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富士塚

2019年6月 9日 (日)

多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道

多摩湖の南西の端近くの多摩湖自転車歩行者沿いに富士塚があるというので行って来ました。

外からでは分かりづらいですが、少し高い山が築かれています。

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入口も分かりづらいのですが、ここは谷津仙元神社の北西側からの入口というか参道になります。

住居表示では武蔵村山市中藤ですが、谷津は地名のようですから以前の小字だったのでしょうか。

入っていくと神社の社殿があります。

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その横には教育委員会による案内板があり、市指定無形民俗文化財の谷津仙元神社富士講の説明があります。

これは富士講を信仰行事として続けている都内でも数少ない団体だそうです。

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↑右には谷津仙元富士塚への登り口があります。

神社社殿前の石碑には「身禄山仙元神社」と書かれていましたが、谷津地区に富士講を伝えた富士講中興の祖 食行身禄からついているようです。

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↑頂上は平らな少し広い空間となっており、そこには祠があり、「浅間神社」と書かれています。

読みは同じ「せんげん」ですが、仙元と浅間の違いがありちょっと不思議です。

この日は天気も悪く木々も生い茂っていて見られませんでしたが、ここは標高150メートルほどで本物の富士山が見えるそうです。

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↑先程の南東側からの登山道の他にも、この南西側からの登山道などのいくつかの登り口があります。

上の写真は分かりづらいかもしれませんが、急な上り坂です。

不思議なことに、富士塚とは関係のない、神社社殿の南の方角に向けて謎の道が真っ直ぐに続いていきます。

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2019年5月19日 (日)

東村山市役所近くにある平和塔公園の境塚、あちら側にあるという浅間塚と今後は見られないであろう景色

前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

東村山市役所や東村山警察署前の府中街道西武新宿線踏切を渡ったすぐ西のところに、平和塔公園があります。

階段の付いた小さな山があるだけの公園で、この名称も不思議でした。

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↑この小山は「境塚」というようで、東村山市教育委員会による説明板があります。

江戸時代に幕府は武蔵野原の新田開発をすすめましたが、延宝、元禄年間には入会地の開墾をめぐって幕藩領主層と自立農民との対立も起りました。

延宝8年(1680)には「境目絵図」がつくられたり、その後村々にはこのような境塚が築かれたということです。

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境塚の上には、昭和36年に平和の女神像が立てられたのでこの公園の名前となったようです。

ここは元「大塚」で、今はなき「小塚」も近くにあったそうです。

説明板には「あちら側にある」という表現で、浅間塚についても書かれています。

しかし、「あちら側」が頂上からも見えないので、住宅街を探し回ってみました。

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↑北の方にそれらしきものがありました。

禁止という看板が見えたので入れないのかと思いましたが、立ち入り禁止ではなく、はりがみ禁止のようで南東側には登れるように階段がありました。

この浅間塚のところにも東村山市教育委員会による説明板がありました。

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この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれているということです。

江戸時代の文化文政の頃から各地に富士山を模した富士塚も築かれましたが、これは違うようです。

でも、祠はあります。

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2019年4月29日 (月)

平成最後の週末に平成新道を走り、立川の金比羅山に行く

ここ数ヶ月間というもの、「平成最後の」というフレーズが何でもかんでもついていて、聞き飽きるほどです。

とはいうものの、本当に平成があと数日しかないとなると、なんか記念になるところに行っておきたくたくなります。

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「平成新道」という道路が立川にあります。

五日市街道、都道7号線杉並あきる野線の立川市幸町にある「古民家園入口」交差点から北に向かう市道です。

道路名表示板の右端が直角になっていることから、ここが起点部であることがわかります。

進むと、200メートル程でこんもりした森があり、平成新道は西へと向きを変えます。

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↑ここにあるのは川越道緑地です。

かつて川越に向かう道があったのでしょうか。

平成新道は西に向きを変えたので、五日市街道に並行して進むこととなります。

そして隣には、最初の交差点名にもあった古民家園があります。

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↑正しくは川越道緑地古民家園といいますが、園内に移築復元された、立川市指定文化財の小林家住宅などががあります。

小林家住宅は、江戸時代末期に建てられた茅葺の民家ですが、枯山水風に手入れされた庭の方が気に入りました。

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↑平成新道は時折S字カーブを描きながら西へと進みます。

先にある信号は幸福祉会館前という、幸せそうな名前のところです。

道は1キロメートル程の所で芋窪街道、都道43号立川東大和線と交差します。

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ここは多摩モノレールが通っているところです。

せっかくならモノレールが通った時をと思い、この写真を撮るため結構待ちました。

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↑モノレールの桁を潜ると、立川柏町団地沿いのツツジが綺麗です。

この平成新道は全長3キロメートル位しかありません。

都道55号所沢武蔵村山立川線との交差点が、平成新道の起点または終点となります。

道路名表示板の左端が直角になっていることからも、わかります。

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2019年2月10日 (日)

清瀬市にあるけど東久留米市民に管理運営されている三角山と言われる下里富士

野火止用水沿いに「三角山」というバス停があります。

ここには三角山と言われている「下里富士」があります。

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↑南西から見ると、ここだけが高台となっており、富士塚として築かれたことがわかります。

ここにある浅間神社は、南沢氷川神社によって管理されていると書かれています。

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東久留米市内の神社は、ほとんどこの南沢氷川神社によって管理されています。

神社HPには市内神社紹介に、神職が兼任して務める11社の神社の一つとして、旧下里地区の「浅間神社」も記載されています。

ただし、これはちょっと変です。

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↑階段沿いにある「富士浅間神社年中行事」も、「下里氏子会」によって記されています。

下里は東久留米市の地名で、野火止用水の南側が東久留米市、北側が清瀬市になり、ここはその北側ですから清瀬市に存在します。

河川であれば改修工事により流路が変わって、旧河川の境界が残ることがありますが、野火止用水は江戸時代から真っ直ぐに掘られていたと思われます。

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↑同じく階段をさらに登ると、大正14年と記された「富士太々講」による碑が立っています。

階段の向きに対して斜めに立っているのは、富士山の方向を向いているからなのでしょう。

ということは、頂上から富士山が見られるということなのでしょうか。

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2018年12月 9日 (日)

白子川の河岸段丘にある武州白子熊野神社の黄葉と富士塚

練馬区から北に向け白子川が流れていることは知っていましたが、和光市に白子という地名があることは知りませんでした。

板橋区と和光市の都県境を流れ新河岸川に合流する白子川の名前の由来のようです。

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↑その川越街道と東武東上線の間、駅でいうと成増駅と和光市の中間に熊野神社があります。

背後は林になっているので分かりづらいですが、急斜面となっています。

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この神社は白子村の鎮守として栄え、創建年は不明ですが社伝によれば約1000年前といいます。

白子は江戸時代には川越街道の宿場町として栄えていたそうです。

熊野神社本殿に向かって右側、方角としては北側には富士塚があります。

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鳥居があり、富士嶽神社となっています。

入り口にはいくつもの碑があります。

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ハチに注意との表示もありますが、いつもどう注意すればいいのか考えてしまいます。

まあ今は寒くなってきたので安心です。

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↑しばらく登ると、登山道は左に折れ、ここにも鳥居があります。

右にも何かあるのでしょうか。

見ての通り、すぐ奥はマンションが建っています。

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2018年7月 1日 (日)

負けたから白旗を揚げたのではない白旗塚のある小手指ヶ原古戦場跡と誓詞橋

小手指といえば、西武池袋線の行先としてよく見聞きする名前で、昭和45年(1970年)に小手指駅と車庫ができました。

小手指行きの電車が走り始めた時は、まだ子どもだったので「こてさし」とは読めずに何て読むのだろうと思っていました。

小手指というと、もう一つ歴史上有名なのが小手指ヶ原古戦場です。

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小手指駅からはだいぶ離れていて、国道463号線所沢入間バイパスの少し南側にあります。

小手指ヶ原は元弘3年(1333年)に鎌倉に攻め込むため目指す新田義貞軍とそれを迎え討つ鎌倉幕府軍が最初に衝突した古戦場と伝えられています。

↑ここには小手指ヶ原古戦場碑が建てられています。

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鎌倉街道が通っていたため、この辺りではこの一回だけでなくしばしば合戦が行われており、小手指ヶ原というはここだけでなく周辺一帯のことのようです。

↑碑の西に向けては、林の中のいい感じの小道があり、その60m程先には白旗塚があります。

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白旗というと、負けた時に掲げる旗というイメージがありますから、ここで敗戦した軍の話かと思ってしまいます。

しかし、白旗塚は新田義貞がこの塚上に源氏の旗印である白旗を掲げたということから名付けられています。

でも、新田義貞は鎌倉幕府を倒したのに源氏なのかという疑問が次に湧きました。

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調べてみると、新田義貞の正式名は源義貞と言うのだそうです。

確かに、当時の鎌倉幕府は源氏というより、執権である北条氏の幕府というものですから、幕府を攻める方が源氏でも構わないということでしょうか。

でも、やはり混乱します。

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↑塚の頂上には白旗塚碑とともに、石祠の浅間神社がありました。

塚が富士山みたいですから江戸時代以降の富士講の富士塚として、頂上に浅間神社が設けられているのでしょうか。

さらに、この周囲の様子を見てみます。

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2018年4月22日 (日)

久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚

東村山市には久米川町という地名があります。

西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。

その久米川町五丁目には熊野神社があります。

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旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。

熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。

創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。

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↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。

この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。

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↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。

趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。

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↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。

また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。

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東村山市史跡に指定されています。

富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。

登ってみましょう。

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2018年2月18日 (日)

枕草子にも出てくる堀かねの井の本命なのか、堀兼神社の堀兼の井

古くから和歌に詠われる「ほりかねの井」ではないかと言われる狭山市北入曽にある「七曲井」は昨年5月に行きました

同じ狭山市内で2kmほど東に離れたところに、その名も「堀兼の井」があります。

しかも、地名も「堀兼」で堀兼神社の敷地内にあるといいます。

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道路から一歩中に入ると、趣きのあるいい雰囲気です。

神社の敷地内はどこも空気が凛としています。

まず隋身門、両側には二神像があります。

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この創建は不明のようですが、万延元年(1860年)に神像を塗り替えたという記録があるので、少なくとも江戸時代後期までは遡れます。

建造物として狭山市指定文化財です。

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↑門をくぐり階段を上って行くと本殿があります。

社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、水がなく苦しむ住民を見て、富獄(富士山)を遥拝し、井戸を掘らせたところ水を得ることができたため、浅間社を祭ったとのことです。

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↑本殿の傍らにある説明表示板にも、堀兼神社(富士浅間社)と書かれていました。

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↑下に戻ってみると、この社殿に上ってくる階段はもう一つありました。

こうして見ると富士塚のようにも見えます。

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↑その通りで、このもう一つの登り口の手前には、下浅間神社があります。

しかも、下には「一合目」という表示もあります。

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↑登り道の途中には小御嶽神社があり、やはり「五合目」との杭があります。

現在では堀兼神社となっていますが、かつては浅間社だったようです。

それでは、そろそろ堀兼の井を見てみましょう。

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2018年1月21日 (日)

西新宿駅のすぐ近くの成子天神社にある富士塚からの眺めとクランク形状敷地での再開発

地下鉄丸ノ内線の西新宿駅のすぐ近く、青梅街道沿いに100mほどで成子天神社の参道があります。

北に向かう参道の左にはマンションが迫りますが、右側は開発されておらず低層住宅などが並びます。

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奥に見える神門の左右には風神雷神像があります。

つい最近の平成26年に成子天神社全体が再整備されたようで、本殿も含めすべて新しいものです。

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↑さすがに西新宿ということで、本殿の左には先程とは別のマンション、奥にもマンション、右は社務所です。

江戸時代中期より江戸庶民の間で盛んになったという富士信仰のための富士塚がこの敷地内にあります。

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しかも、江戸時代でも明治時代でもない、大正9年(1920年)に築かれたという新宿区内では最後に築かれた冨士塚だといいます。

成子天神社内にあった天神山という小山に溶岩を配して築いたそうです。

3か月前に見た清瀬市中里の富士塚と違うのは溶岩があるところですが、この方がより富士山らしく見えます。

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↑途中からは結構急斜面となり、小さなお子様やお年寄りは危険なので登頂禁止と書かれています。

高さは12mでこれは新宿区内では一番高い富士塚となるそうです。

新宿区登録文化財史跡です。

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↑先程の東側からだけでなく、この西側からも登山道はありますが、こちらも急なので、男坂女坂という区分けでもなさそうです。

それでは、いよいよ山頂からの景色を見てみましょう。

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2017年10月15日 (日)

200年前の文化文政に築かれた清瀬市中里の富士塚は都指定文化財にもなっており登ってみる

富士山は古くから信仰対象の山であり、江戸時代中期には富士山登拝が盛んだったといいます。

当然、電車や自動車のない時代ですから、実際の富士登山は日程的にも経済的にも厳しいし危険でもあることから、代わりに各地に富士塚が築かれました。

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清瀬市中里にある富士塚は、東京都指定有形民俗文化財になっています。

時代としても、まさに文化文政年間(1804年〜1830年)の築造と考えられていますから、もう200年程前のこととなります。

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北側の鳥居を潜ると、登山道が九十九折にあります。

ここでは今でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されており、こちらは無形民俗文化財に指定されています。

途中、一合目から九合目までを記した小さな石柱があります。

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↑登山していくと、やがて頂上が見えてきました。

江戸時代の後、明治7年(1874年)に2m程かさ上げされ、現在の高さは約9mだそうです。

九合目まで来ると山頂が見えます。

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山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑があります。

この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社をかたどったものだそうです。

石祠にある文政8年(1825年)に築かれたのかと思いますが、この年に再築したという伝承があるので、文化文政年間築というように明確にはなっていないようです。

山頂からの景色を見てみます。

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