます。
↓右が日本水準原点や憲政記念館がある北庭、左が庭園のある南庭。
この国会議事堂はそんなに古くありません。
1887年(明治20年)の閣議で現地への建築は決定されていますが、間に合いそうもないので、いくつかの仮議事堂で国会は行われており、大正9年(1920年)に原首相の時、ようやく地鎮祭が行われ着工しました。
さらにその後もいろいろあり、昭和11年(1936年)広田首相の時、ようやく竣工式を迎えています。
建築材料は国産のものを使用し、当時は日本一の高さを誇っていましたが、いまでは周辺にも高層ビルが建って、景観を損ねてしまっています。
しかし、こうして見るとやはり美しい建物ではあります。
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