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土木

2017年6月 4日 (日)

アースダムの鎌北湖は昭和初期の山根溜池だったのだが取水施設と洪水吐は形が面白い

埼玉県毛呂山町には鎌北湖もあります。

ここにはダムがあるのですが、ダムへのルートは山奥の細道ではなく、毛呂駅周辺からも道幅の広い県道が整備されています。

車だと快適にあっと言う間に到着ですが、駐車場があるかを事前に確認しておらず、湖沿いの道は駐車禁止となっているので、左岸の鎌北湖の上流端近くに広い駐車場を見つけホッとしました。

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↑右側の細い流れが、山間から鎌北湖に流れ込む川になります。

釣りをしている人を数多く見かけます。

ダムの堤防上の天端を目指し歩きますが、途中でダムの取水施設らしきものが見えて来ます。

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それほど大きな湖ではないため500mほど歩くとすぐに天端に到着です。

堤頂長は80m、堤高は22.6mですから、天端というと少し大げさに感じられます。

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洪水吐は右岸側にあります。

ここは1929年(昭和4年)着工、1935年(昭和10年)完成の灌漑用水のために作られた山根溜池だったそうです。

昭和初期に作られた溜池の取水施設にしては洋風の凝ったデザインです。

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毛呂山町観光協会はここを観光拠点にしようとしたのか、名称を山根溜池から鎌北湖(かまきたこ)に変えました。

確かに名前によって、大分イメージは違うものです。

さらに、毛呂山町公式サイトによると、乙女の湖とも呼ばれていると書かれていました。

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↑ダムの決壊を防ぐため、想定貯水容量以上の水を下流に流すための洪水吐を近くで見ることができます。

梅雨入り前で水量が少ないため見づらいですが、不思議な形をしていました。

堰がダム湖側に「コ」の字の形で突き出ています。

機能のためなのか、デザインのためなのかはわかりません。

そして、ダムの天端といえば下流側の景色が楽しみです。

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2017年1月22日 (日)

名水百選にもなっている落合川では自然の景観を残した近自然河川工法が行われていた

引き続き、東久留米市の落合川をこぶし橋というカワセミを撮影する人が集まっていた辺りから下流に向かっていきます。

自転車と歩行者用の遊歩道が、ここからしばらくはありません。

河川改修が行われた川とは思えない景色となっています。

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この右岸には南沢氷川神社があり、その奥には南沢湧水地があります。

「落合川と南沢湧水地」は、環境省選定の「平成の名水百選」に、東京都では唯一選ばれている、都内最大級の湧水です。

この南沢氷川神社の北側は丘陵の崖となっており、落合川は神社を囲むように蛇行して流れていました。

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↑左岸から川を挟んで右岸を見ていますが、それをここではそのまま残してあります。

落合川の河川改修は1972年に都市計画により事業開始された時は、この神社の境内の敷地を一直線に削るように計画されていました。

その後の環境保全意識の高まりにより、治水と生態系との調和を図ろうと、近自然河川工法が都内で最初に取り入れられたのが、この落合川だったそうです。

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↑宮下橋から上流を振り返ると、右岸(写真では左側)には河川畔林が残されており、左岸には緩傾斜の河川敷が遊歩道まで続いています。

この少し下流の毘沙門橋の手前で南沢湧水地からの水が落合川に流れ込むため、川の水量はだいぶ増えています。

1日1万トンもの湧水だといいます。

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この右岸(写真の左)は南沢水辺公園の林となっています。

1万トンといっても想像できませんが、学校によくある25mプール40杯分というと、その量の多さがわかります。

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↑治水のための河川改修工事の計画は、蛇行した川を緩やかながら真っ直ぐの川にするということからすれば、この辺りの落合川の線形は他とは違うことがわかります。

この毘沙門橋からは再び両岸に遊歩道が整備されていますから、さらに下流を見ていきます。

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2017年1月15日 (日)

湧水のまち東久留米市の落合川では河川改修工事は元の川の流れも残している

東久留米市は湧水が豊富で落合川や黒目川が流れており、湧水を一つの観光資源としています。

湧水があるのはいいことである反面、水が多いということで洪水や氾濫の危険性もあるということになりますから、河川改修工事が行われてきています。

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↑2か月ほど前には、東村山市や東大和市の空堀川のそうした工事と旧河川敷の様子を見て回ったところでしたが、今回は落合川を上流端の八幡橋から下流に向けて見ていきました。

ここからさらに上流にも少しだけ細く辿れる細い流路はありますが、この上下流ともに水はありませんでした。

河川改修工事では、基本的にはクネクネ曲がって流れている細い川を、真っ直ぐに流れる太い川に変えるわけですから、一般的には三日月湖のような細長い旧河川敷が残ることとなります。

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↑上流端から150mほどのところで下流から上流側を見ていますが、右が新河川で、ここではこうした旧河川の流路も残されており、わずかに水もあります。

↓その100m下流の小金井街道の弁天橋との交差部分でも、左岸に旧河川の流路が分流し道の向こう側で合流しています。

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落合川は湧水が豊富な川であったことから、河川改修工事には近隣住民の反対運動などもかなりあったようです。

そのため、他の河川以上に環境対策は考えられているようで、旧河川の流路が残されているところが多くあります。

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↑旧河川が右岸に大きく迂回していた部分を含め、親水空間となるよう、広く河川の敷地にしています。

右岸の自転車歩行者用通路はあえて舗装をしていないようですが、分流した流れはありません。

この辺りの河川改修工事は、ホテケドジョウや落合川も原告となる訴訟が行われて、結果としては判決で却下や棄却されてますが、環境に配慮はしているようです。

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そして地蔵橋からの暗渠の先に、不思議なことに途中から開渠となり水が流れてきます。

↑この旧河川の流路は湧水が豊富なところだったようで、ここからは大量の水が流れ込んでいます。

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どうやら当初の計画ではここは旧河川はなくす予定のところ、湧水もあるしいろいろあって流れが残されたのでしょうか。

↑手前側が旧流路からの水流で、本流と同じように水量があります。

上流端のところには水はありませんでしたから、この落合川は途中にいくつも湧水があり、水が流れ込んで増えていくようです。

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2016年12月 4日 (日)

江戸城の外濠はどこからどこに繋がっていたのかと赤坂見附の見附と門の関係

江戸城の外濠というと、JR中央線の市ヶ谷から御茶ノ水辺りまでの車窓から見える景色が頭に浮かびます。

飯田橋から御茶ノ水の間は神田山(駿河台)を外濠を作るために、あえて開削したことを1年前に見て廻った際に知りました。

そこよりも下流側は、神田川(江戸時代の平川)の水が隅田川まで流れていくのはわかりますが、神田川の流れる飯田橋より反対側というか西側はというと外堀の流れがどうなっていたのかよくわかりません。

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↑しかし、先日、赤坂見附付近に行った時、弁慶濠を見て、そう言えばここも外濠だよなと思いましたので、この前後を確認してみたいと思います。

弁慶濠とはいいますが、この弁慶橋は明治時代に架けられて、弁慶濠という名も付けられたようです。

でも、江戸時代の江戸城の外濠なのだから、その痕跡はあるはずと思えば、ありました。

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↑ここも何度か通ったことはあるのに気付きませんでしたが、赤坂御門の石垣が一部保存されています。

赤坂見附の「見附」とは見張りの兵を置いた番所のことだと習ったような気がしますが、赤坂門があるからここで見張りをしていたから「見附」なのだそうです。

江戸城外堀跡は1636年(寛永13年)に作られた約14kmの外濠のうち約4kmが国指定史跡となっています。

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現在の青山通り、国道246号線である当時の大山道からの門だったようです。

内濠から江戸城への門というと現存している物も多く有名ですが、外濠の門というとあまり知りませんでしたが、ここも田安門や桜田門と同様に、二つの門が直角に配置された桝形門があったそうです。

ところで、弁慶橋から東の方を見ると、その先は埋め立てられているのか、水面は見当たりません。

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ただ、この先、最高裁判所と国会図書館の間を通り、800mほど先の三宅坂交差点の向こうは内濠である桜田濠がありますから、この向きに外濠があると、内濠と外濠がここで繋がっていたとなり変な話です。

ちょっと調べてみると、わかりました。

外濠はここから南へと向きを変え、溜池方面に繋がっていたのです。

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その名の通り、もともと江戸時代には「溜池」がありましたから、あえて開削した弁慶濠から、既に水がある溜池に通すというのは理にかなっています。

溜池の先にあるのはと考えると、虎ノ門ですから、やはりそこにも外濠の門があったことがわかります。

埋め立てられて道路になっているところを見て歩いても面白くないので、弁慶濠に沿って歩いて行ける北西側に向かいます。

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↑右のホテルニューオータニの敷地が庭園として残されているため、この辺りの風景は建物や首都高速道路を除けば、江戸時代の面影が残されているといいます。

でも、この弁慶濠は600mほど先には堤があり堰き止められています。

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↑この堰からというか土橋から弁慶濠を振り返ってみると、高いところからのいい景色です。

ここは江戸開府の最も初期に作られた見附、門の一つである喰違見附のあったところです。

他の見附とは異なり、石組のない簡易な門で枡形でもありませんが、現在も残されています。

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2016年11月27日 (日)

東大和市内の空堀川の河道を大きく変える河川改修の様子を4年半前と見較べる

空堀川の河川改修工事は、東大和市内でここ数年間だいぶ進んでいるようですから、その様子を見てまわりました。

清瀬市や東村山市などの下流側ではほとんど改修工事も完了し、両岸の河川管理用通路が自転車歩行者道として開放されていますが、以前にはこの高木橋の辺りから上流側ではまだ工事中で直進できませんでした。

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↑ここで北から奈良橋川が合流するのですが、その合流地点の工事が行われています。

奈良橋川が鋼矢板に囲まれて作られていますが、この合流位置は少しだけ東側にズラされたようです。

↓ここはまだまだ工事中ですが、地図右側のこの合流部より上流(左)ではほとんど工事は完了しています。

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新青梅街道沿いではニトリやコジマなどの商業施設や飲食店が並んでいて、よく渋滞している南高木交差点のすぐ北側の辺りです。

そして、この高木橋の少し上流から、空堀川の流路が大きく変わっています。

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↑左側の南からの細い流れが空堀川だったのですが、右側に新しい広い河川が出来ていて、こちらがメインの流路となっています。

西から東に向かって蛇行しながら流れていた空堀川は、西から東へ真っ直ぐに流れるようになっています。

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↑新河川の上流には護岸や両側の通路が出来ており、この旧河川の南方面への流れがあったはずのところは、すっかり塞がれて残った鋼矢板の間には雑草が生い茂っています。

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4年半ほど前に空堀川の源泉を探す旅をした時、ここを通った時の写真を見ると、当時は空堀川が細い流れでここを北から南(左から右)へ流れていたのがわかります。

↓当時にはこの振り返った背中側には、庚申橋調整池排水機場がありました。

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新河川の予定地内にはいくつかの河道内調整池が作られていました。

河川改修工事は一気には出来ないため、用地取得出来たところから、洪水時の水を貯留する施設を先行して整備していたようです。

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↑現在は旧河川はすっかり塞がれて、河川沿いの自転車道が出来ていますが、ここだけは左岸(北側)の通路は通れなくなっており、この排水機場は現在もあります。

さらに上流方面を見ていきます。

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2016年11月13日 (日)

東村山市内の空堀川の旧河川敷をたどると野口橋も位置が変わっていた

今週は空堀川を上流方面に向かいますが、東村山市内では河川改修工事も終了しているようで、川沿いには自転車で気持ちよく走れる歩行者自転車専用道が整備されています。

久米川駅の近辺で、空堀川は西武新宿線の下を流れているのですが、この道も西武新宿線をアンダーパスしていきます。

その上流側のスロープを登りきった地点はなぜか、川から少しズレた位置になります。

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↑空堀川はやや左に流れており、右に見えるのは線路をオーバーパスしている新青梅街道の栄町陸橋です。

そして、この目の前には閉鎖された細長い空間があります。

どうやら、河川改修前の空堀川の流れがあったところのようです。

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↑少し先の道路から見ても、同じような空間が続いています。

家にあった少し前の地図を見てみると、やはりこちらが以前までの空堀川の流れだったようです。

1時間当たりの雨量50mmに対応するための河川改修工事が行われ、蛇行する川の流れを真っ直ぐに変えたようです。

今でもこの旧川敷が、この辺りの町名の本町と栄町の境になっています。

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↑新青梅街道の渋滞情報などでよく見る、野口橋交差点は府中街道との交差点ですが、その野口橋はこの細い空堀川の橋の名前だったということです。

交差点から南の府中街道を片側2車線ずつに拡幅する際に、空堀川の野口橋も新たに設けられたようです。

現在は少し盛り土されており、橋の面影はありません。

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↑新しい野口橋は川幅も50m近くになっており幅広いため、立派なものに架け替えられています。

こうして、ところどころに親水のために川面に降りられる階段もあります。

この府中街道は新青梅街道の北側は片側1車線ずつで、しかも西武新宿線とは踏切交差します。

その解消と拡幅のため、東村山駅周辺の連続立体交差化工事が進められています。

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↑野口橋から西の上流部にも、旧河川の細長い空間が新青梅街道に沿って続いています。

もう少し行ってみました。

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2016年9月 4日 (日)

復旧工事現場を3回に渡って見に行ってきた西武多摩湖線のかなり早い開通

前回ご報告したように、台風9号の影響で立ち往生していた西武多摩湖線の電車は、約一週間ぶりに牽引されて、現地から搬出されました。

法面崩壊による土砂流入と架線柱の倒壊という大きな被害ですから、復旧まで一ヶ月程度かかると西武鉄道は報道発表していました。

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↑8月28日の電車が動かされる時の様子では、この上り電車の進行方向である武蔵大和駅方面(右側)の架線柱はありますが、左側には架線柱は立ってなく、架線は手前側の下の方に垂れ下がった状態だし、法面もかなり崩壊していました。

それが当初予定よりだいぶ早く、9月6日(火)には開通するということが西武鉄道より報道発表されたので、復旧後の様子を9月3日(土)夕方に再び見に行ってみました。

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↑ブルーシートの位置から見てみると、確かに、左側には新しい架線柱が立てられ、架線も張られていました。

しかし、まだ、線路の上に何やら覆工板かゴムシートかわかりませんが敷かれており、これは西武遊園地駅方面にしばらく続きます。

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↑8月28日の150mほど西武遊園地駅寄りの様子ですが、この部分は線路を剥がして作業をしているのだと思っていました。

ここは唯一、近接している道路から出入りできるところなのです。

↓9月3日に改めてよく見て気付きましたが、こうして小型重機が通れるように線路の上に土嚢を乗せて、さらにその上に覆工板を敷いているようです。

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西武鉄道HPでは9月2日(金)現在では、8月25日レール撤去は既に行われて、レール敷設はまだ行われていないことになっています。

では、線路を新たに敷くとしたら、土曜日にこのような状況で、火曜日の開通に間に合うのでしょうか。

月曜日には試運転もするでしょうから、日曜日にはレールが敷設?され、少なくともこの覆工板が無くなっていなくてはいけないはずです。

ということで、9月4日(日)夕方、またまた見に行きました。

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↑翌日の同じ位置には、見事に線路はきれいに敷かれており、上には何も無くなっていました。

事故から約2週間ぶりに線路が姿を現し、明日は試運転も行われることでしょう。

法面崩壊したところがどのように変化したかも、工事前後での様子を見てみます。

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2016年8月14日 (日)

ロックフィルダムである有間ダムには名栗湖があるが名栗川のダムではない

入間川の上流部は飯能市では名栗川と言われていますが、名栗湖という湖があります。

ドライブで名栗湖には行ったことはあるはずですが、そこにあるという「有間ダム」の記憶はありません。

飯能市街地から割と近かった印象がありましたが、久しぶりに車で行ってみると、思ったより遠く感じられました。旧名栗村です。

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何で名栗ダムという名称でなく、有間ダムなのか謎でしたが、行ってみれば、名栗川ではなく、その支流である有間川に造られたダムだからのようです。

↑左から奥に流れている名栗川に、右から(よく見えないけれど)合流してくるのが有間川になります。

まずは、ダムを通り越して、有間川の上流部を見てみます。

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↑有間ダムには周回道路はありますが、北側は道幅も広いですが、南側は狭い道です。

その周回道路の上流の橋梁から、さらに上流側を見ています。

有間渓谷や山々の美しいところです。

↓下流方向のダム方面を見ても、ほとんど変わらない風景です。

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下流のダム側に戻って行くと、ダム湖に水が貯まっているのがわかるようになります。

水面近くに車が止まっているので行ってみようかと思いましたが、工事用入口でしたから、関係者の車なのでしょうか。

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さらに進むと、埼玉県の有間ダム管理所がありますので、ダムカードをもらいます。

となりに「レイクサイドテラス名栗湖」というところがあり、名前とは違い?、土産物屋で食事もできるところです。

エアコンもありませんでしたので、外のダムの見えるテラス席?で、昼食に山菜そばを食べました。

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ダムの堤体はすぐ近くです。

有間ダムは「ロックフィルダム」という砕いてきた岩石を積み上げて築かれたダムであるため、コンクリートダムとは違い美しいはずです。

そちらを見てみましょう。

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2016年7月17日 (日)

関東地方が水不足というので相模ダムの水量を見に行ったが筋違いだった

関東地方の水不足は深刻な状況にあるといいます。

大規模なダムというと大抵は山奥の交通不便なところにあるものですが、電車で気軽に行けるところに相模ダムがあります。

JR中央線相模湖駅から歩いてすぐです。

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高尾駅までは電車の本数も多いのですが、一駅先の相模湖駅まで行く電車は一気に少なくなります。

↑観光地の雰囲気ですが、雨交じりの蒸し暑い日で、人影はまばらです。

しかし、水量は十分にあるように見受けられます。

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↑山に雲がかかる景色は幻想的なものです。

対岸に渡り津久井湖方面に向かう県道の相模湖大橋から200mほど下流側に、相模ダムがあります。

相模ダムによって相模湖ができたということになります。

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相模川は富士五湖の一つである山中湖を源泉とし、山梨県から神奈川県にかけて109kmに渡って流れる神奈川県最大の1級河川で、相模ダムの歴史は古く、1938年(昭和13年)に計画されたものです。

戦中、戦後を乗り越えて、完成は1947年(昭和22年)だったといいます。

東京都八王子市から高尾山のある小仏トンネルを越えると、山梨県かと思いますが、ここは旧相模湖町、現在は相模原市緑区で神奈川県です。

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堤高58.4m、堤頂長196mの重力式コンクリートダムで、貯水量は6320万立方メートルです。

我が国最初の河川の総合開発事業で、また神奈川県が全国に先駆けて行った広域的な水源開発事業として、京浜工業地帯の発展や人口増加による水供給増に対応してきました。

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↑天端は自動車は通れませんが、歩いてなら通行することが可能となっています。

古いダムなので観光用には造られていませんから、宮ヶ瀬ダムのようなインクラインやエレベーターはありません。

下を覗き込むと、やはり怖いです。

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貯水量は豊富でしたが放流はしておらず、チョロチョロと水が流れ出ているだけでした。

このダムは発電にも利用されており、相模発電所があり31000kwの発電能力があります。

また、下流で河川として必要な水量や水道用水に必要な水量を確保する役割も果たしています。

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さらに、見てまわりましょう。

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2016年7月 3日 (日)

広大な湿地帯を灌漑のため南北朝時代に整備したという伊佐沼

いつものように地図を見ていると、川越市の国道16号線の少し北側に、比較的広い水面がありました。

伊佐沼といい、自然沼としては埼玉県最大の広さだそうです。

wikiでは、関東でも印旛沼に次ぐ広さとありましたが、印旛沼の順位がわからないので関東で何番かはわかりません。

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伊佐沼は南北方向に1300m、東西方向に300mほどの長さがあり、行って見てみると予想より大きな沼でした。

↑まず、北側から見てみます。

湖といったほうがいい感じです。

湖と沼の違いを調べてみましたが、正式には定義はないようです。

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一般的には、水深5m未満で水草の影響のあり得るものが沼、5m以上で水草の影響がないものが湖と区分されることがあるようです。

↑北側の水面にはハスがあって、これを見るための橋も架けられていて、花を見てまわれるようになっています。

ちょうど花が咲き始めた時期で、ポツリポツリと咲いています。

古代蓮があるとのことですが、花の違いがわからないので、この咲いているのが古代蓮なのかは不明です。

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古くはこの辺りは旧入間川の乱流により巨大な湿地帯で、ここには川跡沼があったそうです。

約600年前の南北朝時代に水田灌漑のため、溜池として整備されました。

これを行ったのが伊佐氏だったので、伊佐沼という名が付いたようです。

さらに、昭和の初めから土地改良事業が行われ、周囲の水田への排水路が整備されました。

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伊佐沼の水は、北の方から入間川の水を取り入れ、伊佐沼代用水路を通って流れてくるように整備されました。

戦前までは伊佐沼はさらに広く、2倍の広さがあったそうですが、食料増産のため干拓されました。

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↑北側のこの用水路から伊佐沼に水が流れ込みます。

こちらの方角は干拓されるまでは沼だったのでしょう。

次に、伊佐沼の周囲で水路の様子をぐるっと見て回ります。

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