フォト
無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

神社

2019年8月11日 (日)

大和時代はどうかとしても平安時代にはあった狭山市の廣瀬神社と樹齢400年のねじれた梅の木

狭山市にある廣瀬神社は、社伝によれば創建は古く、3世紀の大和時代の景行天皇の御代、日本武尊東征の折だといいます。

ここを流れる入間川が大和国広瀬の地によく似ていることから、廣瀬神社から分社したとのことです。

Img_9285-500x375

しかし、元の大和国の廣瀬神社の創建が天武天皇の頃といいますから、ちょっとあり得なさそうな話でです。

そうは言うものの、嘉祥3年(850年)の文徳天皇実録には、武蔵国廣瀬神社が記載されているといいます。

Img_9286-500x375

これまでもいろいろ見てきた延喜式内の神社では、中氷川神社のようにいくつかの候補があるケースも多いようですが、ここは違うようです。

廣瀬神社は入間郡五座の一つですが、ここ以外にはないようです。

Img_9291-500x375

延長5年(927年)に延喜式神名帳は書かれていますから、平安時代にはこの神社はあったということです。

↑拝殿の御神号額は明治の三筆といわれた野村素介によるものです。

Img_9303-375x500

↑御神木の大欅二本も古く、樹齢900年と1000年といい、高さ30メートルです。

埼玉県指定天然記念物となっています。

そして、ねじれた不思議な松の木もありました。

続きを読む "大和時代はどうかとしても平安時代にはあった狭山市の廣瀬神社と樹齢400年のねじれた梅の木" »

2019年7月28日 (日)

富士見市の武蔵野台地の端に突き出た氷川神社とそこにある湧水

国道254号線バイパス沿いに沿っては、ららぽーと富士見、またすぐ隣には市役所もあります。

この辺りは、武蔵野台地が舌状台地となって突き出た部分との間の高低差を見ることが出来ます。

Img_9281-500x375

↑鶴瀬駅のある南西方向に向けては、道路も登り坂となっており、高さの差は10メートルほどになっています。

奥に見える木々の生い茂ったところは、氷川神社の鎮守の杜となっています。

Img_9271-500x375

道路を挟んで、諏訪神社とこの氷川神社は向かい合っています。

どちらも、古代の住居址が数多くあるところに建立された神社です。

Img_9273-500x375

↑狛犬は溶岩の上にいて迫力があります。

獅子山というそうです。

Img_9277-500x375

↑拝殿にはネコが昼寝していましたが、割とこれは日常的な風景だそうです。

創建は不明ですが、江戸時代の正徳元年(1711)に社殿が再建されたという棟札が現存しています。

Img_9262-500x375

↑参道の途中には、下に向けて降りて行く階段があり、「雲居の瀧」と書かれています。

本当に滝があるのでしょうか。

続きを読む "富士見市の武蔵野台地の端に突き出た氷川神社とそこにある湧水" »

2019年7月21日 (日)

以前は滝山城跡にあり北条氏照によって移された蔵王権現社であった丹木御嶽神社

国道411号線滝山街道沿いの小高い丘の上に御嶽神社があるというので行って来ました。

八王子市丹木町の滝山城跡のすぐ近くなのですが、登り口が分かりませんでした。

Img_9253-500x375

Googleマップにも載っていませんでしたが、南側からのルートの見当をつけて行ってみました。

Img_9234-500x375

↑急な上り石段があります。

村社御嶽神社と書かれています。

Img_9237-500x375

↑途中で後ろを振り返っても急坂であることが分かります。

やがて南東方面からのもう一つの参道につきます。

Img_9240-500x375

ここを左に行くと、御嶽神社本殿です。

その歴史は古く、往古蔵王権現社と称し高月村にあり、今の滝山城跡山頂に蔵王堂が鎮座していたと言います。

Img_9243-500x375

社の立は推古天皇代(595年)といいますから、滝山城があるはずもない頃の話です。

藤原時代の康平2年(1059年)源義家が社を再興し社殿を新築したといいます。

その後、現地への移転が行われることになります。

続きを読む "以前は滝山城跡にあり北条氏照によって移された蔵王権現社であった丹木御嶽神社" »

2019年7月14日 (日)

崖の上にあり豊富な湧水となぜか神社もある日野市立中央図書館

JR中央線の豊田駅近くにある日野市立中央図書館のすぐ裏は木々があり林となっています。

そして、そこは崖となっています。

Img_9207-500x375

図書館建物の裏に行けるようになっており、そこには八幡神社があります。

Img_9209-500x375

その図書館の木々の生い茂った裏庭のようなところから南側は、崖になっています。

Img_9227-500x375

日野市には数多くの湧水がありますが、ここもその一つがあります。

「中央図書館下湧水」といい、毎秒17リットルの水が湧き出ているそうです。

Img_9217-500x375

この左からも既に水が流れて来ていますが、すぐ先のコンクリートと地面の隙間から流れて来ています。

Img_9219-500x375

崖の林にしみ込んだ水が大量にあるのでしょう。

図書館下湧水は、東京都環境局による東京の名湧水57選の一つに入っています。

この南側から図書館に向かうには、鳥居をくぐって行くという不思議な風景となっています。

続きを読む "崖の上にあり豊富な湧水となぜか神社もある日野市立中央図書館" »

2019年7月 7日 (日)

本富士警察の名前の由来となった本郷にある富士浅間神社と東大内の庭園

文京区本郷に本富士警察という警察署があります。

左隣にある消防署は本郷消防署という名称ですから、警察はなぜ「本富士」なのか不思議でした。

Img_9159-500x375

これまで存在に気付いていなかった神社がすぐ近くのビルの隙間にありました。

そこにあった文京区教育委員会による説明板で謎が解けました。

Img_9154-500x375

ここは明治5年(1872)から昭和40年(1965)まで「本富士町」という町名だったといいます。

なぜかというと、加賀藩本郷邸の跡地であった東京大学本郷キャンパスに「富士浅間神社」があったからだそうです。

Img_9166-500x375

江戸時代には「椿山」と呼ばれる小丘があり、それが「富士山」「富士塚」などと呼ばれ、富士浅間神社が祀られていました。

現在のこの位置ではなく、数百メートルほど離れた東大赤門を入った右側の辺りだそうで、今では面影はありません。

ではここになぜこの場所に神社があるかというと、明治維新により加賀藩本郷邸は明治4年に国に接収されましたことによります。

Img_9163-500x375

そのため、前田家は旧加賀藩邸の南西一角に移転し、祀られていた富士浅間神社もその敷地内に移転しました。

さらに前田家が昭和3年に駒場へ移転して、地元の町会がここを管理しているという経緯だそうです。

Img_9162-500x375

↑神社の道路を挟んだ向かい側には、いいチャーチゴシックの建物があります。

「日本基督教団本郷中央教会」で、昭和時代の建物ですが、東京都登録有形文化財となっています。

また、本富士警察署のすぐ奥にある東大の竜岡門横には、東京都選定歴史的建造物があります。

続きを読む "本富士警察の名前の由来となった本郷にある富士浅間神社と東大内の庭園" »

2019年6月23日 (日)

今はもう誰も13号地とは呼ばなくなった臨海副都心の埋立地にあるアクアシティお台場神社

神社といえば、歴史的に古くからある町や村にあるものと思われます。

お台場のある臨海副都心は、昭和時代に東京湾を埋め立てたところに開発された街ですから、神社なんて無いと思っていました。

Img_9134-500x375

↑でも、アクアシティお台場の6階から7階へのエスカレーターの上り口に鳥居があります。

何らかのイベントのためのものかとも思いましたが、7階に到着した所にも鳥居があります。

Img_9135-500x375

ニノ鳥居ということでしょうか。

そして、その横にはおみくじの販売機があり、おみくじ結び所もありました。

ちなみにおみくじは100円のようです。

Img_9147-500x375

7階は最上階ではありませんが、屋上があり外に出られるようになっています。

外には予想通りに三ノ鳥居があり、「お台場アクアシティ神社」という名の神社があります。

形だけの「なんちゃって神社」なのではなく、芝大神宮から御神霊を分けていただいているものです。

Img_9142-500x375

芝大神宮は、東京十大神社の一つであり、古くから「関東のお伊勢さま」と親しまれているといい、御祭神は天照皇大御神、豊受大神です。

屋上とはいえ、手水鉢もあり、周囲に木々も植えられています。

そして、ここは何と言っても借景も素晴らしいです。

続きを読む "今はもう誰も13号地とは呼ばなくなった臨海副都心の埋立地にあるアクアシティお台場神社" »

2019年6月 9日 (日)

多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道

多摩湖の南西の端近くの多摩湖自転車歩行者沿いに富士塚があるというので行って来ました。

外からでは分かりづらいですが、少し高い山が築かれています。

Img_9077-500x375

入口も分かりづらいのですが、ここは谷津仙元神社の北西側からの入口というか参道になります。

住居表示では武蔵村山市中藤ですが、谷津は地名のようですから以前の小字だったのでしょうか。

入っていくと神社の社殿があります。

Img_9078-500x375

その横には教育委員会による案内板があり、市指定無形民俗文化財の谷津仙元神社富士講の説明があります。

これは富士講を信仰行事として続けている都内でも数少ない団体だそうです。

Img_9081-500x375

↑右には谷津仙元富士塚への登り口があります。

神社社殿前の石碑には「身禄山仙元神社」と書かれていましたが、谷津地区に富士講を伝えた富士講中興の祖 食行身禄からついているようです。

Img_9083-500x375

↑頂上は平らな少し広い空間となっており、そこには祠があり、「浅間神社」と書かれています。

読みは同じ「せんげん」ですが、仙元と浅間の違いがありちょっと不思議です。

この日は天気も悪く木々も生い茂っていて見られませんでしたが、ここは標高150メートルほどで本物の富士山が見えるそうです。

Img_9087-500x375

↑先程の南東側からの登山道の他にも、この南西側からの登山道などのいくつかの登り口があります。

上の写真は分かりづらいかもしれませんが、急な上り坂です。

不思議なことに、富士塚とは関係のない、神社社殿の南の方角に向けて謎の道が真っ直ぐに続いていきます。

続きを読む "多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道" »

2019年6月 2日 (日)

所沢市三ヶ島にある中氷川神社の方が延喜式に記載されている神社なのか

前回は、平安時代の延喜式にも載っていたという所沢市山口にある中氷川神社に行って来ました。

ところが同じ所沢市内に同じ中氷川神社があり、こちらも延喜式に記載されていたという神社であるというので、2週連続で所沢市に向かいました。

Img_9072-500x369

埼玉県道179号所沢青梅線沿いの早稲田大学所沢キャンパスの近くにあります。

鳥居の横にはやはり「延喜式内中氷川神社」と書かれており、住宅の間に西に向けて細長い参道が続きます。

Img_9062-500x375

拝殿前の案内板には「延喜式」神名帳に記載される「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と伝える古社であると書かれていました。

境内が、北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところからかつて当社は長宮とも称されていたといいます。

Img_9063-500x375

↑拝殿向背には虎の彫刻、光背柱には獅子と龍、水を吐いている龍、花の彫刻等も多数あります。

覆殿の隙間から本殿を見ることが出来ます。

Img_9065-500x375

本殿は一間造りで、側面や扉をはじめ、柱や梁などに至るまで、龍や獅子などの細かな彫刻が施されています。

江戸時代の建築美を今に伝える貴重な文化財となっているといいます。

左側からの方がよく見ることが出来ました。

続きを読む "所沢市三ヶ島にある中氷川神社の方が延喜式に記載されている神社なのか" »

2019年5月26日 (日)

GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という

以前から前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線沿いの所沢市山口にある中氷川神社です。

Img_9032-500x375

「武蔵国三氷川中乃社」とあります。

3つの氷川神社の真ん中にある中氷川神社ということでしょうか。

Img_9038-500x375

↑一ノ鳥居を抜け、南から北に向かう参道の階段を上り、ニノ鳥居も抜けると、参道は西に向かう階段となります。

約3500坪の狭山丘陵の杜ということですから、小高い山すべてが境内となっているようです。

Img_9040-500x375

「延喜式内祈年國弊社」とも書かれていましたから、平安時代の延喜式に記載されていた神社ということになります。

入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守とうことで、かなり広範囲の総鎮守です。

本殿は大社造で、昭和22年(1945年)に造営されたものですが立派で、心の御柱25尺です。

Img_9044-500x375

本殿造営の少し前である、終戦直後の昭和20年(1945年)11月に連合国軍総司令部(GHQ)が、ここ中氷川神社の臨時例大祭を視察しました。

なぜここが選ばれたのかの経緯は分かりませんでした。

続きを読む "GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という" »

2019年5月12日 (日)

青梅街道の元となる石灰を運んだ成木街道がわかる都指定史跡で有形文化財の成木熊野神社

青梅街道は江戸時代に整備された五街道の一つでもなく、距離も短い割には有名な主要街道となっています。

改めて考えてみれば不思議な話です。

何で東京というか江戸と青梅を結んだ青梅街道がこうした位置付けになったかを知ることができました。

Img_8954-500x375

青梅市の成木地区の都道193号線沿いの小高い山のところに、いい感じの神社がありました。

成木熊野神社は小田原北条氏に属していた木崎美作が、元亀2年(1571年)に紀州熊野権現をこの地に勧請したものと伝えられています。

Img_8959-500x375

↑鳥居から拝殿までには184段の石段があり、天明元年(1781年)に石灰石を切って造られたものです。

白土つまり消石灰は城の漆喰壁の材料として用いられ、ここ成木は良質なものの生産地でした。

Img_8958-500x375

↑鳥居の左側には旧鳥居が保存されており、これは木崎平七が発願し、江戸や村々の石灰窯主などの寄進により文政2年(1819年)に建立されたものです。

石造扁額とともに成木道(石灰の道)との関連を示しているといいます。

Img_8971-500x375

↑拝殿と覆屋は大正6年(1917年)に建立されたものです。

戦国時代には小田原北条氏の八王子城跡からも漆喰が見つかったといいます。

江戸時代になると、徳川家も江戸城の壁塗りにこの成木産の石灰を利用しました。

御用石灰として江戸まで運搬する道が成木道、成木街道で、それが後の青梅街道の元となります。

Img_8970-500x375

↑絵馬殿は文化5年(1808年)に建立されたもので、旧本殿の覆屋でした。

覆屋建て替えの際に絵馬殿として流用したそうです。

これらの成木熊野神社境域が東京都指定史跡となっています。

現在の覆屋の隙間からは本殿を見ることができます。

続きを読む "青梅街道の元となる石灰を運んだ成木街道がわかる都指定史跡で有形文化財の成木熊野神社" »

より以前の記事一覧