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11東京23区

2024年11月17日 (日)

田端駅前高低差解消のエレベーター工事と雰囲気のいい南口改札

JR赤羽駅から上野駅辺りまで京浜東北線などの線路は、崖線に沿って通っています。

標高20〜30メートルほどの武蔵野台地の東端と10メートル以下の荒川低地の間の崖線です。

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↑田端駅北口の南西方向を見ていますが、田端駅前通りに面した左端の駅ビル1階から右の建物は3階のところが地表面となっています。

右端に見えるアーチ橋はかなり高いところを通っています。

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↑台地側に行くためには、用もないのに建物内を通過するわけにはいかないですから、構造物となった立派な階段が設置されています。

それでもバリアフリーの観点からの配慮もあり、エレベーターが設置されるようです。

階段を登って、上に行ってみました。

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令和6年11月1日頃から11ヶ月ほど工事のため階段は通行止めとなるということです。

工事開始が遅れているようで、11月上旬になっていましたがまだ通ることはできました。

Tabata

↑北区役所による「田端駅北口周辺の高台側との約10mのバリアを解消」する工事ということで、HPにイメージパースが載っています。

「周辺建物と調和したデザイン」とするそうです。

↓高台側には田端駅南口改札もあります。

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2024年6月23日 (日)

木場から移ったけどもう使われなくなってしまった新木場の貯木場とその暫定利用

地下鉄東西線に木場駅があり、有楽町線、京葉線、りんかい線に新木場駅があります。

今時間違える人もいないでしょうが、かなり距離は離れています。

ご存知の方も多いと思いますが、地名の由来は、かつて貯木場が木場にあり、それが新木場に移転したというものです。

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↑その新木場駅近くには「木材会館」という建物があります。

東京木材問屋協同組合100周年記念事業として平成21年に建てられたもので、木材需要の低迷する中、いかに木材を使って安らぎを感じる魅力的な空間を作るか、地球環境に貢献できる建物が出来るかを探求したプロジェクトだそうです。

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「木材は燃える」という既成概念がありますが重要なのは、材料が可燃かどうかではなく、火災の際に建物が安全かどうかということだといいます。

見かけは木材で燃えそうですが、耐火性能の高い鉄骨鉄筋コンクリート造で構造躯体を形成し、外壁が炎上しても上階へと燃え広がらないように、階の途中に不燃処理を施したファイアーストップ木材を設置することで、火災の拡大を防ぐ構造になっています。

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↑木材会館からもう一つビルを挟んだ背面である、新木場駅南東方向の水辺側には「14号地第一貯木場」があります。

江戸時代から深川の木場にあった木材関連企業が1972年に、この貯木場水面もある「14号埋立地」に移転してきたのが新木場地区です。

現在では、見たところ貯木場としては使われていないようですが、曙運河からは立ち入り禁止の表示があります。

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原木取扱量は昭和48年(1973)をピークに減少しており、ここ以外でも貯木場水面は既に利用転換が次々と図られています。

調べてみたら、夢の島マリーナは旧砂町貯木場でしたし、お台場海浜公園も旧台場貯木場でした。

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↑新木場駅から南への千石橋から南西を見ると、曙運河と左には新木場公園があります。

テントらしきものがありイベントが開催されるのかとも思いましたが、バーベキュー広場として事前予約により貸し出しているようです。

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↑公園の南西側は「旧12号地貯木場」ですが、ここも貯木はされていません。

木材輸入される荷姿が貯木する原木ではなくコンテナに変化して、原木の取り扱い自体が無くなっています。

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↑何やら工事しているように見られますので、こちらも調べてみました。

令和5年12月の東京港第9次改訂港湾計画の審議資料によれば、どうやらここでは、水面が「工事作業船係留水域」として暫定利用されているようです。

こうした工事作業船を一時停めておくスペースも確かに必要でしょう。

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↑終点である有楽町線新木場駅の東側への引き込み線の奥には東京メトロの車庫があるのも新木場地区になります。

こうして木材関連だけでなく陸も海も利用していくのは時代の流れとして必要なことなのでしょう。

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2024年6月 9日 (日)

豊洲千客万来施設の建設前後とゆりかもめ豊洲駅からの延伸

1ヶ月ほど前に乗った日暮里・舎人ライナーと同じように新交通システムである「ゆりかもめ」に乗りました。

正式には「東京臨海新交通臨海線」という名称で、臨海が二度も出てくるのはおかしいですが、株式会社ゆりかもめが以前は東京臨海新交通株式会社という名だったことによるみたいです。

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↑東京ビッグサイト駅から豊洲駅方面に向かうと、路線はすぐに90度ターンしますが、鉄道ではできない直角カーブができるのが新交通システムの利点です。

新橋駅から豊洲駅までの14.7キロを31〜33分ほどで結ぶAGT(Automated Guideway Transit)自動案内軌条式旅客輸送システムです。

やはり、ATO(Automatic Train Operation)自動列車運転装置による無人運転のため、前面展望は抜群です。

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↑市場前駅直前でも90度ターンとなりますが、この周辺では豊洲市場が開場したため以前とは風景が大きく変わりました。

左には、ようやく今年令和6年2月に開業した豊洲千客万来の建物が見えます。

都による築地から豊洲への市場移転への混乱の影響もあり、平成30年には事業者としての万葉倶楽部会長と都知事との直接会談もありました。 

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(平成29年10月当時)

豊洲市場が開業するより前の、平成29年10月に自転車でこの辺りを見て回った時の千客万来施設予定地です。

あの頃は豊洲市場自体の開業が延期され移転日が定まらず、この施設はどうなることかと思っていました。

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(平成29年10月当時)

↑当初は、平成31年(令和元年)8月に商業棟、その翌年に温泉棟が開業する予定でした。

現在のゆりかもめからの写真で正面に見えている豊洲大橋も、閉鎖され通行できない状態でした。

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(平成29年10月当時)

平成30年11月になってようやく、やはり遅れていた環状第2号線の暫定開通に伴い、この橋も通れるようになりました。

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2024年5月12日 (日)

自動運転の日暮里舎人ライナーの急勾配な坂の形とポイント切り替えのやり方

物流の2024年問題としてトラックドライバー不足が話題となっていますが、バスドライバー不足も問題となっています。

車の自動運転の研究や実証実験も行われていますが、既に自動運転されている新交通システムを改めて見てみました。

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日暮里舎人ライナーは、荒川区の日暮里駅から足立区の見沼代親水公園駅間の9.7キロを20分で結ぶ、都営のAGT(Automated Guideway Transit)自動案内軌条式旅客輸送システムです。

↑電車では通常上に張ってある電気の流れる架線は、右側面にある3本です。

ここから動力としての電気が供給されます。

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↑日暮里駅2番線にいる上り方面車両での最前部、つまり下り方面での最後部からの車窓展望ですが、ATO(Automatic Train Operation)自動列車運転装置による無人運転のため、運転席はなく乗客座席となっています。

線路はなく2本あるコンクリート製の走行路をゴムタイムで走ります。

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↑先程いた2番ホームを駅改札口側から振り返って見ていますが、左右にH型鋼でできたガイドレールがあります。

車両にある案内輪がこれと接触して走行していきます。

走行路の中央にあるのは、車両に信号情報等を伝送する電線がカバーに覆われたものです。

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下り車両の最後部に乗って行くと、両側を建物に囲まれながら尾竹橋通りの中央部上空を進んでいきます。

↑やがて、隅田川を渡ると足立小台駅です。

上り勾配を登ってきたのがわかります。

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↑駅を出るとすぐに荒川も渡るのですが、さらに登っていき、この辺りが高さのピークで、ちょうど下り始めるところです。

左側にはスカイツリーも見えています

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2024年4月28日 (日)

池袋駅すぐ近くにあった島田牧場跡地にある池袋の森

池袋にある病院に行く用があり、出かけた時のことです。

駅西口から北へ徒歩5分ほどのところなのですが、すぐ近くには意外と大きな木のある場所がありました。

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周辺は、いかがわしいホテル街で、そこに何棟もある病院も場違いでしたが、この木々も場違いな感じです。

↑南側の入り口は閉鎖されていますが、豊島区と書かれていますから区の施設のようです。

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↑西側の平和通りの方から入れるようになっていました。

あえて探さなければ気づかなそうな入り口ですが、「豊島区立池袋の森」と書かれています。

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よくある区立の公園とは違い、4月から9月でも8時から5時までしか開いていないようです。

10月から3月はもっと短く9時から4時です。

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ここは日本を代表する林政学者で東京大学農学部名誉教授の島田錦蔵氏の屋敷跡だということです。

↑園内ほとんどの樹木は研究用に育てていた当時のもので、左の大きなユリノキは日本にこの樹木が定着する前に、研究のため昭和25年(1952)に植えられたそうです。

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↑ 大きな樹木は他にもあり、左からヒマラヤスギ、コウヨウザン、ラクウショウです。

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2024年2月25日 (日)

ついに撤去されたカリヨンデッキといいアイディアな新宿駅西口駅前広場に建設中の巨大構造物

渋谷だけでなく新宿の街も大きく変貌をし始めました。

小田急百貨店が閉店して解体工事が進み、日々小さくなっていきます。

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↑そんな中の2月21日朝、旧小田急百貨店とハルク(現小田急百貨店)の間の景色に、さらに違和感が感じられました。

カリヨンデッキのブリッジ部分が無くなっているのです。

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↑以前から閉鎖されてはいましたが、先週撮った写真(2月15日)ではこのようにまだあります。

実は、真下には横断歩道もあるし、2階で小田急とハルク間を行き来する機会もあまりなく、渡ることはありませんでした。

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でも無くなるとなると、やはり懐かしさを感じますから不思議です。

↑地下にある西口駅前広場から小田急百貨店の方を見てみます。

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解体工事が進行して建物がどんどん低くなっていることよりも、右には気になるものがありました。

地上から地下へのスロープ上に覆いかぶさるように鉄骨が組まれています。

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↑何やら巨大な構造物を造っているようですが、西側では途切れています。

戻ってから調べたら、東京都都市整備局ホームページによると「仮設構台・スロープ」の整備工事のようです。

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2024年2月18日 (日)

銀座線渋谷駅車庫引込線の移設とJR線路上に建設している構造物

渋谷駅には行くたびに、駅や通路もそして周りのビルも変わっていて、毎回驚かされます。

地下鉄銀座線の線路を移設したときは大きくニュースにもなりました。

細かい話になりますが、渋谷駅から奥の車庫引込線もふと気付いたら少し移設されていました。

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↑駅から西口の渋谷マークシティ下の車庫方向を見ています。

乗客は下りた後なので目立ちませんが、向かって左側にあった引込線が右側に移されています。

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↑逆に駅ホームの方を見てみると、少しだけ、ここにかつてはレールがあったなという残骸?があります。

この車庫引込線の奥、つまり北側を見れば、こちらは何やら大規模な構造物が建設されています。

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銀座線とは垂直に交差しているJR山手線、埼京線の線路の真上に当たります。

昨年11月に山手線を運休して線路位置とホームを高くする工事を最後に、大きな運休はしないと言っていましたが、関係はないのでしょうか。す。

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↑外から見てみようと、まず東口の方に出て、先程いたところを見てみました。

これを見ても重厚な構造物であることしかわかりません。

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↑北側の先端部はまだ先がありそうにも感じられます。

現在複々線の4線ある線路の直上に、さらに線路を増やすとはさすが思えません。

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2024年1月 7日 (日)

船には見えなかったフローティングドックと中防外側埋立地の東と南と西端

首都高湾岸線の東京港トンネルを初めて通った時は、海底トンネルが珍しかったのでワクワクしたものでした。

そうした海底トンネルも今では珍しくもなくなり、東京港にもいくつもの海底トンネルができています。

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↑臨港道路南北線の「海の森トンネル」もその一つで、東京オリンピック前にできたことは聞いたような気もします。

中央防波堤内側と外側埋立地へは、テレコムセンターや青海コンテナ埠頭から行く第二航路海底トンネルがありましたから並行してもう一本できたとは知りませんでした。

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↑海の森公園の東端からは東京ゲートブリッジがよく見えるのではと思い行ってみました。

海の近くの道路までで、直接海岸には近付けません。

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↑すぐ北側の「海の森船着場」の辺りにガントリークレーンのようなものが見えます。

でもちょっと違うようなものにも見えるので近づいて見ます。

両側をコンクリート構造物で囲まれているようですがクレーンも含めた一体構造です。

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「大山1200ー29」と書かれているので調べてみるとフローティングドックでした。

ケーソンを安全確実に製作・進水させるための作業船だそうです。

ケーソンとは、防波堤や堤防を造るための大型の箱状コンクリート構造物です。

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↑振り返った西側には、逆光で見づらいですが、海の森公園や海の森水上競技場、そして海の森大橋も見えるところです。

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2023年12月10日 (日)

新宿西口で進む再開発によるビル解体と新築工事の2023年12月の状況

11月中旬から新宿駅西口地下の歩行者の通り道が変更されています。

西口地下広場と丸ノ内線の間の通路が通れなくなったのです。

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小田急百貨店の解体工事が進められているので、理由はわかっており当たり前のことなのですが、ついに地下まで影響範囲がきました。

↑新宿駅山手線ホームから見ると、小田急百貨店の北側半分は既に無くなっており、向こうが見通せます。

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↑現在の小田急百貨店として営業されているハルクの横から見ても同様です。

今年2月に解体工事が始まったころ、見に来て初めて知った、実は建物は二つに分かれていたことが実感としてわかりました。

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↑西口駅前広場の向かい側からも見ると、見えないはずのスタジオALTAなどが見通せます。

2014年3月に「笑っていいとも」の生放送も終わり、明太子のかねふくの看板ばかり目立ち、すっかり存在感が薄れてますが、しっかり今も新宿駅東口駅前にあります。

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↑小田急百貨店の解体工事現場を、現在もまだ頑張って営業している京王百貨店屋上から見てみました。

北に向かって開けているところはあまりありませんが、かろうじて見ることはできます。

現場目の前の道路も通行車線の位置が変わっています。

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2023年11月 5日 (日)

渋谷本町は昔の渋谷の中心地だったのかとそこにある大隧道通りと不動通り

本町という地名は、現在だけでなく以前のその町や村の中心地である場合に付けられています。

渋谷区の本町は京王線初台駅北側にあり、昔はここが渋谷で栄えていたところだったのかと不思議に思っていました。

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↑行ってみるとそこは住宅街であり、渋谷区立渋谷本町図書館もそんな中にあります。

調べてみると、江戸時代の幡ヶ谷村に本村、中幡ヶ谷、笹塚など5つの小字があり、そのうちの本村等が昭和7年(1932)の東京市編入の時、幡ヶ谷本町になりました。

そして昭和35年(1960)に幡ヶ谷本町が本町になったということでした。

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幡ヶ谷の本村、本町だったものが幡ヶ谷が外れたため、渋谷区にそのまま本町という名で残っているわけです。

そのため、私は勝手に渋谷の本町だったのかと勘違いしていたわけです。

↑その本町図書館西側を南北に通る道路は、Googleマップでは大隧道通りとされており、こちらも何だろうと思いました。

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↑この通りを100メートルほど北に行くと、道路をアンダーパスするトンネルつまり隧道は一応あります。

こちらも調べてみたら、本村隧道というものでした。

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明治時代に淀橋浄水場を作るにあたって同時に作られたものだといいます。

江戸時代からの玉川上水はもう少し南側を流れていましたが、その水を途中の明大前あたりから現在の西新宿の超高層ビル街である淀橋に持ってくるには、自然の地形のままでは水路を作ることができませんでした。

そこで和田堀給水所から築堤で高さを一定にして新水路を作る必要があり、旧幡ヶ谷村が南北に縦断されてしまうので、下には3つの隧道が作られたのです。

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↑本村隧道は明治26年(1893)に竣工したもので、南だけでなく北側から見ても、パルテノン神殿を思わせるような荘厳な造りをしており、全幅は4.5メートルです。

当時作られた3つの隧道の中で現存するのはこの本村隧道だけです。

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