山口城跡と椿峰分館と狭山湖
所沢市の西武狭山線下山口駅近くに、山口城址という交差点があり、山口城址通りという道路標識もたっています。

その割にはコイン洗車の大きな広告看板ばかりが目立ち、どこが城跡かわからないようですが、下には「山口城址」と書かれた碑も設置されているし、案内板もあります。

山口城は、平安時代末から鎌倉時代、室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれたものです。
山口氏は、保元の乱では源義朝に従軍したと「保元物語」に記載され、一の谷合戦では源義経に従って戦ったと「源平盛衰記」にあり、「吾妻鏡」には源頼朝に従って京に上ったと書かれています。
鎌倉時代の承久の乱では幕府方で活躍し、南北朝時代には南朝方につき戦い、山口高見・高清父子は戦死したと言われています。

当初は館でしたが、次第に土塁や堀が造られ、城郭となっていきましたが、現在は土塁の一部が残されているだけです。

サンキという店舗の敷地の一部に保存されていますが、夏なので草が多く、形状もよくわかりません。

すぐ南には鉄道が通っており、その踏切を渡って見てみると、土塁の形状は見られますが、この石垣は後から設置されたようです。

山口城は、室町時代末には小田原北条氏の支配下となりますが、豊臣秀吉の小田原攻めにより廃城となったようです。
山口城址交差点向こう側のマクドナルドの方から見ると、サンキ店舗のある敷地の一部だけが保存されているのがわかります。

この交差点から、北に向かい坂を登っていくと、椿峰ニュータウンがあり、左に向かいさらに登っていくと、「所沢市立図書館椿峰分館」があります。

蔵書数は児童書をあわせても7万冊ほどであまり広くはありません。
結構な急坂の上にあり、斜面に立地しているので、駐車場は階段下にあります。
また、下には公園がありそちらから見ると、林の中にある図書館のような雰囲気です。
図書館内からは、木々越しに公園が見えます。
また、館内には歴史展示コーナーもあり、山口城や東山道東の上遺跡、鎌倉街道などについても書かれていました。

ここを出て西の方向に向かうと、狭山湖(山口貯水池)があります。
山口はこの辺りの地名となっています。
こちらも多摩湖(村山貯水池)と同様に最近改修工事がされ、堤体がきれいになっています。

多摩湖には多摩湖自転車道もあるので何度も来ていますが、狭山湖は来るのは初めてかもしれません。
※ 多摩湖への旅の記録は、こちら

ただし、堤体上からの景色はかなり似ています。
↑堤体南側からの景色
↓堤体北側からの景色
強いて言えば、多摩湖とは西武ドームの見える方向が違うくらいですか…

この狭山湖の敷地内には、同じく山口氏により築かれ、小田原北条氏により拡張された「根古屋城跡」があります。

↑湖の向こう岸の辺りのようですが、水道用地のため立ち入りはできませんが、遺構としてはかなりの部分が残っているそうです。
ところで、狭山湖に来る機会があまりなかった理由の一つとして、多摩湖自転車道からアクセスするルートが良くない点がありました。

↑現在はこの舗装された道が多摩湖自転車道側から狭山湖の堤体まで繋がって行きやすくなっています。
ただし、その先の、狭山湖の北側の道は相変わらず未舗装でした。
この後、多摩湖自転車道で帰りました。
↓ちなみに、多摩湖の堤体南側から見た西武ドーム

この日の走行距離は31.47km、平均時速は17.65km、消費カロリーは809kcalでした。
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