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城跡

2023年12月 3日 (日)

陣屋跡でもある文化財としての永田家長屋門と簓子塀と立隠れ

さいたま市西区土屋に永田陣屋跡や土屋陣屋跡といわれるところがあります。

県道57号さいたま鴻巣線沿いで、前回見た馬宮コミュニティセンターの県道向かい側になります。

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説明板らしきものはあるのですが、雑草が生い茂った民有地の中のようなところで近寄れませんでした。

目的の建物には、右の道路から迂回して行くことができます。

Googleマップでは「永田陣屋跡」と表示されているところになります。

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さいたま市というか大宮市の時の文化財説明板があり、そこには「永田家長屋門及び築地塀」とあります。

長屋門は桁行き21メートル、梁間5メートル、棟高6メートル、面積100平方メートルと市内最大規模です。

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門の両端に接しているのが「忍び返し」の付いた築地塀だとあります。

大宮市で市内最大だとありますが、浦和市、与野市と合併した現さいたま市でも最大なのかどうか、念のためホームページで調べてみました。

文化財の情報を見ましたが簡易なものなので、その答えは結局わからず、さらに疑問が一つ湧いてしまいました。

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名称が若干変わって「永田家長屋門及び簓子塀」と表記されており、建築物として市指定有形文化財となっています。

漢字からして難しくなりましたが、簓子はササラコと読み、「簓子塀」は簓子下見板の付いた塀ということらしいのですが、これもわかりません。

簓子下見板とは、つまり細い角材で押さえた下見板を取り付けた塀ということのようです。

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またホームページには「立隠れあり」とも書かれていますが、これも意味がわかりませんでした。

調べてみても、これは一般的な用語ではないようですが、さいたま市の文化財解説ではよく使われているようです。

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2023年10月 1日 (日)

石神井川新青梅街道付近の河川改修工事と太田道灌が築いたともいう愛宕山城

石神井川の大雨対策の河川改修工事は、上石神井周辺で新青梅街道と交差する辺りから下流については、既にほぼ完了していました。

大泉学園と上石神井の間のバス通りに架かる愛宕橋と新青梅街道の間の区間も工事が進んだようです。

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↑上を通る新青梅街道の扇橋のすぐ下流に架かる小ヶ谷戸橋は、新たな橋梁に架け替えられていました。

コロナ緊急事態宣言が出る直前の3年半前に見に行った時は、工事で架け替えで通行止めになる直前でした。

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↑橋から下流を向くと、左岸側は歩行者自転車道が上下二段に分かれてありました。

下流の愛宕山橋から見ても、親水のため川に近づく意図でもなさそうで、地形的な配慮でしょうか。

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通行する人や車のことを考えて、仮橋を横に通すのが一般的ですが、この小ヶ谷戸橋は3年も単に通行止めとされていました。

見たところ、車はあまり多くなく歩行者は愛宕橋に迂回すればいいと思われてしまったのでしょうか。

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↑小ヶ谷戸橋に戻り上流側を見ると、こちらはまだ拡幅前であり作業用の仮橋のようなものが見えます。

橋の架け替えに際しては通行用仮橋は無かったのにどういうことでしょう。

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↑高い位置にある新青梅街道の扇橋から見ると仮橋でもなさそうです。

大型重機が行き来するだけでなく、護岸に杭打ち等もする重機も乗せて作業できるような頑丈なもののようです。

小ケ谷戸橋が架け替えられても、ここの工事はまだまだこれからのようです。

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2023年9月17日 (日)

三輪城、沢山城は公的なものには出てこないが土塁や空堀の残る素晴らしい城跡

町田市三輪に沢山城または三輪城といわれる城跡があります。

町田市ホームページなどには載っていないので知りませんでしたが、近くに行った際に立ち寄ってみました。

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沢谷戸自然公園の北側の山の中にあるということです。

公園内からの登り口を探しても見つかりませんでしたが、南西端の入り口の奥にそれらしき階段があります。

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公園とのフェンス沿いの雑草の多い通路を登っていくと、横には小さな墓地などがあります。

さらに、蚊に刺されながらクモの巣をよけ、ヘビに注意しながら半信半疑で進むと、これは城跡らしいと感じられるものがありました。

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↑両側は土塁で間には空堀のようです。

しかも、想像していた以上に深く立派なものです。

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↑少し行くと、三輪七面山の山主名で、団体の方はお戻り下さいという立札があり、ここは民有地であることがわかります。

テレビ等の取材や犬の散歩もやめるよう書かれています。

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↑お参りするつもりなので行かせてもらうこととして、二の郭と思われる高台に一旦登ると、その先の鳥居の奥に再び下り階段があります。

その低くなった先はまた高くなっています。

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↑この低いところは空堀のようです。

右側である南に向けては公園がある方向で、下り急斜面になっています。

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2023年8月20日 (日)

畠山重忠がいたという菅谷館跡と埼玉県立嵐山史跡の博物館

嵐山町の国道254号を走っていて興味があり行ってみたいと思うながら、これまで行けていないところがありました。

埼玉県立嵐山史跡の博物館です。

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ここには隣接して菅谷館跡という城跡もあるといいます。

↑左側が国道バイパスですが、入り口からすぐそれに沿うように空堀があり、気分も盛り上がります。

駐車場の奥が博物館ですが、その目の前には土塁があります。

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まずは城跡見学の予習も兼ねて入館料100円を支払い、博物館に入ります。

県立博物館だし、安いとはいえ一応有料なので期待していたのですが、展示されているものは量的にも質的にも、失礼ながらよく市町村にある歴史博物館にあるものとと同じようなものでした。

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博物館敷地も含めて城内なので、建物裏口から出るとすぐに菅谷館跡です。

この城跡の方は期待以上によく保存されており、空堀も結構深く大きなものでした。

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毒ヘビ(マムシ)注意との看板は有り難いのですが、どう注意すればいいものかいつも悩んでしまいます。

夏の城跡巡りは、スズメバチ対策や雑草の多さも含め厳しいものがあります。

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↑本郭の周りは空堀とともに高い土塁もあります。

これらは、戦国時代に数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大されたものと考えられています。

菅谷館跡は昭和48年(1973)に国指定史跡となりました。

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↑本郭前の土塁は出枡形となっており、敵の進行方向に対して側面から攻撃する横矢掛ができるようになっています。

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2023年7月16日 (日)

実は城山公園だけでなく本当の城跡もある稲城市大丸城と円形をした都営住宅

半年ほど前に行った稲城市向陽台にある城山公園は、大丸城跡なのかと思いきや、なんちゃって城跡でした。

でも、本当に大丸城はあったということなので、そちらに行ってみました。

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↑奥に見える多摩川の是政橋の右岸側、南武線南多摩駅からさらに少し南になります。

↑道路に架かる城山橋から見て、左方が城山公園や稲城市立中央図書館、右方が大丸城のあったところです。

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↑山城らしく斜面を登っていかなくてはなりません。

木々が生い茂っているので暑さよりも、夏のこの時期は蚊やハチ、マムシなどに注意が必要です。

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稲城市だけでなく、多摩市、八王子市などで昭和の終わり頃、多摩ニュータウン開発のため大規模な造成工事が行われました。

ここのような風景の広がる地区だったのでしょうが、この周囲は中高層建築物や戸建て住宅が多数あります。

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↑やがて、標高100メートルほどのところに予想外の舗装された、ベンチのある狭い広場にでます。

しかし、大きな木々があり景色は見えませんし、隙間から見えるのは遠方ではなく目前のマンションです。

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↑ここから上は斜面の崩落予防のためかコンクリート打設されていますが、10メートルほど先の上には登ることも出来なくなっています。

大丸地区開発の造成工事時の際に発掘調査が行われ、里山の頂上に空堀に囲まれた本曲輪があり、その外側に二の曲輪、三の曲輪のある山城だったことがわかっています。

しかし、そのまま開発が進められたので今ではどこが何やらわかりません。

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2023年4月30日 (日)

あまり見かけたことのない戦国時代に石積みがあり大堀切や切通しも立派な小倉城跡

ときがわ町、嵐山町、小川町境界付近にあり、国指定史跡にもなっている小倉城跡を郭1、郭2と前回見てきました。

さらに、様々な工夫が凝らされた山城らしいところがあります。

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郭2の南側には大堀切があり、そのさらに南にある郭4との間を仕切っています。

↑この奥がクランク状の形となっており、上段にのぼり旗があるところが郭2です。

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両側には竪堀があり尾根道を完全に遮断していました。

当時はここに木橋が架けられていたようです。

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↑郭2より少し低い位置にあるのが郭4です。

こうした説明だけでは全体像が伝わりづらいので、ときがわ町によるパンフレットにも載っている復元想像図です。

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前回触れたように西を流れる槻川が北で向きを変え、さらに東を流れていくという、川に囲まれた小倉城跡ですから、南側から来る敵をまず迎え討つのが郭4になります。

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↑この郭4へは南から急な斜面となっており、ここには虎口があったようです。

北から郭1、郭2、郭4と南に見てきましたが、郭1から東へ一段下がったところには郭3があります。

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↑その間には、切通しがあります。

岩盤の地面ながら幅5メートル、高さ3メートルもの大きさです。

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当時は木橋があったようですが、現在も木橋があります。

観光用に復元したものかと思ったら、工事用とのことで橋は通行禁止でした。

この郭3を支えている石積みがあります。

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2023年1月29日 (日)

立派な山城らしいのになんちゃって城跡の稲城市の城山公園

城山公園は各地にありますが、いずれも築城者などは不明であっても何らかの城跡であることが一般的です。

そのつもりで、稲城市向陽台にある城山公園に行ってみました。

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多摩川から近くですが多摩丘陵にあり、城山公園前交差点の標高は78メートルです。

↑歩道橋につながるデッキから山城らしい登り坂があります。

しばらく登るとファインタワーがあります。

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展望台になっているのですが閉まっており、5月から10月の日曜祝日の午後しか開いていないようです。

景色に期待して登ってきたのでちょっと残念です。

雪深い山中ではないのだから、夏のみとか季節は関係ない気がしますが。

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↑表示板によると高さ24メートル、地盤面の高さ111メートルとありますから、ここに真っ直ぐ上がってくる階段から南方にはいい眺めです。

下の水の広場は83メートルとありましたから、この階段から登ってくるのはきつそうです。

タワーの下の「五の丸」と書かれた石柱が気になりますが、こちらには何の説明板もありません。

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↑このタワーの裏側には北方に向けて、さらに山坂道を登っていけます。

道は途中二つの分かれているので、まず左側に行きました。

左側も雑木林ですがフェンスがあり入っては行けません。

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石標があるので見てみると、陸軍用地境界標です。

そして横田基地などで見かけたWARNINGの表示板です。

やはりここも在日米軍基地と書かれており、多摩サービス補助施設なのです。

日本陸軍多摩火工敞がGHQに接収されたものです。

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2022年11月 6日 (日)

九品仏にある2本の都天然記念物の木と残っている奥沢城跡の土塁

東急目黒線九品仏駅には九品仏があるのですが、正式には「九品山唯在念佛院淨眞寺」という浄土宗の寺院です。

九つの阿弥陀如来像があることから、九品仏浄真寺と呼ばれています。

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かなり昔からあるのかと思っていましたが、想像よりは新しく、江戸時代の初期創建です。

徳川四代将軍家綱の頃、延宝6年(1678)のことで、奥沢城跡であったところに設立されました。

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↑駅から北へ参道を進み、先程の南にある総門をくぐり、西向きである左に行くと山門があります。

寛永5年(1793)に建立された左右に金剛力士像のある仁王門です。

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↑その奥には大きなイチョウの木があります。

樹齢300年というもので東京都指定天然記念物となっています。

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創建当時からあるということでしょう。

本堂前の枯山水庭園も楽しみにしていたのですが、本堂の工事中ということで、足場が組まれていて庭園鑑賞という感じではありません。

もう一つの東京都指定天然記念物であるカヤの木です。

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こちらは樹齢700年以上といいますから、鎌倉時代からあったということになります。

浄真寺ホームページには、周囲の土手はこの地がかつて奥沢城であった名残で、鎌倉期における築城学上「土塁」の形態を示すものとして貴重な資料であるとあります。

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2022年7月10日 (日)

城山の森北側の田園風景と想像を超えていた多和目城の高麗川断崖

坂戸市にある多和目城跡と城山の森を見てまわってきました。

崖崩れによる通行止めで、これまで全く水辺に行くことができませんでしたが、森の北側には水路があるようなので行ってみました。

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まず、森の敷地内北西側ですが、木々の隙間から下の方に水があるようにも見えます。

この向こうには八高線が通っているはずですが、やはり見えません。

さらに北へ下り坂を下っていくと、空気感が変わり気温も少し高くなった気がします。

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↑坂を下りきると、森の北西端より北の方角に向けて急に視界が広がります。

広い田畑があり、目の前には小川が流れています。

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↑前回掲載と同じ坂戸市「城山の森」パンフにあった地図です。

城山は名前の通りに小さな山となっており、こちら側は城としては水堀になっていたのでしょうか。

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↑時計回りに進んでいくと、同様の田畑とともに太陽光発電のパネルも見られます。

これは「新しき村」という武者小路実篤らにより創設されたという施設のようです。

ということは坂戸市ではなく毛呂山町です。

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↑地図にもあるように森の北端には池がありました。

広い城山の森に降った雨や地下水が流れ込んでくるようです。

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2022年7月 3日 (日)

坂戸市なのに八高線沿いにある城山の森と城山荘前からの眺め

前回に引き続き、坂戸市にある多和目城跡の話です。

西坂戸の住宅街のある北側から城跡に入り、高麗川の断崖の方を見ようとしたのですが、崖崩れにより通行禁止となっていたというところでした。

来たのと同じルートを引き返すのも面白くないので、別の道を通ることとしました。

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↑こちらは崖崩れこそないものの、さほど大きくない木の倒木はありました。

やがて住宅街の近くに戻ってみると、今通ってきたところは入り口のところでは通行止めとなっていたようでした。

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誰ともすれ違わないわけです。

ここにはベンチもありこちらの方が一般的な入り口のようです。

城山の森案内図もあって、ここまで辿ってきた道の全体像がようやくわかりました。

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城山の森はほとんどが民有林ですが、市内唯一のまとまった樹林地で、すばらしい景観と良好な自然環境が残っているということで、坂戸市として城山の森づくりをしています。

案内図によると、このすぐ近くに城山荘というところがあります。

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↑宿泊施設のある観光地とも思えないので何だろうと行ってみました。

高台にあるので目の前には民家の屋根越しですが、比企丘陵の見渡せる景色はいいところです。

ただし、城山荘とは坂戸市立老人福祉センターでした。

ここに来ようとする方が果たして来ることができる立地なのかとも思いますが、一応バスはあるようでした。

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前回も書いたようにここは西坂戸の住宅街に隣接しています。

↑城山の森の外側であっても、初めに見た運動場越しにも遠くが見渡せますし、桜並木のようですからその頃はきれいでしょう。

森の外なのに運動場との高低差があり、地形がわかりづらいかと思われます。

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