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富士塚

2018年7月 1日 (日)

負けたから白旗を揚げたのではない白旗塚のある小手指ヶ原古戦場跡と誓詞橋

小手指といえば、西武池袋線の行先としてよく見聞きする名前で、昭和45年(1970年)に小手指駅と車庫ができました。

小手指行きの電車が走り始めた時は、まだ子どもだったので「こてさし」とは読めずに何て読むのだろうと思っていました。

小手指というと、もう一つ歴史上有名なのが小手指ヶ原古戦場です。

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小手指駅からはだいぶ離れていて、国道463号線所沢入間バイパスの少し南側にあります。

小手指ヶ原は元弘3年(1333年)に鎌倉に攻め込むため目指す新田義貞軍とそれを迎え討つ鎌倉幕府軍が最初に衝突した古戦場と伝えられています。

↑ここには小手指ヶ原古戦場碑が建てられています。

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鎌倉街道が通っていたため、この辺りではこの一回だけでなくしばしば合戦が行われており、小手指ヶ原というはここだけでなく周辺一帯のことのようです。

↑碑の西に向けては、林の中のいい感じの小道があり、その60m程先には白旗塚があります。

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白旗というと、負けた時に掲げる旗というイメージがありますから、ここで敗戦した軍の話かと思ってしまいます。

しかし、白旗塚は新田義貞がこの塚上に源氏の旗印である白旗を掲げたということから名付けられています。

でも、新田義貞は鎌倉幕府を倒したのに源氏なのかという疑問が次に湧きました。

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調べてみると、新田義貞の正式名は源義貞と言うのだそうです。

確かに、当時の鎌倉幕府は源氏というより、執権である北条氏の幕府というものですから、幕府を攻める方が源氏でも構わないということでしょうか。

でも、やはり混乱します。

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↑塚の頂上には白旗塚碑とともに、石祠の浅間神社がありました。

塚が富士山みたいですから江戸時代以降の富士講の富士塚として、頂上に浅間神社が設けられているのでしょうか。

さらに、この周囲の様子を見てみます。

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2018年4月22日 (日)

久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚

東村山市には久米川町という地名があります。

西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。

その久米川町五丁目には熊野神社があります。

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旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。

熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。

創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。

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↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。

この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。

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↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。

趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。

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↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。

また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。

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東村山市史跡に指定されています。

富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。

登ってみましょう。

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2018年2月18日 (日)

枕草子にも出てくる堀かねの井の本命なのか、堀兼神社の堀兼の井

古くから和歌に詠われる「ほりかねの井」ではないかと言われる狭山市北入曽にある「七曲井」は昨年5月に行きました

同じ狭山市内で2kmほど東に離れたところに、その名も「堀兼の井」があります。

しかも、地名も「堀兼」で堀兼神社の敷地内にあるといいます。

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道路から一歩中に入ると、趣きのあるいい雰囲気です。

神社の敷地内はどこも空気が凛としています。

まず隋身門、両側には二神像があります。

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この創建は不明のようですが、万延元年(1860年)に神像を塗り替えたという記録があるので、少なくとも江戸時代後期までは遡れます。

建造物として狭山市指定文化財です。

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↑門をくぐり階段を上って行くと本殿があります。

社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、水がなく苦しむ住民を見て、富獄(富士山)を遥拝し、井戸を掘らせたところ水を得ることができたため、浅間社を祭ったとのことです。

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↑本殿の傍らにある説明表示板にも、堀兼神社(富士浅間社)と書かれていました。

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↑下に戻ってみると、この社殿に上ってくる階段はもう一つありました。

こうして見ると富士塚のようにも見えます。

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↑その通りで、このもう一つの登り口の手前には、下浅間神社があります。

しかも、下には「一合目」という表示もあります。

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↑登り道の途中には小御嶽神社があり、やはり「五合目」との杭があります。

現在では堀兼神社となっていますが、かつては浅間社だったようです。

それでは、そろそろ堀兼の井を見てみましょう。

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2018年1月21日 (日)

西新宿駅のすぐ近くの成子天神社にある富士塚からの眺めとクランク形状敷地での再開発

地下鉄丸ノ内線の西新宿駅のすぐ近く、青梅街道沿いに100mほどで成子天神社の参道があります。

北に向かう参道の左にはマンションが迫りますが、右側は開発されておらず低層住宅などが並びます。

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奥に見える神門の左右には風神雷神像があります。

つい最近の平成26年に成子天神社全体が再整備されたようで、本殿も含めすべて新しいものです。

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↑さすがに西新宿ということで、本殿の左には先程とは別のマンション、奥にもマンション、右は社務所です。

江戸時代中期より江戸庶民の間で盛んになったという富士信仰のための富士塚がこの敷地内にあります。

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しかも、江戸時代でも明治時代でもない、大正9年(1920年)に築かれたという新宿区内では最後に築かれた冨士塚だといいます。

成子天神社内にあった天神山という小山に溶岩を配して築いたそうです。

3か月前に見た清瀬市中里の富士塚と違うのは溶岩があるところですが、この方がより富士山らしく見えます。

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↑途中からは結構急斜面となり、小さなお子様やお年寄りは危険なので登頂禁止と書かれています。

高さは12mでこれは新宿区内では一番高い富士塚となるそうです。

新宿区登録文化財史跡です。

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↑先程の東側からだけでなく、この西側からも登山道はありますが、こちらも急なので、男坂女坂という区分けでもなさそうです。

それでは、いよいよ山頂からの景色を見てみましょう。

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2017年10月15日 (日)

200年前の文化文政に築かれた清瀬市中里の富士塚は都指定文化財にもなっており登ってみる

富士山は古くから信仰対象の山であり、江戸時代中期には富士山登拝が盛んだったといいます。

当然、電車や自動車のない時代ですから、実際の富士登山は日程的にも経済的にも厳しいし危険でもあることから、代わりに各地に富士塚が築かれました。

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清瀬市中里にある富士塚は、東京都指定有形民俗文化財になっています。

時代としても、まさに文化文政年間(1804年〜1830年)の築造と考えられていますから、もう200年程前のこととなります。

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北側の鳥居を潜ると、登山道が九十九折にあります。

ここでは今でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されており、こちらは無形民俗文化財に指定されています。

途中、一合目から九合目までを記した小さな石柱があります。

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↑登山していくと、やがて頂上が見えてきました。

江戸時代の後、明治7年(1874年)に2m程かさ上げされ、現在の高さは約9mだそうです。

九合目まで来ると山頂が見えます。

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山頂には文政8年の石祠と、大日如来を刻む石碑があります。

この石祠は富士山頂の「仙元大菩薩」の社をかたどったものだそうです。

石祠にある文政8年(1825年)に築かれたのかと思いますが、この年に再築したという伝承があるので、文化文政年間築というように明確にはなっていないようです。

山頂からの景色を見てみます。

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2013年6月30日 (日)

荒幡富士への登山と東の上遺跡

富士山が世界文化遺産に登録されました。

そのお祝いとして、所沢市の富士山に行ってきました。

狭山丘陵にあり、西武園ゴルフ場裏のけっこうな急坂を登っていきます。

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すると、浅間神社があり、その横に荒幡富士がありました。

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明治時代に旧浅間神社の移築に伴って、富士塚も移転構築することとなり、旧荒幡村の村民総出で、この富士山は造られました。

元の富士塚の数十倍の大きさにしたとのことで、明治17年から32年まで、なんと15年もかかりました。

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登っていくと、途中に一合目、五合目などの碑もあります。

頂上に着くと、周辺が見渡せ、南にはゴルフ場の向こうに、西武園遊園地の観覧車やジェットコースターも見えます。

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東には新宿の超高層ビル街も見えますし、天気が良ければ、西には本物の富士山も見えるようです。

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この荒幡富士の北側は市民の森となっています。

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この案内板によると、荒幡富士は関東最大級の富士塚とされています。

最大ではなく、最大級というところがいいですねえ。

ネットでも調べてみましたが、都内であればデータもあるようですが、関東となると、正確な統計などもないようです。

ところで、この市民の森の中は歩いてみると、とてもいい雰囲気です。

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