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神社

2019年6月23日 (日)

今はもう誰も13号地とは呼ばなくなった臨海副都心の埋立地にあるアクアシティお台場神社

神社といえば、歴史的に古くからある町や村にあるものと思われます。

お台場のある臨海副都心は、昭和時代に東京湾を埋め立てたところに開発された街ですから、神社なんて無いと思っていました。

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↑でも、アクアシティお台場の6階から7階へのエスカレーターの上り口に鳥居があります。

何らかのイベントのためのものかとも思いましたが、7階に到着した所にも鳥居があります。

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ニノ鳥居ということでしょうか。

そして、その横にはおみくじの販売機があり、おみくじ結び所もありました。

ちなみにおみくじは100円のようです。

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7階は最上階ではありませんが、屋上があり外に出られるようになっています。

外には予想通りに三ノ鳥居があり、「お台場アクアシティ神社」という名の神社があります。

形だけの「なんちゃって神社」なのではなく、芝大神宮から御神霊を分けていただいているものです。

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芝大神宮は、東京十大神社の一つであり、古くから「関東のお伊勢さま」と親しまれているといい、御祭神は天照皇大御神、豊受大神です。

屋上とはいえ、手水鉢もあり、周囲に木々も植えられています。

そして、ここは何と言っても借景も素晴らしいです。

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2019年6月 9日 (日)

多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道

多摩湖の南西の端近くの多摩湖自転車歩行者沿いに富士塚があるというので行って来ました。

外からでは分かりづらいですが、少し高い山が築かれています。

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入口も分かりづらいのですが、ここは谷津仙元神社の北西側からの入口というか参道になります。

住居表示では武蔵村山市中藤ですが、谷津は地名のようですから以前の小字だったのでしょうか。

入っていくと神社の社殿があります。

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その横には教育委員会による案内板があり、市指定無形民俗文化財の谷津仙元神社富士講の説明があります。

これは富士講を信仰行事として続けている都内でも数少ない団体だそうです。

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↑右には谷津仙元富士塚への登り口があります。

神社社殿前の石碑には「身禄山仙元神社」と書かれていましたが、谷津地区に富士講を伝えた富士講中興の祖 食行身禄からついているようです。

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↑頂上は平らな少し広い空間となっており、そこには祠があり、「浅間神社」と書かれています。

読みは同じ「せんげん」ですが、仙元と浅間の違いがありちょっと不思議です。

この日は天気も悪く木々も生い茂っていて見られませんでしたが、ここは標高150メートルほどで本物の富士山が見えるそうです。

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↑先程の南東側からの登山道の他にも、この南西側からの登山道などのいくつかの登り口があります。

上の写真は分かりづらいかもしれませんが、急な上り坂です。

不思議なことに、富士塚とは関係のない、神社社殿の南の方角に向けて謎の道が真っ直ぐに続いていきます。

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2019年6月 2日 (日)

所沢市三ヶ島にある中氷川神社の方が延喜式に記載されている神社なのか

前回は、平安時代の延喜式にも載っていたという所沢市山口にある中氷川神社に行って来ました。

ところが同じ所沢市内に同じ中氷川神社があり、こちらも延喜式に記載されていたという神社であるというので、2週連続で所沢市に向かいました。

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埼玉県道179号所沢青梅線沿いの早稲田大学所沢キャンパスの近くにあります。

鳥居の横にはやはり「延喜式内中氷川神社」と書かれており、住宅の間に西に向けて細長い参道が続きます。

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拝殿前の案内板には「延喜式」神名帳に記載される「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と伝える古社であると書かれていました。

境内が、北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところからかつて当社は長宮とも称されていたといいます。

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↑拝殿向背には虎の彫刻、光背柱には獅子と龍、水を吐いている龍、花の彫刻等も多数あります。

覆殿の隙間から本殿を見ることが出来ます。

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本殿は一間造りで、側面や扉をはじめ、柱や梁などに至るまで、龍や獅子などの細かな彫刻が施されています。

江戸時代の建築美を今に伝える貴重な文化財となっているといいます。

左側からの方がよく見ることが出来ました。

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2019年5月26日 (日)

GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という

以前から前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線沿いの所沢市山口にある中氷川神社です。

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「武蔵国三氷川中乃社」とあります。

3つの氷川神社の真ん中にある中氷川神社ということでしょうか。

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↑一ノ鳥居を抜け、南から北に向かう参道の階段を上り、ニノ鳥居も抜けると、参道は西に向かう階段となります。

約3500坪の狭山丘陵の杜ということですから、小高い山すべてが境内となっているようです。

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「延喜式内祈年國弊社」とも書かれていましたから、平安時代の延喜式に記載されていた神社ということになります。

入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守とうことで、かなり広範囲の総鎮守です。

本殿は大社造で、昭和22年(1945年)に造営されたものですが立派で、心の御柱25尺です。

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本殿造営の少し前である、終戦直後の昭和20年(1945年)11月に連合国軍総司令部(GHQ)が、ここ中氷川神社の臨時例大祭を視察しました。

なぜここが選ばれたのかの経緯は分かりませんでした。

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2019年5月12日 (日)

青梅街道の元となる石灰を運んだ成木街道がわかる都指定史跡で有形文化財の成木熊野神社

青梅街道は江戸時代に整備された五街道の一つでもなく、距離も短い割には有名な主要街道となっています。

改めて考えてみれば不思議な話です。

何で東京というか江戸と青梅を結んだ青梅街道がこうした位置付けになったかを知ることができました。

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青梅市の成木地区の都道193号線沿いの小高い山のところに、いい感じの神社がありました。

成木熊野神社は小田原北条氏に属していた木崎美作が、元亀2年(1571年)に紀州熊野権現をこの地に勧請したものと伝えられています。

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↑鳥居から拝殿までには184段の石段があり、天明元年(1781年)に石灰石を切って造られたものです。

白土つまり消石灰は城の漆喰壁の材料として用いられ、ここ成木は良質なものの生産地でした。

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↑鳥居の左側には旧鳥居が保存されており、これは木崎平七が発願し、江戸や村々の石灰窯主などの寄進により文政2年(1819年)に建立されたものです。

石造扁額とともに成木道(石灰の道)との関連を示しているといいます。

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↑拝殿と覆屋は大正6年(1917年)に建立されたものです。

戦国時代には小田原北条氏の八王子城跡からも漆喰が見つかったといいます。

江戸時代になると、徳川家も江戸城の壁塗りにこの成木産の石灰を利用しました。

御用石灰として江戸まで運搬する道が成木道、成木街道で、それが後の青梅街道の元となります。

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↑絵馬殿は文化5年(1808年)に建立されたもので、旧本殿の覆屋でした。

覆屋建て替えの際に絵馬殿として流用したそうです。

これらの成木熊野神社境域が東京都指定史跡となっています。

現在の覆屋の隙間からは本殿を見ることができます。

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2019年4月 7日 (日)

所沢の東川の源泉を探してヤギと三ヶ島八幡神社の桜を見る

所沢市内を西から東に流れている東川は、桜の名所になっており満開です。

ひがしかわではなく、あずまがわと読みます。

この東川の源泉を目指してみました。

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関越道所沢インター周辺では柳瀬川に合流しており、国道463号浦和所沢バイパス、西所沢からは県道179号所沢青梅線にほぼ沿って流れています。

狭山湖周辺に源泉はあるようです。

↑その所沢青梅線下田橋から南の上流方向へは道路に沿って流れています。

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 ↑やがて畑の間に入っていきます。

道と私有地の区分が分かりづらいのですが、グーグルマップを見るとここは道のようです。

小高い丘のところで2つに別れています。

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というか正しくは2つの流れがここで合流しています。

右側は沿っては行く道が無いので、まずは左側の流れを上流に向かいます。

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水の量はかなり少なくなっています。

畑と道路の間、民家と畑の間を流れています。

グーグルマップではこの道路の手前が上流端のようですが、まだ先に流れはあります。

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ここの桜はまだ満開とはなっていませんでした。

この先は民有地のようなので勝手に入るわけにもいきません。

ところで、先程からメーという鳴き声が気になります。

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↑川の左側にある道路を進むと、そこにはヤギがいました。

しかし、この道路も行き止まりとなっており、先に進めません。

さらに左に大回りする道路は山?の向こう側を通っていますから、やはり川の上流には行くことは出来ません。

残念ですが、ヤギの声で少し和んだ気分になり、もう一方の流れの上流を探します。

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2019年3月31日 (日)

貢物を調製するから三ツ木村にある和銅創立だという十二所神社

武蔵村山市三ツ木の青梅街道近くに十二所神社があります。

峰という交差点の近くを少し北に向かったところにあります。

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 この神社は、天照大御神をはじめとする天神七代、地神五代からなる十二代の大神が祀られているところから十二所神社とよばれています。

多摩湖のある狭山丘陵の麓からの斜面の上にあります。

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↑階段を上ると正面に社殿があります。

和銅年間(一説には和銅元年)に創立されたと言われています。

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↑拝殿はまさか創建当時のものではありませんが、いつ再建されたかは分かりませんでした。

和銅といえば708年から715年ですから、和銅元年は708年ということになります。

なんとキレイな平城京の710年よりも前と考えると、驚かされます。

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↑本殿もいい感じの木造建築物です。

和同でないのかと思いましたが、和銅という銅塊が献上されたことを祝い和銅に改元され、それで作られたのが和同開珎といいます。

この地区は三ツ木という名称ですが、この由来も面白いものでした。

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2019年3月17日 (日)

東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説

旧所沢街道を通る西武バスのバス停に「日月神社」という名のところがありますが、通りに面していないので、どころにあるか知りませんでした。

それが道路のすぐ近くにあることを知りました。

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↑「にちげつ」ではなく、「じつげつ」と読むそうです。

柳瀬川の北側の河岸段丘のところにあるため、社殿に向けては高台になっています。

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階段を昇ると、御神木とともに「蜻蛉(とんぼ)の寄生木」という伝説が記されています。

それというのは、この秋津村に無理難題を言って家臣を困らせていた殿様がいて、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じましたが、1つ足りませんでした。

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怒った殿様が、ここで「神の力があるのなら、蜻蛉を、御神木の欅(けやき)の股から別の種類の木にしろ。出来なかったら祠をつぶす。出来たらもう無理難題は言わない」と言って、御神木に蜻蛉を投げつけてしまいました。

この御神木と社殿は同一の高台の上にあります。

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祭神は大日孁貴尊と月読尊ということで、日月神社です。

武蔵国秋津村の鎮守でしたが、武蔵国が柳瀬川を境に南北に、東京都と埼玉県へと分離されてしまいました。

一ヶ月程前に見たように、秋津町は東京都東村山市の地名ですが、ここの地名は埼玉県所沢市北秋津です。

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2019年3月10日 (日)

多摩市諏訪は連光寺村の一部であった馬引沢のさらに一部だったところ

多摩ニュータウンの中でも多摩市諏訪や永山は、一番最初の昭和40年代に開発された地区です。

京王線や小田急線の永山駅ができる前に入居が開始されたので、当時は陸の孤島であり、バスで通勤通学するしかなく大変だったといいます。

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↑京王永山駅のすぐ北側の多摩消防署交差点から北東の諏訪1丁目方向を見ています。

現在は消防署は建替工事が行われているようで、ここにありません。

多摩市になる前の多摩町・多摩村の小字馬引沢から、多摩ニュータウンのための区画整理により諏訪などが分離されました。

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↑諏訪越通りを登り、坂を下ると多摩馬引沢交差点です。

左右に通る都道18号府中町田線の向こうは、現在も馬引沢という地名です。

2020年8月9日の東京オリンピックにおける自転車競技ロードレースのコースは、この奥の馬引沢北通りから来て、この都道を右へと進みます。

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こんなところを!とびっくりですが、本当なのです。

↑ところで、馬引沢という名の川は現在もあり、馬引沢ではなく諏訪1丁目を流れています。

諏訪神社の前なのですが、上流方面は急な斜面となっています。

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↑この奥は先程通った諏訪越通りの下を潜る暗渠となっているようです。

沖ノ谷戸から流れているようですが見つけられませんでしたので、諏訪神社を見てみます。

この辺りの諏訪という地名の由来は、この諏訪神社なのでしょう。

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↑鳥居にも諏訪神社とだけ書かれていましたが、検索してみると連光寺諏訪神社がヒットしました。

なぜ連光寺なのかを調べてみました。

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2019年2月24日 (日)

平安時代からの秋津町の村の鎮守と鉄道係員養成所と東村山市と所沢市の都県境にある住居表示の混乱

西武池袋線の秋津駅といえば、JR武蔵野線の新秋津駅へのちょっと不便な乗換駅というイメージでしょうか。

秋津町は、秋津駅が清瀬駅の次だし、まあ清瀬市にあるのだろうと思っていました。

ところが行ってみたら、東村山市に属しているようです。

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↑そんな秋津町に「氷川神社」があります。

よく街中にある神社かと思ったら驚くほど歴史は古いようです。

弘仁九年(818年)といいますから平安時代、秋津村真言宗竜泉寺に氷川社があり、秋津村の村の鎮守として祀られていました。

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↑現在の拝殿は昭和59年のもので、入母屋造りで屋根は銅板葺です。

江戸時代には南秋津村の鎮守、明治時代には村社となっていました。

御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)といいますから、天照大神の弟で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名です。

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↑本殿は流れ造りで銅板葺です。

鉄筋コンクリード造りとなっています。

このすぐ近くには、「西武研修センター」という建物がありました。

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その表示板には「鉄道係員養成所」とも書かれていましたから、西武鉄道の研修所のようです。

西武池袋線からさほど離れていないし、電車運転の練習のための引き込み線がないかと思い、周囲を見て回ってみました。

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