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10南多摩

2024年11月24日 (日)

呼ばわり山という今熊山の今熊神社と安閑天皇の頃とは

最近はそれほど高くない山登りに行くことが多くなってきましたが、今回は今熊山に行きました。

登山口には今熊神社遥拝殿があります。

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今熊神社の創建は、安閑天皇の時代に紀州の熊野本宮大社を勧請して、今熊野宮と号して

祀ったものと伝えられています。

今熊神社は今熊山山頂にあるため、山登りしなくても参拝できるように登山口に遥拝殿があります。

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ここでも既に標高280メートルです。

先月行った小峰公園に近いので、あきる野市かと思っていましたが八王子市上川町になります。

安閑天皇って何時代だっただろうかと考えながら坂道を登っていきました。

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かなり暖かい日だったのですが、今熊山登山道を登っていくと山の中で木陰でもあり、かなり温度は低く感じられます。

↑山の木々も日向と日陰で見え方が全く異なっていて、コントラストがきれいです。

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↑途中にはゴツゴツした岩の上を登るところもあります。

この辺りに天狗岩があったのらしいですが、わかりませんでした。

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↑やがてベンチやトイレもあり、北から東に向け展望も開けたところに着きました。

ここはまだ頂上ではなくあと少し先のようです。

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2024年11月10日 (日)

八王子の昔ながらの絹の道と誰も通らない道了山跨道橋

八王子市鑓水に絹の道資料館があります。

シルクロードといえば、ユーラシア大陸の中国と地中海を結ぶ交易路です。

日本では横浜への絹織物を運ぶルートが「絹の道」です。

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↑生糸商人、八木下要右衛門の屋敷跡に建てられたもので、石垣が立派ですが要右衛門は「鑓水の石垣大尽」と呼ばれていたということです。

建物は復元ではないのですが、庭には排水溝の跡が整備されています。

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展示室内には絹の道や製糸・養蚕に関する資料が展示されています。

近くに、絹の道が未舗装のまま残されており、八王子市指定史跡にもなっているというので行ってみました。

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↑道路を北へ行くと分岐があり、思っていたより坂道のようです。

八王子の中心部から鑓水を通って横浜へ至る浜街道は、輸出用の生糸の流通路となり、「絹の道」と呼ばれるようになりました。

だんだん当時の様子が感じられる薄暗い山道となります。

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昔の面影をよく残す未舗装部分は、文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれています。

官営富岡製糸場もあって絹織物は群馬県という印象が強いですが、なぜ八王子なのという疑問がありました。

江戸時代末期の安政6年(1859)横浜開港により、桑都八王子は脚光を浴びたようです。

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谷戸に囲まれた中で農業や養蚕などを生業としていた鑓水は、外国人遊歩規定で定められた横浜から40キロメートルの圏内に位置することから、日本の養蚕に興味のあった西洋人から注目されましたからだそうです。

江戸時代の旅人は一日に35キロほど歩いたといいますから、40キロという距離感は一日以内の移動距離ということでしょうか。

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2024年9月15日 (日)

読めないけど延喜式にも載る大麻止乃豆乃天神社のある大丸

稲城市にあったという大丸城跡を1年前に見ました

その城跡のある公園には、はるか下の方に向かう長い階段があり、[「大丸神社近道」と書いてあるのは知っていたのですが、行くと再びここを上って来なければと考えて、行ってはいませんでした。

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最近は、自分の体のことも考え、なるべく登り坂や階段には積極的に挑戦するようにしています。

今回はここもあえて下ってみました。

といっても、標高84メートルから42メートルほどのところに行っただけです。

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↑大丸神社というのかと思いましたが、鳥居には「大麻止乃豆乃天神社」とあります。

数多くののぼり旗にも書かれていますが、なんと読むのでしょう。

よく見ると参道右にひらがなで大きく、「おおまとのつのてんじんじゃ」と書いてありました。

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鳥居から先の石段も進むと社殿があり、63メートルほどのところで、大丸城のあった丘の中腹に位置します。

大麻止乃豆乃天神社の創建年代は不詳ですが、平安時代の延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されているといいます。

これまでもいくつか見てきた、多摩郡八座のうちの一社、大麻止乃豆乃天神社の論社とされています。

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ただし、武蔵御嶽神社も論社とされており、そちらの方が有力ともいわれています。

大丸の方は江戸時代には、丸宮社・丸宮明神と称していました。

「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味ではないかと考えられています。

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2024年9月 8日 (日)

ついに登れたファインタワーからの景色と都市景観大賞のファインヒルいなぎ向陽台

昨年の年明けには稲城市にある、なんちゃって城跡である城山公園に行きました

その時、また昨年夏にも行こうとしたのに入ることの出来ないところがありました。

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城山公園にある「ファインタワー」という名の展望台です。

↑水の広場という標高83メートル地点から階段を登った先にタワーがあります。

タワーの地盤面で既に標高111メートルになります。

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↑ファインタワーは鉄骨造の塔で、高さ24メートルあります。

説明板があるのですが、金属製で鏡のようにこちら側が反射してしまうので斜めに撮影です。

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ファインタワーという名称にちょっと不思議さを感じますが、昭和63年10月完成とありますから、あと3ヶ月で昭和が終わる頃の空気感でしょうか。

多摩ニュータウンというと、多摩市と八王子市のイメージが強いのですが、稲城市と町田市にも区域は及んでいます。

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その稲城市分の名は「ファインヒルいなぎ」といいます。

標高127メートルのファインタワー展望台まで登るとさすがに景色は良く、南方にそのファインヒルいなぎ光陽台地区が広く見渡せます。

↑南西、↓南

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美しい景観を目的に、丘陵の地形に合わせて建物の高さが低層から高層となるように住宅が整備されました。

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2023年9月24日 (日)

7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社

前回、予想を上回る素晴らしさの町田市の三輪城跡を見てまわりましたが、そのすぐ横の坂道には遺跡がありました。

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三輪白坂横穴群で町田市指定史跡になっています

崖面に横穴を掘った古墳時代における有力者のお墓です。

この崖が凝灰岩のような白っぽい岩石なので白坂なのか、城坂から来ているのかどちらかなのでしょう。

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三輪白坂横穴群は二つの群13基あり、この第一支群は6基あります。

鶴見川のすぐ近くですが、三輪城を築こうとするくらいですから高低差のある地形です。坂道の途中の斜面で標高50メートルほどのところに位置します。

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内部には川原石が敷詰められて、遺骨とともに刀子や須恵器が発見され7世紀に造られたと想定されます。

見学できるのはこの2基だけです。

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↑この東の鶴見川に沿った崖には第二支群の7基があり標高35メートル付近に位置します。

この鶴見川すぐ下流沿いの三輪小学校があります。

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開校前の発掘調査では、町田市内では珍らしい弥生時代後期の住居址二軒土器二個を組み合わせた墓などが発見されました。

斜面に立地しているため、高い位置の裏門側に案内板だけがありました。

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2023年9月17日 (日)

三輪城、沢山城は公的なものには出てこないが土塁や空堀の残る素晴らしい城跡

町田市三輪に沢山城または三輪城といわれる城跡があります。

町田市ホームページなどには載っていないので知りませんでしたが、近くに行った際に立ち寄ってみました。

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沢谷戸自然公園の北側の山の中にあるということです。

公園内からの登り口を探しても見つかりませんでしたが、南西端の入り口の奥にそれらしき階段があります。

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公園とのフェンス沿いの雑草の多い通路を登っていくと、横には小さな墓地などがあります。

さらに、蚊に刺されながらクモの巣をよけ、ヘビに注意しながら半信半疑で進むと、これは城跡らしいと感じられるものがありました。

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↑両側は土塁で間には空堀のようです。

しかも、想像していた以上に深く立派なものです。

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↑少し行くと、三輪七面山の山主名で、団体の方はお戻り下さいという立札があり、ここは民有地であることがわかります。

テレビ等の取材や犬の散歩もやめるよう書かれています。

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↑お参りするつもりなので行かせてもらうこととして、二の郭と思われる高台に一旦登ると、その先の鳥居の奥に再び下り階段があります。

その低くなった先はまた高くなっています。

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↑この低いところは空堀のようです。

右側である南に向けては公園がある方向で、下り急斜面になっています。

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2023年7月16日 (日)

実は城山公園だけでなく本当の城跡もある稲城市大丸城と円形をした都営住宅

半年ほど前に行った稲城市向陽台にある城山公園は、大丸城跡なのかと思いきや、なんちゃって城跡でした。

でも、本当に大丸城はあったということなので、そちらに行ってみました。

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↑奥に見える多摩川の是政橋の右岸側、南武線南多摩駅からさらに少し南になります。

↑道路に架かる城山橋から見て、左方が城山公園や稲城市立中央図書館、右方が大丸城のあったところです。

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↑山城らしく斜面を登っていかなくてはなりません。

木々が生い茂っているので暑さよりも、夏のこの時期は蚊やハチ、マムシなどに注意が必要です。

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稲城市だけでなく、多摩市、八王子市などで昭和の終わり頃、多摩ニュータウン開発のため大規模な造成工事が行われました。

ここのような風景の広がる地区だったのでしょうが、この周囲は中高層建築物や戸建て住宅が多数あります。

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↑やがて、標高100メートルほどのところに予想外の舗装された、ベンチのある狭い広場にでます。

しかし、大きな木々があり景色は見えませんし、隙間から見えるのは遠方ではなく目前のマンションです。

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↑ここから上は斜面の崩落予防のためかコンクリート打設されていますが、10メートルほど先の上には登ることも出来なくなっています。

大丸地区開発の造成工事時の際に発掘調査が行われ、里山の頂上に空堀に囲まれた本曲輪があり、その外側に二の曲輪、三の曲輪のある山城だったことがわかっています。

しかし、そのまま開発が進められたので今ではどこが何やらわかりません。

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2023年7月 2日 (日)

橋からの想像とは全く違った景観を見せる長池公園と多摩よこやまの道西端

四谷見附橋を移設した長池見附橋を前回見てきましたが、この橋は長池公園に架けられてています。

橋から見ると、下には姿池という人工的な池があり西洋式の公園が整備されています。

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ネオバロック様式の橋に似合うように造られたのでしょう。

実は長池公園の中ではここは特殊な部分であり、全体像はここから想像するものとは違っています。

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池と池の間にある築堤のような高いところから見ると、自然いっぱいの和風の公園のような景色になります。

とはいえ、木々が生い茂る風景は洋の東西を問わないはずですから、和風とはいえないのかもしれません。

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↑長池公園は農業用のため池であった、築池と奥にある長池を中心に、小川や湿地、雑木林が残された自然保全型公園です。

面積は20ヘクタールあり、姿池や長池見附橋のある区画は北方の一部分です。

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↑南に奥に進んでいくと長池があり、まさに自然いっぱいの風景です。

この池には長池伝説が語り継がれています。

武蔵国の城主小山田太郎高家に輿入れした浄瑠璃姫がいました。

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延元元年(1336)湊川の戦いで高家が討ち死にしたため、薬師如来像を背負い、侍女らと共に長池に身を投じたといいます。

その後、蓮生寺の住職が長池に光る薬師如来像を見つけ、薬師堂を建て供養したということです。

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2023年6月25日 (日)

四ツ谷駅前の四谷見附橋を見ることができる多摩ニュータウンの長池見附橋

多摩ニュータウンは計画的の造られた街なので、歩車分離されており人も車も通りやすくなっています。

機能優先ばかりな訳でなく、デザインの美しい橋がありました。

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京王堀之内、南大沢、小田急の唐木田駅の中間になります。

住所では八王子市別所2丁目辺りになります。

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長池見附橋といいますが、江戸城近辺でもない、こういった場所で名前に「見附」とついているのには、理由があるようです。

この橋は四ツ谷にあった四谷見附橋が移設されたものだからです。

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旧橋は撤去解体するのが惜しい、美しい橋であったため、この多摩ニュータウンの長池公園内に再架橋されたのです。

旧橋は甲州街道(国道20号)が、今のJR中央線を跨ぐのに架橋されたのは大正2年(1913)です。

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当時、国賓が東京駅や皇居から迎賓館に向かう際の通り道であることもあり、デザインにも力を入れたようです。

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旧四谷見附橋は平成3年(1991)に道路拡幅のため架け替えられました。

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2023年1月29日 (日)

立派な山城らしいのになんちゃって城跡の稲城市の城山公園

城山公園は各地にありますが、いずれも築城者などは不明であっても何らかの城跡であることが一般的です。

そのつもりで、稲城市向陽台にある城山公園に行ってみました。

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多摩川から近くですが多摩丘陵にあり、城山公園前交差点の標高は78メートルです。

↑歩道橋につながるデッキから山城らしい登り坂があります。

しばらく登るとファインタワーがあります。

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展望台になっているのですが閉まっており、5月から10月の日曜祝日の午後しか開いていないようです。

景色に期待して登ってきたのでちょっと残念です。

雪深い山中ではないのだから、夏のみとか季節は関係ない気がしますが。

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↑表示板によると高さ24メートル、地盤面の高さ111メートルとありますから、ここに真っ直ぐ上がってくる階段から南方にはいい眺めです。

下の水の広場は83メートルとありましたから、この階段から登ってくるのはきつそうです。

タワーの下の「五の丸」と書かれた石柱が気になりますが、こちらには何の説明板もありません。

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↑このタワーの裏側には北方に向けて、さらに山坂道を登っていけます。

道は途中二つの分かれているので、まず左側に行きました。

左側も雑木林ですがフェンスがあり入っては行けません。

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石標があるので見てみると、陸軍用地境界標です。

そして横田基地などで見かけたWARNINGの表示板です。

やはりここも在日米軍基地と書かれており、多摩サービス補助施設なのです。

日本陸軍多摩火工敞がGHQに接収されたものです。

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