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神社

2020年6月14日 (日)

東久留米市八幡町の由来となっている八幡神社は新田義興が勧請か前沢御殿とともに造営か

八幡町という地名は全国各地にありますが、ほぼ八幡神社があることが由来となっています。
東久留米市にも八幡町があり、八幡神社があります。
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前沢八幡神社とも言われています。
古くから八幡宮と呼ばれていたようですが、詳細は不詳です。
狛犬の奥で見づらいですが、灯篭は明暦元年(1655)造立されたといいます。
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鎌倉時代末期の南北朝時代の武将である新田義興が元弘年間(1331〜34)に勧請したとされ、新田大明神だったともいいます。
新田義興とは新田義貞の次男です。
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↑手水舎の水盤は文化4年(1807)のものとありました。
アジサイがきれいです。
紫陽花の花は色が変わるのが不思議ですが、土のpH値の影響で酸性だと青くなるのだそうです。
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江戸時代、前沢村に尾張藩の鷹場御殿が造営された正保元年(1644)から延宝4年(1677)の頃に創建されたともいいます。
歴史ある神社ですから、境内には数多くの大木があります。

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2020年6月 7日 (日)

武蔵野とは何処のことなのかを小平市にある武蔵野神社で考えてみる

小平駅と花小金井駅の中間にある西武新宿線の青梅街道踏切の近くに、武蔵野神社があります。
武蔵野というと吉祥寺のある武蔵野市がまず浮かびますが、ここは小平市です。
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国語辞典によれば、東京都と埼玉県にまたがる洪積台地で、南は多摩川から北は川越市あたりまで広がるとあります。
そう考えれば、小平市の武蔵野神社があってもおかしくはありません。
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武蔵野といえば、国木田独歩の随筆や、野口五郎の歌う「むさし野詩人」も浮かびます。
その歌詞にも出てくる「武蔵野公園」は、小金井市と府中市にまたがっています。
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しかし、wikiによるとこの「むさし野公園」は井の頭恩賜公園をイメージしているといいます。
作詞した人にどうなのか確認したいものです。
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改めて歌を聞いてみたら「映画帰りにここまで来たね」とあります。
となると、野川や東八道路に近い武蔵野公園ではなく、映画館のある吉祥寺駅に近く、武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園がこの歌の舞台なのでしょう。
調べていたら、作詞家にも驚きました。

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2020年5月31日 (日)

あきる野市雨間の明神山という200段もの石段の上にある雨武主神社

あきる野市雨間にある雨武主神社、なんと読むのかと思いましたが、アメムシュと読みます。
異動前の仕事では、アンブッシュマーケティングになるかならないかを気にしていたので、ついアンブッシュと読んでしまいたくなります。
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↑この一ノ鳥居らしきものは、実はニノ鳥居だそうです。
すぐ先の三ノ鳥居のところには賽銭箱があります。
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あまり見かけなく不思議に思えますが、社殿まで行けない人のためにあるのでしょうか。
数段の石段の参道を進むと、先にはとてつもなく長い石段があります。
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雨武主神社は196段もの石段の上にあるのです。
これを登らなくてもお参りできるようにと、賽銭箱が鳥居のところにあるのでしょう。
途中の踊り場ではハアハアして休憩しながら登っていきます。
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ようやく到着すると、まずは神楽殿があります。
↑その右が登ってきた階段になります。
↓その参道である石段の正面に、雨武主神社の社殿があります。
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山の頂上のようなところに社殿はあります。
創建年代は不詳ですが、天正年間(1573~92)といわれています。
こんなに登ってきたのですから、振り返って景色を見てみます。

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2020年5月24日 (日)

都内に2箇所しか残っていない蔵敷高札場と2つの本殿があるような厳島神社

江戸時代に禁制や法令を伝えるための板札である高札を掲げたところを高札場といいます。
当時はそこらじゅうにありましたが、現在は都内に二箇所しか残っていません。
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↑その一つが蔵敷高札場で、東京都旧跡に指定されています。
慶長8年(1603)の年貢に関する高札が最初に掲示されたものといいますが、この年は徳川家康が江戸幕府を開幕した年ですから驚きです。
青梅街道沿いにありますが、蔵敷のバス停の待合所のようなイメージで、これまで気付きませんでした。
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高札場とはもっと大きな高いものだと思い込んでいましたが、この蔵敷のものは比較的小さめです。
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蔵敷高札場の近くの青梅街道沿いに厳島神社という看板があり、こちらも気になっていました。
↑狭山丘陵に登っていくところに蔵敷厳島神社の鳥居があります。
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↑鳥居をくぐると、参道の石段です。
以前は弁天社といわれ、創建は永禄12年(1569)または天正6年(1588)とされています。
前回見た蔵敷熊野神社と同様に、内野家と小嶋家文書で若干の違いがあるようです。
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石段を登り切ると社殿があります。
こちらが本殿のようですが、両脇にはなぜか階段があります。

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2020年5月17日 (日)

数少ない聖徳太子信仰の太子堂のあるクラシキではないゾウシキと蔵敷熊野神社からの眺望

かつては、一万円札にも五千円札にも肖像画が描かれていた聖徳太子はとてつもない偉人であり、しかも超人であるように習ってきました。
しかし、今ではあの絵のモデルはそもそも本人か不明として、「伝聖徳太子画像」とされています。
実在しなかったかもしれないともいわれ、少なくとも厩戸皇子、厩戸王と書かれています。
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↑以前はヒーローですから、ここには江戸時代に聖徳太子を信仰する太子堂があり、「蔵敷太子堂」として東大和市史跡に指定されています。
多摩郡山口領では太子堂はここだけにしかないそうです。
山口領とは、現在の東大和市、武蔵村山市、東村山市一帯と一部の周辺市の範囲です。
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この裏は狭山丘陵になっており、上には神社らしきものが見えますから行ってみました。
蔵敷は、クラシキと読むものと思い込んでいましたが、ゾウシキだそうです。
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そこには、蔵敷熊野神社があります。
丘陵の斜面に建てられており、急な石段の上にあります。
鳥居後ろの石碑には、武蔵国多摩郡蔵敷村、村社熊野宮と書かれています。
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明治15年に鳥居、石階、石橋が造られたと刻まれているようです。
↑参道左には、もう一つ別の参道もあるようです。
まずは、右側の石段を登ります。

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2020年4月26日 (日)

本殿に三面ある江戸時代の彫刻を見ることができる大和田氷川神社

4月25日から5月6日までの「ステイホーム週間」前の先週末のことです。
新座市のOSCデオシティ新座に近い柳瀬川沿いには、多くの人が散歩などをしていました。
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外とはいいながらも、この人道橋の上などは「3密」が心配となるような感じでした。
所用で行った新座市大和田のこのすぐ近くに、氷川神社があるというので立ち寄ってきました。
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↑道路である埼玉県道113号川越新座線からの入口には赤い神橋があり、蓋掛けされていますが間に水路があったようです。
大和田の氷川神社は、縁起によると延暦21年(802)の創建といわれる神社です。
平安時代初期ということになります。
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↑赤い三ノ鳥居は、両部作りといわれるものでした。
この氷川神社のある大和田一帯は、古くから鎌倉幕府の支配する土地である国衙領だったそうで「大和田郷」といわれていました。
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↑狛犬のすぐ奥には、さらに一対の狛犬がいますが、こちらは江戸時代のもののようです。
拝殿には、やはり氷川神社だなあと感じられる太く立派な注連縄が飾られていました。
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↑入母屋造りの本殿は、江戸時代の享和年間に再建されたものです。
正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付けています。
さらに、この本殿には素晴らしい彫刻があり、しかも見ることが出来ます。

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2020年4月19日 (日)

西新宿にある銀世界稲荷という名の神社と2年前の記憶とのつながり

平日の西新宿に行きましたが、やはり人通りはかなり少ないです。


私も外出自粛したかったですが、仕事だったのでそうもいきませんでした。


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↑パークハイアット東京が高層階にある新宿パークタワーの敷地内に神社があります。


その名も、銀世界稲荷神社という不思議な名称です。


さほど広くはないものの、きれいに整備されています。


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平成6年(1994)に52階建ての超高層ビルとともに建てられたそうです。


両脇にいるキツネさんも現代的な顔をしています。


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江戸時代、この辺りには大名の下屋敷があり、春先には一面が銀世界のように梅の花の咲く名所だったそうです。


それに因み、ここに鎮座した神社は「銀世界」という名がついているそうです。


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↑石の手水鉢もちゃんとあり、ビルとともに管理されていますから水も流れています。


ところで、西新宿の銀世界といわれると、どこかで聞いたことがあるような気がしていました。


家に戻って調べてみると、2年前のことだとわかりました。

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2020年4月 5日 (日)

清瀬市下宿にあるのに上宮という名の上宮稲荷神社

急に暖かくなり3月20日頃に一気に咲いた東京の桜は、その後に寒い日が続いたせいか、2週間経ったのに花がまだ咲いています。

また、風に舞い散る花びらもキレイです。

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清瀬市下宿の旭が丘交番交差点前のこの高台には神社があります。

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鳥居には上宮稲荷神社と書かれています。

東京都神社名鑑によると、鎮座地が下宿の上なので上宮稲荷と称せられているということです。

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上、下という名は、川沿いや街道沿いにあるようですが、ここでは何をもって「上」なのでしょうか。

近くには空堀川と合流した柳瀬川が流れていますが、清瀬市下宿という地域内でのこの位置から見れば、この神社のあるところは上流側になります。

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それで上なのでしょうか。

そう考えてみると、「下宿」というのも気になってきます。

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2020年3月29日 (日)

富士見市にある関東に2つしかないという阿蘇神社は境内社が数多い

埼玉県富士見市東大久保の道路を車で走っている時に、「鎮守阿蘇神社入口」という看板を見かけました。

阿蘇神社とは珍しいなと立ち寄ってみました。

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関東には、羽村市とここにしかないそうです。

富士見市の観光パンフに、そのように書かれていました。

松の木が立派だなと思い参道を進むと、手水舎の横にある境内社がいくつも並んでおり印象的でした。

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神社の説明板には境内社の名として、八坂社、山神社、子安社、疱瘡社、稲荷社、琴平社と書かれています。

阿蘇神社の祭神は阿蘇比女之命(アソヒノミコト)といい、女性の神です。

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阿蘇神社という名から、阿蘇山が御神体なのかと思っていましたが、神武天皇の孫が神となる神話があるようです。

そして、こちらの祭神は、そのストーリーにある健磐龍命の妃となります。

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↑拝殿と覆殿と隙間から見える本殿は趣があります。

さらに、この参道の左にも鳥居があって、もう一本の参道があります。

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2020年3月15日 (日)

茶畑の中のこんもり林にある三輪神社とそこにあった渋沢栄一書の記念碑

入間市西部には「茶どころ通り」という道路もあるくらいで、広大な茶畑が広がっています。

そうした茶畑の中に、こんもりとした林があります。

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↑埼玉県から「ふるさとの森」に指定されています。

入間市三輪神社社叢ふるさとの森です。

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↑その名の通り、三輪神社の境内林になります。

ここは地名も中神といいます。

かつて琵琶を弾く翁と媼がいて、村人は国津神と敬い、村を中神村、ここを比和野と呼んだそうです。

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承平6年(936)藤原秀郷が狩りの際に彼らに出会うと、宇賀彦、宇賀姫であるといわれ、ここに比和野大明神として社を建立したといいます。

万次2年(1659)には三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社を勧請して、社号を三輪大明神と改めたそうです。

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万延元年(1860)に拝殿を改築する時に書かれた天井絵は幅約6.1メートル、奥行き約3メートルの雲竜の墨絵で、入間市指定有形文化財となっています。

拝殿、幣殿、本殿と並ぶ立派な社殿です。

こんな茶畑の真ん中に?と思うくらい素晴らしいところです。

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