多摩川に翻弄された青柳村の常夜燈と稲荷神社、どちらかわからない青柳2号墳
平成19年(2007)に日野バイパスができるまでは国道20号として甲州街道であった、都道256号八王子日野線沿いの国立市青柳に「元青柳村の常夜燈」があります。
江戸時代の寛政11年(1799)のものです。
常夜燈とは聞き慣れたものですが、案内板によれば、秋葉燈とも呼ばれるということで、江戸時代に町を火から守るために油屋近くに建てられたものだそうです。
秋葉というのは火伏せの神である秋葉神社への信仰です。
常夜燈といいながら形は石灯籠です。
↑甲州街道沿いですから、現在の街灯の役割だとばかり思いましたが、関係あってか無くてか、脇には鳥居があります。
多摩川や府中用水のある南に向いた道の左右には民家への入り口があり、この参道は古くから地元に使われていたことがわかります。
↑車は通れない参道の先に二の鳥居があり青柳稲荷神社です。
宝暦5年(1755)に創建されたといいますが、ここに青柳村が存在するにあたって重たい経緯があったそうです。
青柳は昔から多摩川北岸のここ国立市青柳にあったわけではなく、多摩川南岸の現在の府中市本宿の青柳島にありました。
寛文11年(1671)多摩川の大洪水によって青柳島が流失したため、村人たちは四ツ谷村を経てこの地に移住し、新たに青柳村を開拓したということです。
国立市石田も同じ時、府中市石田から移住してきたようです。
青柳稲荷神社は青柳と石田の鎮守でした。