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土木

2017年10月 1日 (日)

橋台、橋脚が早くも完成した東所沢の東京狭山線工事とおいしい珈琲が飲める店

弊ブログでは何回か話題としてきている、都道と埼玉県道である練馬所沢線となる東京狭山線(新東京所沢線)の東所沢周辺の工事進捗の様子を見に行きました。

国道16号線の狭山市から所沢方面に向かう片側2車線の広い道路なのに、東所沢のところで行き止まりになって東京都につながっていないあの道です。

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↑空堀川と柳瀬川の合流する小金井街道の清瀬橋方面、つまり東京都側から行ったのですが、平成28年ゴールデンウィークからは1年半しか経っていないというのに、驚くほど工事は進んでいました。

20mもの高低差がある地形のため、橋梁及び堀割形式で整備しているのですが、この舗装された面の奥に向かって橋梁として上に上がっていく設計です。

ちなみに、左に見える道は下り方面が渋滞している小金井街道です。

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↑行けるところまで近づいてみると、掘割部分のボックスカルバートは出来上がっているようで、向こうの東所沢側が見通せるようになっています。

橋梁部分の橋台や橋脚も出来ています。

途中にいくつかこの計画道路を横断する道があるので、近くに行って見ることにします。

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↑アップで見ると、やはり7%の勾配の道路を下側から支える橋台は頑丈そうなものです。

前回の復習になりますが、この工事の様子は全体像がわかりづらいので、工事の概況の説明です(クリックすると拡大します)。

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橋脚は4本あるようなので、さらに西側の道路に向かい、東側の橋脚を振り返ってみます。

高さこそそう高くはないものの、立派な橋脚です。

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この道から上の方の橋台を見てみると、やはり両側4車線の20m幅員の道路を支えるだけあって、やはり大きいです。

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工事看板によると、工期は平成28年9月29日までとなっていますから、当初予定通りに橋梁下部工が終わったということでしょう。

擁壁となると思われる鋼矢杭が見えるのですが、これがどういう形態で完成するのかが、ちょっと不思議です。

高低差20mを登るのはきついですが、上の様子も見に行くことにします。

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2017年9月17日 (日)

やんばツアーズの八ッ場ダム工事現場見学会はとてもいいし、また行きたくなる

前回の続きで、国土交通省による現場見学会での八ッ場ダム建設工事の様子です。

現場を案内してくれるのは工事現場の厳ついおじさんだと思っていましたが、「やんばコンシェルジュ」という名称の上戸彩に似た若い女性です。

しかも、めちゃくちゃ知識もあり、土木のことも詳しくて、資料も見ずに解説してくれます。

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↑何しろ大規模な工事現場ですから、ダムを造るためのコンクリートを運ぶケーブルクレーンのワイヤーのアンカーも大規模です。

平成28年6月からコンクリート打設工事が始まっているようです。

ワイヤーを間近にしながら、細い通路を進むと、目の前が工事現場です。

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↑こちらは右岸で、向こう側が左岸になり、ここは堤高116mのダムの天端の高さとなるようです。

堤高は利根川水系ダムでは8番目だそうで、現在は3割程度の高さにまで工事が進んでいるとのことです。

吾妻川は左から右へと流れており、重量式コンクリートダムの形が左岸側にちょっと見づらいですが青い線で引かれています。

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↑ここには生コンクリート工場があり、原石山から約10kmにもわたって、石の大小で3種類に分別されてベルトコンベヤーで運ばれてきた骨材が水とセメントを混ぜられて、コンクリートとなります。

そのできたてコンクリートが黄色いバケットに入れられています。

コンクリートは2つのルートで下の現場に運ばれているようです。

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↑左のクローラクレーンはこのコンクリート打設には使われていないようで、ケーブルクレーンで運んでいます。

ケーブルによりバケットは手前に動いて来るとともに、下に降りて行きます。

中央の下の方に向かってバケットが動いています。

ダムの堤頂長は290.8mになりますから、このケーブルも長いです。

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↑バケットは下まで着くと生コンクリートは、いろいろな方向に動けそうな不思議な形をした重機に載せられます。

こちらは主に手前側での作業に使われているようです。

工事が始まったころはもっと低い位置で、堤高116mもの高さ、今でも80m位の長さがあるわけですから、よくクレーンを操縦できるものだと感心します。

このコンクリート運搬にはもう一つのルートがあります。

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↑左岸の壁に沿って、コンクリート工場からクレーンを使わずに、直接ダンプトラックに流れ込むような仕組みもあります。

奥ではそのダンプに積み込んでおり、手前ではダンプから降ろしているのが見えます。

ビルの建築現場で見るようなサラサラしたコンクリートとは全く違い、こうしてダムで使用されるコンクリートはドロドロです。

水分はコンクリートのヒビ割れの原因となるので、極力水とセメントを少なくして、骨材をなるべく多くしているからだそうです。

それでもヒビ割れを全く無くすことは難しいようで、先日テレビで見たその対策も目の前で見ることができました。

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2017年9月10日 (日)

八ッ場ダムが完成したら水没してしまう前の長野原町の様子を見に行く

八ッ場ダムというと、民主党政権当時の平成21年9月に前原国土交通大臣が建設中止を表明しましたが、その後工事は進められ、平成31年度には完成する見込みとなっています。

これまでいくつかのダムを見に行きましたが、当然ながら湖面に水没してしまった町や村の様子を見ることはできません。

首都圏では唯一のダム工事が行われている現場を見るとともに、現在の様子を確認しに行きました。

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↑特急草津1号の終着駅である長野原草津口駅で下車すると、駅の左隣りに「長野原・草津・六合ステーション」という地域振興施設があります。

ここの2階が「やんばツアーズ」という八ッ場ダム工事現場見学会の集合場所となっています。

1階には土産販売や軽食コーナーがありますので、まずは山菜そば550円で昼食、500円以上の飲食には小さなおこわおにぎりがつきます。

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↑駅前には吾妻川が流れており、八ッ場ダムはここより8kmほど下流に建設されますが、見ているこの少し上流まで湖面になるそうです。

そのため工事により護岸整備されていますが、さすがにこの辺りは湖幅も狭いようで、都内に流れる中小河川でのゲリラ豪雨対策を少し大規模にした河川改修工事後というイメージです。

この「長野原駅前大橋」から、今度は下流側を見てみます。

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↑左の駅に停まっている特急草津号の上野方面にはJR吾妻線のアーチ橋があり、右には国道145号線長野原バイパスの2つのアーチのある「長野原めがね橋」もあり、美しいです。

やはりダム関連事業が進んでおり、既に風景は大きく変わっているようです。

JR吾妻線もあの橋の手前は10kmほどトンネルばかりの車窓でしたが、路線が水没地区にあったため付替で移設されたためだったようです。

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↑やんばツアーズのマイクロバスでは、最初の4kmほどの距離は参加者は数人しかしませんでしたが、この不動大橋左岸にある「道の駅八ッ場ふるさと館」から参加する人が大部分だったようで、ここからは20人の座席は満席でした。

国土交通省主催のこの現場見学会は大人気で、11月まで予約がいっぱいのようです。

この「不動大橋」は湖面2号橋とも言われるものですが、長さ590m、高さ80mでダム湖に架かる橋としては一番長いものになります。

正面には原石山というダムのコンクリートの骨材となる石をとるところがあります。

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↑不動大橋の上からダムのできる下流側を見ています。

ダムが完成したらここからの景色は見えなくなってしまいます。

左下に半円形にあるのは、コンクリートの骨材の石を工事現場に運ぶベルトコンベアです。

右奥に見えているのは、湖面1号橋という「八ッ場大橋」で、ダムはさらに向こう側ですから、ダムという事業のスケールの大きさと影響の大きさを感じます。

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↑その八ッ場大橋の右岸にはプレハブがいくつもありますが、工事関係者の住居、いわゆる飯場です。

そのうち手前の1階建てのものが「なるほど!やんば資料館」で、ダムについての解説やジオラマなどがあります。

そもそも、ここに来るために下調べるするまでは、八ッ場ダムがどこに造られているのか知りませんでしたが、ここの床には位置を示す地図がありました。

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2017年8月27日 (日)

イオン狭山のすぐ裏にある入間川の上奥富用水堰からの流れは滝のようで美しい

狭山市の国道16号線沿いには、イオン狭山とイオン武蔵狭山の2つがあります。

狭山市駅からこの2店舗を循環する無料シャトルバス送迎バスも1時間に3本運行されています。

1kmも離れていないところに立地していて不自然に思われますが、カルフールが日本から撤退してイオンに売却されたため、そこがイオン狭山となっています。

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↑その店舗のすぐ裏側には入間川が流れているので、買い物のついでに川沿いの様子を見に行ってみました。

5年前の春に、入間川の左岸側にある入間川自転車道を走ったことはありますが、こちら右岸側は初めて来ました。

入間川の流れを見てみると、大量の水があり湖のようです。

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↑上流側で、奥に見えるのは埼玉県道261号線の昭代橋です。

↓下流側を見ると、堰により水がせき止められているようです。

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思った以上に大規模な堰ですが、農業用水のためのもののようで、「上奥富用水堰」だそうです。

堰から流れる水を見てみると、きれいです。

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真横だと分かりづらいかもしれませんが、少し大げさに言えば「ナイアガラの滝」のように幅広い美しい水流です。

テトラポットも規則正しく整然と並んでいます。

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水面間近で下から見上げて見てみたいものですが、近くには行けないようです。

少し下流に向けて歩いてみます。

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2017年8月 6日 (日)

相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった

前回見てまわった、相模原市を横断している「横浜水道みち緑道」は、明治時代に日本初の近代水道として引かれたところでした。

県立相模原公園のすぐ近くの、この水道道の近くには貯水池のようなところがあり、「相模原沈殿池」と名付けられています。

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ダム便覧にも記載されており、堤高19.5m、堤頂長255mもある立派なダムといえます。

相模原公園の北側に位置し、アースダムの美しい芝生が広がります。

北東方面を見ています。

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取水口らしきものがあります。

北西方向を見てみると、横幅の2倍程度の奥行きがあるように見えます。

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この水は横浜水道みちを流れて来た水を一旦ここに貯め、水道水としてりようするため沈殿させる施設なんだろうと思っていました。

しかし、この沈殿池ができたのは1954年(昭和29年)ですので、1887年(明治20年)にできた横浜水道よりもこちらの方がずっと新しいものとなります。

ちょっとネットで調べながら、全体の様子を見に一周歩いてみました。

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↑半時計回りに半周、北東の端まで来てみると、北西の端に水道施設らしきものがあるようです。

↓沈殿池の北側は住宅もある普通の道路となっていました。

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調べてみると、この水は津久井湖手前の沼本ダムからの取水され、地下の水道管を通って流れて来たものを貯めているようです。

津久井分水池、下九沢分水池を経由して来ており、横浜水道みちとは全く別ルートということです。

横浜市水道局公式サイトにあった「水源系統図」を見ると、津久井湖から川井浄水場まで2本のラインが引かれています。

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2017年6月 4日 (日)

アースダムの鎌北湖は昭和初期の山根溜池だったのだが取水施設と洪水吐は形が面白い

埼玉県毛呂山町には鎌北湖もあります。

ここにはダムがあるのですが、ダムへのルートは山奥の細道ではなく、毛呂駅周辺からも道幅の広い県道が整備されています。

車だと快適にあっと言う間に到着ですが、駐車場があるかを事前に確認しておらず、湖沿いの道は駐車禁止となっているので、左岸の鎌北湖の上流端近くに広い駐車場を見つけホッとしました。

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↑右側の細い流れが、山間から鎌北湖に流れ込む川になります。

釣りをしている人を数多く見かけます。

ダムの堤防上の天端を目指し歩きますが、途中でダムの取水施設らしきものが見えて来ます。

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それほど大きな湖ではないため500mほど歩くとすぐに天端に到着です。

堤頂長は80m、堤高は22.6mですから、天端というと少し大げさに感じられます。

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洪水吐は右岸側にあります。

ここは1929年(昭和4年)着工、1935年(昭和10年)完成の灌漑用水のために作られた山根溜池だったそうです。

昭和初期に作られた溜池の取水施設にしては洋風の凝ったデザインです。

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毛呂山町観光協会はここを観光拠点にしようとしたのか、名称を山根溜池から鎌北湖(かまきたこ)に変えました。

確かに名前によって、大分イメージは違うものです。

さらに、毛呂山町公式サイトによると、乙女の湖とも呼ばれていると書かれていました。

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↑ダムの決壊を防ぐため、想定貯水容量以上の水を下流に流すための洪水吐を近くで見ることができます。

梅雨入り前で水量が少ないため見づらいですが、不思議な形をしていました。

堰がダム湖側に「コ」の字の形で突き出ています。

機能のためなのか、デザインのためなのかはわかりません。

そして、ダムの天端といえば下流側の景色が楽しみです。

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2017年1月22日 (日)

名水百選にもなっている落合川では自然の景観を残した近自然河川工法が行われていた

引き続き、東久留米市の落合川をこぶし橋というカワセミを撮影する人が集まっていた辺りから下流に向かっていきます。

自転車と歩行者用の遊歩道が、ここからしばらくはありません。

河川改修が行われた川とは思えない景色となっています。

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この右岸には南沢氷川神社があり、その奥には南沢湧水地があります。

「落合川と南沢湧水地」は、環境省選定の「平成の名水百選」に、東京都では唯一選ばれている、都内最大級の湧水です。

この南沢氷川神社の北側は丘陵の崖となっており、落合川は神社を囲むように蛇行して流れていました。

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↑左岸から川を挟んで右岸を見ていますが、それをここではそのまま残してあります。

落合川の河川改修は1972年に都市計画により事業開始された時は、この神社の境内の敷地を一直線に削るように計画されていました。

その後の環境保全意識の高まりにより、治水と生態系との調和を図ろうと、近自然河川工法が都内で最初に取り入れられたのが、この落合川だったそうです。

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↑宮下橋から上流を振り返ると、右岸(写真では左側)には河川畔林が残されており、左岸には緩傾斜の河川敷が遊歩道まで続いています。

この少し下流の毘沙門橋の手前で南沢湧水地からの水が落合川に流れ込むため、川の水量はだいぶ増えています。

1日1万トンもの湧水だといいます。

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この右岸(写真の左)は南沢水辺公園の林となっています。

1万トンといっても想像できませんが、学校によくある25mプール40杯分というと、その量の多さがわかります。

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↑治水のための河川改修工事の計画は、蛇行した川を緩やかながら真っ直ぐの川にするということからすれば、この辺りの落合川の線形は他とは違うことがわかります。

この毘沙門橋からは再び両岸に遊歩道が整備されていますから、さらに下流を見ていきます。

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2017年1月15日 (日)

湧水のまち東久留米市の落合川では河川改修工事は元の川の流れも残している

東久留米市は湧水が豊富で落合川や黒目川が流れており、湧水を一つの観光資源としています。

湧水があるのはいいことである反面、水が多いということで洪水や氾濫の危険性もあるということになりますから、河川改修工事が行われてきています。

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↑2か月ほど前には、東村山市や東大和市の空堀川のそうした工事と旧河川敷の様子を見て回ったところでしたが、今回は落合川を上流端の八幡橋から下流に向けて見ていきました。

ここからさらに上流にも少しだけ細く辿れる細い流路はありますが、この上下流ともに水はありませんでした。

河川改修工事では、基本的にはクネクネ曲がって流れている細い川を、真っ直ぐに流れる太い川に変えるわけですから、一般的には三日月湖のような細長い旧河川敷が残ることとなります。

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↑上流端から150mほどのところで下流から上流側を見ていますが、右が新河川で、ここではこうした旧河川の流路も残されており、わずかに水もあります。

↓その100m下流の小金井街道の弁天橋との交差部分でも、左岸に旧河川の流路が分流し道の向こう側で合流しています。

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落合川は湧水が豊富な川であったことから、河川改修工事には近隣住民の反対運動などもかなりあったようです。

そのため、他の河川以上に環境対策は考えられているようで、旧河川の流路が残されているところが多くあります。

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↑旧河川が右岸に大きく迂回していた部分を含め、親水空間となるよう、広く河川の敷地にしています。

右岸の自転車歩行者用通路はあえて舗装をしていないようですが、分流した流れはありません。

この辺りの河川改修工事は、ホテケドジョウや落合川も原告となる訴訟が行われて、結果としては判決で却下や棄却されてますが、環境に配慮はしているようです。

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そして地蔵橋からの暗渠の先に、不思議なことに途中から開渠となり水が流れてきます。

↑この旧河川の流路は湧水が豊富なところだったようで、ここからは大量の水が流れ込んでいます。

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どうやら当初の計画ではここは旧河川はなくす予定のところ、湧水もあるしいろいろあって流れが残されたのでしょうか。

↑手前側が旧流路からの水流で、本流と同じように水量があります。

上流端のところには水はありませんでしたから、この落合川は途中にいくつも湧水があり、水が流れ込んで増えていくようです。

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2016年12月 4日 (日)

江戸城の外濠はどこからどこに繋がっていたのかと赤坂見附の見附と門の関係

江戸城の外濠というと、JR中央線の市ヶ谷から御茶ノ水辺りまでの車窓から見える景色が頭に浮かびます。

飯田橋から御茶ノ水の間は神田山(駿河台)を外濠を作るために、あえて開削したことを1年前に見て廻った際に知りました。

そこよりも下流側は、神田川(江戸時代の平川)の水が隅田川まで流れていくのはわかりますが、神田川の流れる飯田橋より反対側というか西側はというと外堀の流れがどうなっていたのかよくわかりません。

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↑しかし、先日、赤坂見附付近に行った時、弁慶濠を見て、そう言えばここも外濠だよなと思いましたので、この前後を確認してみたいと思います。

弁慶濠とはいいますが、この弁慶橋は明治時代に架けられて、弁慶濠という名も付けられたようです。

でも、江戸時代の江戸城の外濠なのだから、その痕跡はあるはずと思えば、ありました。

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↑ここも何度か通ったことはあるのに気付きませんでしたが、赤坂御門の石垣が一部保存されています。

赤坂見附の「見附」とは見張りの兵を置いた番所のことだと習ったような気がしますが、赤坂門があるからここで見張りをしていたから「見附」なのだそうです。

江戸城外堀跡は1636年(寛永13年)に作られた約14kmの外濠のうち約4kmが国指定史跡となっています。

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現在の青山通り、国道246号線である当時の大山道からの門だったようです。

内濠から江戸城への門というと現存している物も多く有名ですが、外濠の門というとあまり知りませんでしたが、ここも田安門や桜田門と同様に、二つの門が直角に配置された桝形門があったそうです。

ところで、弁慶橋から東の方を見ると、その先は埋め立てられているのか、水面は見当たりません。

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ただ、この先、最高裁判所と国会図書館の間を通り、800mほど先の三宅坂交差点の向こうは内濠である桜田濠がありますから、この向きに外濠があると、内濠と外濠がここで繋がっていたとなり変な話です。

ちょっと調べてみると、わかりました。

外濠はここから南へと向きを変え、溜池方面に繋がっていたのです。

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その名の通り、もともと江戸時代には「溜池」がありましたから、あえて開削した弁慶濠から、既に水がある溜池に通すというのは理にかなっています。

溜池の先にあるのはと考えると、虎ノ門ですから、やはりそこにも外濠の門があったことがわかります。

埋め立てられて道路になっているところを見て歩いても面白くないので、弁慶濠に沿って歩いて行ける北西側に向かいます。

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↑右のホテルニューオータニの敷地が庭園として残されているため、この辺りの風景は建物や首都高速道路を除けば、江戸時代の面影が残されているといいます。

でも、この弁慶濠は600mほど先には堤があり堰き止められています。

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↑この堰からというか土橋から弁慶濠を振り返ってみると、高いところからのいい景色です。

ここは江戸開府の最も初期に作られた見附、門の一つである喰違見附のあったところです。

他の見附とは異なり、石組のない簡易な門で枡形でもありませんが、現在も残されています。

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2016年11月27日 (日)

東大和市内の空堀川の河道を大きく変える河川改修の様子を4年半前と見較べる

空堀川の河川改修工事は、東大和市内でここ数年間だいぶ進んでいるようですから、その様子を見てまわりました。

清瀬市や東村山市などの下流側ではほとんど改修工事も完了し、両岸の河川管理用通路が自転車歩行者道として開放されていますが、以前にはこの高木橋の辺りから上流側ではまだ工事中で直進できませんでした。

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↑ここで北から奈良橋川が合流するのですが、その合流地点の工事が行われています。

奈良橋川が鋼矢板に囲まれて作られていますが、この合流位置は少しだけ東側にズラされたようです。

↓ここはまだまだ工事中ですが、地図右側のこの合流部より上流(左)ではほとんど工事は完了しています。

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新青梅街道沿いではニトリやコジマなどの商業施設や飲食店が並んでいて、よく渋滞している南高木交差点のすぐ北側の辺りです。

そして、この高木橋の少し上流から、空堀川の流路が大きく変わっています。

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↑左側の南からの細い流れが空堀川だったのですが、右側に新しい広い河川が出来ていて、こちらがメインの流路となっています。

西から東に向かって蛇行しながら流れていた空堀川は、西から東へ真っ直ぐに流れるようになっています。

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↑新河川の上流には護岸や両側の通路が出来ており、この旧河川の南方面への流れがあったはずのところは、すっかり塞がれて残った鋼矢板の間には雑草が生い茂っています。

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4年半ほど前に空堀川の源泉を探す旅をした時、ここを通った時の写真を見ると、当時は空堀川が細い流れでここを北から南(左から右)へ流れていたのがわかります。

↓当時にはこの振り返った背中側には、庚申橋調整池排水機場がありました。

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新河川の予定地内にはいくつかの河道内調整池が作られていました。

河川改修工事は一気には出来ないため、用地取得出来たところから、洪水時の水を貯留する施設を先行して整備していたようです。

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↑現在は旧河川はすっかり塞がれて、河川沿いの自転車道が出来ていますが、ここだけは左岸(北側)の通路は通れなくなっており、この排水機場は現在もあります。

さらに上流方面を見ていきます。

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