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遺跡・古墳

2017年8月13日 (日)

さきたま古墳群より200年古く、家康も来ていたという新河岸川沿いの権現山古墳群

埼玉県にある古墳といえば、行田市にある「埼玉(さきたま)古墳群」が有名であり、埼玉県という名称の起源とも言われており、4年前に見に行きました。

しかし、それより200年前の3世紀後半の古墳が、ふじみ野市にあるというので行って来ました。

邪馬台国の卑弥呼が3世紀前半の239年ですから、そのたった50年後ということですから驚きです。

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「権現山古墳群」といい、武蔵野台地が新河岸川と接する崖の上の見晴らしのいい場所に造られた古墳12基からなる古墳群です。

今から1700年前の古墳時代前期の古墳が現存することは少なく、埼玉県指定史跡となっています。

↑「権現山古墳群史跡の森」として保全されていますが、全体が小高い丘のようになっています。

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↑一番大きい2号墳は、全長32mの前方後方墳です。

よく耳にする前方後円墳ではなく、前も後ろも「方」、つまり四角形です。

この辺り一帯を治める首長の墓と考えられています。

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手前が前方部ですが、正方形ではなく、扇を広げたように手前部分の方が長くなっていて、初期古墳の特徴を示しているそうです。

↑今では木々に覆われてよくわかりませんが、奥には新河岸川越しに遠くまで見渡せるところです。

道路を挟んで、その新河岸川の崖があります。

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↑見づらいですが下の方の明るいところが新河岸川の流れで、崖から人が誤って落ちないように柵があります。

古墳群は、先程の2号墳以外は、残りはすべて四角形の方墳です。

2号墳と↓の7号墳からは、底にわざと穴をあけた土器が出土されました。

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埋葬儀礼に使われ、後に埴輪に発展する前段階のものと考えられています。

荒川下流域にも古墳文化があり、そんなものもで出土していたとは知りませんでした。

ところで、何でここを「権現山」というのか不思議に思っていました。

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2017年7月 2日 (日)

吉見百穴よりも大規模な500基以上あるという黒岩横穴墓群がある八丁湖公園

地図を見ると、埼玉県吉見町にはいくつも池のようなものがあるので、それを見に行ってきました。

その一つは八丁湖公園となっており、駐車場もありそうなので車で行きました。

行きの国道463号線所沢入間バイパスと409号線経由では2時間近くかかってしまいましたが、帰りの254号線バイパス経由では1時間半でした。

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吉見町公式サイトによると、丘陵の裾に人工的な沼が点在していますが、これらは水田耕作のために造られた溜め池ということです。

八丁湖もこうした人工的な沼で、その面積は約52,000㎡です。

湖と名付けられていますが、沼や池という感じです。

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↑湖を一周できるように1600mのウォーキングコースとして整備されています。

少し遠回りをする2100mのジョギングコースもありますが、こちらは途中に結構な坂道も含まれています。

八丁湖はふしぎな形をしており、漢字の「土」という字のような形です

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八丁湖もかつては、八丁八反の沼と呼ばれていましたが、実際の面積は八丁八反だったわけではありません。

八という数字は末広がりで、しかも、多いと言う意味で使われ、重ねると語呂が良いというところから、八百八町、八百八橋という言葉が生まれたのと同じだそうです。

現在の「八丁湖」という呼び名は第二次大戦後に付けられましたといいます。

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↑山というか丘陵に囲まれた自然豊かな所で、鳥の鳴き声が数多く聞こえますが、その鳥の説明ボードは数限りなくあります。

あのオオタカもいるということです。

歩いていると、ホーホケキョというウグイスの声が聞こえてきます。

春のイメージが強い鳥の声を、蒸し暑い梅雨空の下、聞くのも妙な感じです。

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さて、今日のもう一つの目的地は、黒岩横穴墓群で大正14年に埼玉県指定史跡となった横穴墓群です。

この吉見丘陵の北東部に位置する八丁湖に隣接しており、古墳時代後期から終末期といいますから6世紀ころに造られたと考えられています。

なんとなく横穴らしきものがいくつか見えますが、草木が生い茂りわかりづらいです。

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もう5年も前のことですが、吉見百穴を見た時は、いかにも横穴がたくさんありました。

国指定史跡で、しかも入場料も徴収していましたから草刈りとかされていたのでしょう。

こちらは県指定史跡で、しかも無料ですから仕方ないのでしょうか。

はっきり分かるところを探します。

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2017年6月18日 (日)

埼玉県南部唯一の前方後円墳の柊塚古墳と黒目川の終点にあるゼロキロポスト

黒目川沿いを自転車に乗って下流方面に向かって、再び朝霞市まで行きました。

先日行った城山公園の少し先に、埼玉県南部で唯一、墳丘が現存する前方後円墳があるというのです。

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↑黒目川の右岸側すぐ近くですが、中央部の木の生い茂った小高い丘のようなところに位置する「柊塚(ひいらぎづか)古墳」です。

柊塚古墳歴史広場として整備されており、駐輪場だけでなく駐車場までありました。

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↑馬形のモニュメントがありますが、ここからほんとうに馬形埴輪が発掘されたそうです。

墳丘は標高21mの位置にありますが、黒目川下流部のこの辺りは標高3m程度しかありませんので、標高差は20m近くあります。

柊塚古墳は発掘調査の結果、6世紀前葉のものといい、埋葬施設は二カ所あるようですが、誰の墓かはわかりません。

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埼玉県といえば、4年前に行った行田市にある「さきたま古墳群」が有名ですが、県南部にもこんな古墳があったとは知りませんでした。

古墳の墳丘の周りには周濠もあったようです。

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現在でも「後円墳」の部分は形がわかりますが、「前方」(前の方ではなく、前にある四角形)の部分は原型を留めていません。

住宅等で開発されてしまったようです。

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↑右のほうが、前方の部分ですが、切れてしまっています。

円墳の裏側に廻ることができますが、頂上部まで登れる通路があるのですが、入口が閉鎖されています。

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この公園には不思議な形だなと思われる小さな建物がありました。

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2017年3月19日 (日)

デパート屋上に観覧車がビルトインされている不思議な名前のセンター北駅と古墳へと発展しそうな方形周溝墓のある歳勝土

子供の頃は、デパートに行く楽しみの一つに屋上の遊園地がありました。

観覧車などの遊具が数多くありましたが、今ではすっかり珍しい存在となってしまいました。

それが、「モザイクモール港北」という、センター北駅前の「都筑阪急」の屋上にはあります。

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屋上にある観覧車というと、もう少し小さいイメージですが、ここにあるものは直径45mもあります。

首都圏では初めての、そして現在でも唯一であるビルトインタイプの観覧車で、高さは地上67mなります。

後から屋上に設置したのではなく、ビル建設当時から建物の構造の一部として設計されて、建物の構造に組み込まれているようです。

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確かに後からこの大きさのものを設置したら、不安定でしょう。

ところで、この「センター北駅」という名称にはちょっと違和感を感じます。

大抵は「〇〇センター北」とかいう名前にして、どこにあるのか、何の施設のセンターなのか、わかるようになっているように思います。

横浜市営地下鉄の駅ですから、市民は当然、港北ニュータウンの中心市街地であるセンターだとわかるに決まっているということでしょうか。

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ここは地形的にも特殊のようで、あざみ野駅から来た地下鉄ブルーラインも、日吉駅から来た地下鉄グリーンラインも、このセンター北駅で地下から地上に出て来て、センター南駅で再び地下に潜り、それぞれ中山駅方面と横浜駅、湘南台駅方面へと向かいます。

↑センター北駅から南駅を向いていますが、右がブルーラインは横のサードレールから電気を取り入れており、左のグリーンラインは上の架空電線からパンタグラフで電気を取り入れているので景色が違います。

この辺りは、早渕川を挟んで谷となっていますから、このセンター北駅とセンター南駅間は地上でしかも高架上を走っているのです。

センター北駅の辺りの標高は31m、センター南駅の辺りも標高は31mです。

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早渕川のところでは標高は13mと低くなっています。

↑前回から見てまわっている大塚歳勝土遺跡公園は高台にあることがわかりますが、茅ヶ崎城址公園とは早渕川を挟んで反対側となります。

北と南にこうした地形となっていますから、この早渕川はかつては水量の多い急流の川だったことでしょう。

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港北ニュータウンの開発で地形も大きく改変されていますから、以前の様子はわかりません。

↑しかし、遺跡は大塚・歳勝土遺跡公園は標高50mほどの高さがありますが、公園として保全され、そこには地形模型があります。

前回見た大塚遺跡の弥生時代の住居跡でしたが、歳勝土遺跡は墓地があったところです。

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2017年3月12日 (日)

弥生時代に既に空堀や土塁があった大塚歳勝土遺跡、当時は都筑まもる君がいなかった

今から2000年ほど前の、この地方で稲作を始めた人々の暮らしていた、弥生時代中期のムラとその墓地が一体的のわかる貴重な遺跡も横浜市都筑区にあります。

大塚・歳勝土遺跡として国指定史跡となっています。

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弥生時代の住居跡に竪穴住居が復元されています。

大塚遺跡は外周600mに及ぶ大きな溝を廻らせた大規模なムラ全体が発掘され、85軒もの竪穴住居跡と25棟の高床倉庫があったようです。

↑これは中型住居で標準的な大きさです。

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↑大規模な住居もあり、ムラ長の住居だったようで集会所としても使われていたといいます。

いずれも中に入れるようになっており、結構しっかりした作りになっていることから当時の技術水準に驚かされます。

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↓竪穴住居の発掘跡が保存されています。

2回の建て替えが行われたことがわかり、壁の一方には通路があったこともわかったそうです。

こうした発掘とその検証の技術の高さにも驚かされます。

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ところで、竪穴式住居とか高床式倉庫とか、歴史の授業では「式」が入って教えられた気がしますが、案内板には「式」無しで表示されています。

現在の山川日本史の教科書を見てみると、確かに竪穴住居、高床倉庫と記載されていました。

その高床倉庫も復元されています。

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柱にはネズミ返しという侵入を防ぐためのものも既に設置されていたといいますから、予想以上に発達した社会です。

このムラの周りには溝があったといい、さらには柵も廻らされていたと言います。

幅4m深さ2mもあったといい、復元されていますが、弥生時代から何のためにあったのでしょうか。

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2016年5月29日 (日)

海からずっと離れた埼玉県富士見市にある国指定史跡の水子貝塚

埼玉県富士見市に水子貝塚公園というところがあるようなので、見に行きました。

かなり暑い日だったこともあり、自転車ではなく車で行ってしまいました。

水子というのは地名なのですが、ここは国史跡に指定されており、公園として整備されています。

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↑入口から入ろうとすると、貝塚よりも当時の住居らしきものがいくつか見えてきます。

この公園のあるところは、竪穴住居内に残された小貝塚が環状に分布する、縄文時代前期中頃(約6000~5500年前)の集落跡であることが、発掘調査により明らかとなっています。

復元された竪穴住居が復元されており、この15号住居跡のように中に入れるものもあります。

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竪穴住居とは、地面を掘り込んで床として、柱を立てて屋根をつくり、周りを土で盛って水を防ぐ仕組みになっています。

夏涼しく、冬暖かいといいますが、中に入る前はあまりそのようには思っていませんでした。

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真っ暗な中に入っていくと、当時の人々の暮らしの様子が再現されていたので、声を上げそうになるほどびっくりしました。

しかし、この日は30℃近くに気温の暑い日ですが、中はひんやりしていました。

写真では、見やすいように明るくしていますが、実際にはもっとずっと暗いです。

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↑屋根を裏側から見ていると、意外としっかりした造りになっていたようです。

柱だけの骨組みも見られますが、この立柱で全体の重さを支えるのですから、縄文時代から結構な建築技術水準があったのでしょう。

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竪穴住居の復元されたものは、このようにいくつもあります。

ところで、貝塚はどこにあるのでしょうか。

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2014年12月 6日 (土)

東村山では縄文時代から漆を塗っていたんだって

東村山市多摩湖町では「下宅部遺跡(しもやけべいせき)」が、1995年に都営住宅建て替え工事の際発見され、6年間にわたる発掘調査が行われました。

その一部が「下宅部遺跡はっけんのもり」として公園になって保存されています。

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ここは多摩湖から流れる北川に面しており、豊富な湧水により、通常では残りづらい木の道具や水辺の施設などが見つかった、縄文時代後期・晩期、古墳時代、奈良時代、平安時代にかけての低湿地遺跡です。

復元された河道に湧水が流されています。

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↑奥に見えるのは、トトロの森 八国山緑地です。
↓池状遺構も復元されています。

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水が豊富だったので残されていた漆工関連出土品は、東京都指定有形文化財となっています。

ここで発掘された出土物は、すぐ近くの「八国山たいけんの里」という名の東村山市埋蔵文化財センターに保存されています。↓

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今から3000年から4000年前の縄文時代後期から晩期にかけての、漆塗りの木製品や土器が数多く発見されています。

特に木製品などの有機質は通常では分解されてしまっているものが、ここでは湧水を豊富に含む土壌であったため残っていたそうです。

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漆塗りの弓や木製容器、さらには漆樹液採取の跡の残った木材や樹液を保存する土器も発見されました。

ここには縄文式土器も多数展示してありました。

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次に、ここの施設名称にもなった、「となりのトトロ」の舞台にもなったといわれている「八国山緑地」に立ち寄ってみます。

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2014年5月18日 (日)

等々力渓谷と前方後円墳のような野毛大塚古墳など見に行く

東京23区内で唯一の渓谷だという「等々力渓谷」に行きました。

多摩川に向かって流れる谷沢川のうち約1km部分です。

東急大井町線等々力駅のすぐ近くの、谷沢川への階段を下りると別世界です。
東京都指定名勝にもなっています。

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二十年ぶりくらいで来ましたが、景色はさほど変わっていませんけど、人の多さには驚きました。

川沿いの道は片側しかなく、狭いところもあり、しかも水たまりもあるので、すれ違いに苦労することもありました。

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↑たまたま人のいないときに撮影しましたが、実際には数多くの人がいます。
話し声がなければ、上に環状8号線が通っていることに気付かないくらい静かです。

しばらく歩くと、不動の滝があります。

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この音が、等々力に地名の由来のひとつとされています。
ここから階段を上ったところには、等々力不動尊があります。

さらに、東側の目黒通りの向かい側に「御岳山古墳」があります。

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この辺りにある国分寺崖線の高台にある野毛古墳群のひとつで、古墳時代中期の5世紀中ごろのもののようです。
東京都指定史跡です。

帆立貝形古墳で、全長54m、後円部の全長40m、高さ7mということですが、敷地内には入れません。

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ところで、等々力渓谷の敷地内にも古墳があるということでしたが、下流まで全体を見て回ったのですが、気が付きませんでした。

どこにあるのでしょう。

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2013年7月14日 (日)

古墳か塚か、あきる野市大塚古墳

JR五日市線で秋川駅手前の右側に小高い山が見えますが、それが古墳だというので行ってみました。

都指定旧跡の大塚古墳です。

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35℃を超え猛暑日となった日でもあり、自転車では来られず、電車と徒歩で行きました。

駅からは歩いて5分ほどです。

あきる野市のHPによると、大塚古墳は王塚古墳とも呼ばれ、高さ6m、周囲は130mあり、円墳に見えますが当時は方墳だったのではないかと考えられています。

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事前のネットのよる予習によると、秋留台地には多くの古代住居遺跡があり、近くにある瀬戸岡古墳群は著名であるが、大塚古墳は比較にならないほど規模が大きいことや、台地にある古墳としては重要であることなどが案内板には書かれているようです。

神社があり登っていけますので、上に行きました。

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木々の隙間からは、サマーランドも見えます。

古墳の周囲は大塚公園として整備されています。

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ぐるっと回って、改めて見てみると案内板は新しいものとなっており、しかも読んでみると、以前のものとは中身が違います。

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2013年7月 7日 (日)

富士見池と石神井川改修と下野谷遺跡公園

富士山、世界文化遺産登録おめでとう企画第2弾です。

練馬区の武蔵関公園には「富士見池」があります。

かつては湧水も豊富で、石神井川の源泉のひとつであったようです。

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今では湧水はなくなり、すぐ横を流れる石神井川の調整池となっています。

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↑川の水量が多くなると、左奥から池に流入する仕組みです。 

↓池側から見ると、水量の少ない今は、川からの水は入ってきていません。

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調べてみたら、洪水時の調整池の機能だけでなく、石神井川からあえて導水までしているそうです。(環境省HP

残念ながら、石神井川の洪水対策のため、護岸工事をし河床を掘り下げることによって、富士見池の底よりも低くなり、湧水も川に流れ込んでしまうようになったみたいです。

となれば、川から池への導水はやるべきでしょう。 

先程の石神井川から流入口すぐ近くの、池の中にある「芦の島」には野鳥がいるようで、観察している人が数多くいました。

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ところで、なぜ富士見池という名がついたのか不思議です。 

東京にも、かつては富士山が見えた(今はビルなどができて見えない)という富士見坂は多数存在していますが、この池のまわりは高台に囲まれています。 

昔から富士山は見えなかったのではないでしょうか。 

池から上流側、つまり富士山のある西や南西側を見ても、やはり高台です。

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ここから上流は西東京市ですが、ご覧のように河川改修工事により川幅も広くなっているし、立派な河川管理用通路としての歩行者自転車道もあります。 

見かけは完成しているように見えますが、所々で通行止めとなっており、ぐるっと遠回りをしないと上流に進めません。

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こうして進んでいく中、気になる看板を見つけました。

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