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庭園

2017年10月29日 (日)

彩の国 音かおりの里は木々の音や鳥の声を聴けるいいところだがちょっと古くなっているかも

またまた地図を見ていて気になった「彩の国 音かおりの里」というところに行って来ました。

大宮駅から西へ2.5kmほどのところで、さいたま市大宮区の境界から西区に入ったところになります。

北の方から向かい入口を探しましたが、大宮西高校グラウンドに面した南側にありました。

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↑撮影した角度が悪く、「か」が抜けて「彩の国音おりの里」となってしまいました。

1997年に隣の「さいたま市鴨川みずべの里」とともに公園となっており、こちらは名称に「彩の国」とついているように、埼玉県が設置したもので、管理はさいたま市がしているようです。

音やかおりに親しむことにより、身の回りで発生する騒音や悪臭について考えてみようという目的があるそうです。

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↑(クリックすると拡大します)自然の音とかおりの小さな博物館とも書かれています。

まず、「かおりの花の広場」がありますが、強い雨が降り、風も強いせいか、あまり四季の花のかおりは感じることができませんでした。

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↑次に「かおりの音の家、水底のベンチ」があります。

ここには屋根があり、木の筒でできた音具があるはずなのですが、壊れてしまっているのか音はしていません。

雨の音も聞けるということですが同じで、雨も風は強いのに残念です。

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↑「ささやきの壁」といい、手前の半径4m長さ8mの小さい円弧と奥の半径30m長さ50mの大きい円弧があり、端でささやいた声が反対の端で聞こえるというもので、大きさによる違いを試せるようになっています。

子どもが楽しく学べるように作られているのでしょうけれど、非常に寒い雨の日ですので子どもはいませんでした。

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↑長い壁の円弧の中心点には足形の石があり、ここで壁に向かって手を叩くと、反射音がよく聞こえます。

壁との間にあるのは「足音のみち」といい、木の板や金属の板の上を歩いて、音の違いを感じられるようになっています。

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この道の途中にある椅子は「聞き耳のイス」といい、ここの他にもいくつか設置されていて、回転式でいろいろな方向を向くことができ、座ると耳の後ろの部分に集音板が付いています。

これにより、水辺で休む鳥たちの声が聞けると書かれていますが、ちょっと不思議です。

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2017年6月25日 (日)

二・二六事件のあった高橋是清私邸跡地に行ったが、蔵相だけでなく首相や日銀総裁もしていたとは

青山に所用があったついでに、いつものように地図を見て気になっていたところに行ってみました。

高橋是清翁記念公園です。

過去の経済財政政策との話というと、インフレ政策としての「高橋財政」がよく話題となります。

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その高橋是清私邸跡地が港区立公園となっています。

1936年(昭和21年)の二・二六事件において、高橋是清大蔵大臣はこの私邸で青年将校らの襲撃により亡くなっています。

その邸宅そのものは、小金井公園にある江戸東京たてもの園に移築されています。

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↑この跡地公園では高橋是清氏の銅像が敷地南寄りの一段高いところにあります。

大蔵大臣のイメージが強いですが、実は総理大臣や日銀総裁にもなっています。

日本銀行に建築事務主任として採用され、西部支店長、副総裁となり、1911年(明治44年)には日銀総裁にまでなります。

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↑その高橋像のところから見た庭園の様子です。

1921年(大正10年)に東京駅で暗殺され亡くなった原敬首相に引き続き、内閣総理大臣となったのはこの高橋是清です。

なぜかそれよりも、1929年(昭和4年)の世界恐慌や昭和恐慌後、1931年(昭和6年)から大蔵大臣として実行した、積極的な財政政策や低金利政策、金輸出再禁止が「高橋財政」としてずっと有名となっています。

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↑ここには池もあり、水が流れていますが、湧き水なわけではなく、内部で循環させているようです。

高橋財政により、経済は無事に持ち直しを図ることができ、そもそも積極財政派なのに、二・二六事件で襲撃されてしまったことは残念です。

大蔵大臣を7回も務めたようです。

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↑関係ありませんが、敷地内にはこのようないくつもの、ちょっと見かけが不思議な像があります。

軍部としては武器関係の予算が無尽蔵に付くわけはないので、予算が大蔵省から削られることが不満だったことでしょう。

ここは青山通り南側の一等地ですが、通りの北側は広大な緑に被われた東宮御所などもある赤坂御用地です。

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2015年4月26日 (日)

2つ並んだ国宝の紅白梅図屏風、燕子花図屏風と庭園のカキツバタ

今年2015年は、1716年(享保元年)の尾形光琳の没後300年忌になるそうです。

これを記念して、別の美術館に所蔵されている2つの国宝が、56年振りに並べて見ることができます。

日本史の教科書で見たこともある「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」です。

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表参道駅から歩いて、根津美術館に行ってきました。

新聞によると、2日前には天皇皇后両陛下もこの特別展を見に来られたそうです。

尾形光琳は、江戸時代の享保元年に59歳で没しましたが、江戸時代初期の装飾芸術と新しい時代の感覚も取り込んで、独自の世界を作りました。

燕子花図屏風は金と青と緑のみで描かれた、模様化された燕子花(カキツバタ)が美しく描かれています。

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今で言う「コピペ」で、同じ模様の花を描くという斬新な手法も取り入れられています。

こちらは、根津美術館の所蔵です。

一方、紅白梅図屏風は、いつもは熱海のMOA美術館にある、紅梅と白梅、その間を暗く輝く流水が縦断する印象的な屏風です。

今日は、暖かいお出かけ日和の日曜日だったせいもあり、大変な混雑でしたが、私にとっては、期待によってハードルを上げすぎていたせいか、第一印象はピンときませんでした。

根津美術館は広い庭園も有名ですから、庭園を一巡りしてから、もう1回見てみようと思います。

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南青山とは思えない、1万平方メートルを超える高低差のある広い敷地に日本庭園が広がっています。

池には、屏風と同じ燕子花(カキツバタ)の花が咲き始めていました。

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この2つの国宝を並べた特別展は、3月にはMOA美術館でも開催されていますが、その時は梅の花の時期に合わせたのでしょう。

こちらでは、燕子花に合わせて開催です。

「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(カキツバタ)」ということわざがありますが、あやめとカキツバタの区別は、実はつきません。

同じように見えますが、違いはどこなのでしょうか。

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2015年3月29日 (日)

縄文、古墳、小磯城、そして三井別邸もあった大磯のいい景色のところ

大磯にある旧吉田茂邸を、前回は見てまわりましたが、隣接していた神奈川県立大磯城山公園を区域拡張したということでした。

もともとあった公園の方を見に行きます。

どちらも、大磯城山公園ですが、「しろやま」とばかり思っていましたが、「じょうやま」と読むそうです。

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↑地図を見ると、国道1号線を挟んで、南(海側)は旧吉田茂邸地区、北(山側)が旧三井別邸地区となっており、実態は別の公園のようです。

明治31年(1898年)、この地が三井財閥本家の別荘地となり、旧三井別邸である城山荘があったところです。

こちらは「じょうざんそう」と読むそうで、日本語は難しい…

小高い丘陵となっており、階段や坂道を登っていくと、展望台があります。

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海の見えるいい景色です。

ここには、三井家を表すシンボルとして、三井総領家第10代当主三井高棟(たかみね)が情熱を注いだという城山荘本館のあったところです。

建築家久米権九郎設計の木造建築物で、昭和9年(1934年)に完成しました。

この建物は、全国の28寺社の古材を使用して建設され、歴史的にも非常に価値の高い建物だったようですが、建物は残念ながら残っていません。

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富士山も見えるのですが、この日は見えませんでした。

2年前の2月に小田原から江の島までの自転車旅の時にもここに来て、富士山の頂上以外は見えた写真です。↓

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ここは昔から人が住みたくなる土地のようで、古くは縄文式土器が出土していますし、古墳時代の多数の横穴墓群が残されています。

室町時代には、小磯城があったとのことです。

大磯ではなく小磯というのも驚きましたが、この辺りの地名は小磯でした。

文明8年(1476年)から文明12年(1480年)にかけて起こった、関東管領上杉氏の有力家臣長尾景春による反乱がありました。

文明9年(1476年)景春の被官・越後五郎四郎がここ小磯城に篭りましたが、太田道灌に攻められ落城したとされます。

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↑さて、昭和の旧三井別邸に話を戻すと、建物で残存しているのは「北蔵」だけです。

北蔵は昭和16年(1941年)に石造り、瓦葺屋根で建てられたもので、東京の麻布区今井町本邸にあった茶道具や骨董を入れる倉庫として使われていて、現在は「北蔵ギャラリー」となっています。

さらに、庭園内を見てまわります。

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2015年3月22日 (日)

大磯にある日本戦後史に足跡を残した旧吉田茂邸跡地の公園

戦後、1951年(昭和26年)サンフランシスコ講和条約や日米安全保障条約を締結した時の吉田茂首相の邸宅は、神奈川県大磯町にありました。

昭和19年から、生涯を閉じる昭和42年までを過ごしたそうです。

ここは、神奈川県立大磯城山公園の一部となっています。

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相模湾沿岸地域一帯は、明治期から別荘地・保養地があり、特に大磯中心部一帯は、旧吉田邸をはじめとして、大規模でかつ著名人が構えた住宅・庭園が連なっています。

海沿いですが、崖のある高低差のある地形です。

↓この内門は、サンフランシスコ講和条約を記念して建てられたため、別名「講和条約門」とも言われています。

また、兜の形状に似ているところから、「兜門」とも呼ばれていますが、京都裏千家の表門の写しといわれています。↓

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昭和36年頃に完成した日本庭園は、中心となる心字池を邸宅の正面に配置した、池泉廻遊式の庭園です。↓

庭園設計者である中島健は、数奇屋建築の本邸との調和や花を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、さまざまな草花やツツジ類、ウメなどが多く取り入れられ、色彩豊かな庭造りをおこなったそうです。

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旧吉田茂邸は没後、西武鉄道株式会社へ売却され、大磯プリンスホテルの別館として利用されていました。

平成16年頃より、地元で保存の機運が高まり、神奈川県や大磯町により歴史文化遺産として保全・活用が検討され、隣接する「県立大磯城山公園の拡大区域」として、県が整備する方向性が出されました。

しかし、その計画検討の最中、平成21年3月、本邸が火災で焼失してしまいました。

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↑右奥に本邸がありました。

消失を免れた日本庭園や歴史的資源(兜門・七賢堂など)、そして大磯丘陵の貴重な緑地を保存活用するため、公園の拡大区域として、平成21年7月に都市計画の位置付け がなされました。

その後、「旧吉田茂邸地区」の事業として県が公園整備を行いましたが、焼失してしまった旧本邸は、どうするのでしょうか。

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2014年11月23日 (日)

能仁寺庭園と天覧山と、うだつが上がる店蔵

電車に乗って飯能まで、紅葉を見に行ってきました。

飯能駅から徒歩20分ほどで、天覧山の麓にある、室町時代中期に創建されたという能仁寺があります。

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山門から入ると、本堂の北側には美しい能仁寺庭園があります。
桃山時代の作庭と推定され、日本名園百選にも入っているとのことです。

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天覧山の南急斜面を巧みに取り入れて、背後に枯滝を組み、下部を池泉とした上下二段式庭園です。

池泉鑑賞蓬莱庭園といい、面積は324坪あります。

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カメラの腕の問題でしょうか、実物はもっときれいです。
本堂拝観料をお支払いして、本堂の裏側から庭を眺めることができます。

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引き続き、天覧山に登ってみました。

低い山だと聞いていたし、15分ほどで登れますが、19℃以上と11月下旬にしては暖かい日だったので、頂上に着くころには暑く感じるほどでした。

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標高は195mとはいえ景色は素晴らしく、飯能市街ははるか下に見えます。

元々、愛宕山と呼ばれていましたが、徳川五代綱吉将軍の病気平癒のお礼に生母桂昌院から十六羅漢の石仏が奉納されたので、羅漢山と言われるようになりました。

やがて、明治天皇が近衛兵の演習を山頂から見たことから、天覧山と言われるようになり、行幸記念碑も立っています。

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山を下り、飯能駅に帰る途中に、「うだつの上がらない」ではなく、「うだつの上がる」ものがありました。

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2014年8月10日 (日)

目黒天空庭園と大橋ジャンクションと再開発

東名高速とつながっている首都高速3号渋谷線と中央環状新宿線との「大橋ジャンクション」は、平成22年3月に開通し便利になりました。

高架上の3号線から、ぐるっと回りながら、地下の中央環状線の山手トンネルまで行くのですから、広い面積が必要なはずです。

とは言っても渋谷のすぐ近くでそんな広い面積もとれないので、苦労して再開発により事業を実施しました。Img_2436_500x375

ここは平成25年3月に「オーパス目黒大橋」として再開発され、ジャンクションとともに2つのビルと公園もできました。

↑模型の写真上方にあるのは42階建てのクロスエアタワー、下方にあるのは27階建てのプリズムタワーです。
3号線からの車は、ループを時計回りに地下の中央環状線に入っていきます。

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クロスエアタワーのすぐ横を、上下線双方向の4車線の道路が地下に入っていく様子を、3号線高架下の国道246号線から見てみると壮観です。

このクロスエアタワーは主に高級マンションとなっていますが、9階は目黒区の施設となっており、目黒区立大橋図書館もあります。

この9階へ直通するためのエレベーターの専用入口があるのですが、高級マンションのイメージを損なわないよう、区の施設の入り口とは思えないような立派なつくりです。
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9階の図書館のすぐ前からは、大橋ジャンクションの屋上に行けるようになっています。
そして、そこは「目黒天空庭園」となっています。

↓左が大橋図書館、右がジャンクションのループと庭園です。
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しかし、この橋を後で下から見てみたらと、けっこうスリルがあるところでした。

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この庭園は朝7時から夜9時まで開放されているようです。
どんなところか見に行ってみましょう。

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2014年5月25日 (日)

小平にあった落ち着く庭園と、おしゃれな図書館(なかまちテラス)建設

最近は、庭園と建物めぐりするのがマイブーム(使っていますが、実はこの言葉はきらいです)となっています。

遠出しなくてもいい、身近にある庭園はないか調べてみたところ、小平市学園西町に「小平市平櫛田中彫刻美術館」があり、そこには庭園もあるようです。

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平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)とは近代日本彫刻界を代表する文化勲章も受賞した彫刻家で、晩年を過ごした邸宅に美術館があります。

↑左にある「妖怪お化けきのこ」のような、笠がかかっているのは、彫刻用のクスノキの原木です。

彫刻は、新築された展示館にあります。
また、邸宅も記念館として公開されています。↓

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こちらにも一部展示もあり、作品は撮影禁止ですが、窓の外は撮影しても構わないとのことでした。
この庭はきれいです。

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↑庭の右には道を挟んで、玉川上水が流れています。
風の強い日でしたので、木が大きく揺れています(写真じゃわかりません)。

違う角度からも見てみます。
建物もいい感じですが、設計は国立能楽堂も手掛けた大江宏氏によるものだそうです。

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ここの客室には椅子があり、庭を眺められます。
座ってみると、どんな感じなのでしょうか。

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2014年4月28日 (月)

鎌倉で枯山水庭園を見に浄妙寺と光明寺へ

枯山水の庭園を見たいと思いまして、鎌倉に行きました。

 

枯山水は室町時代に禅寺で発達したことから、京都には有名なものが数多くありますが、鎌倉時代はそれよりも前なのでどうでしょうか。

 

電車内は観光客も多く、車内で輪行袋はじゃまそうなので、今回も自転車の旅ではありません。

 

鎌倉駅から京急バスに乗って、2kmほど北東方向にある「浄明寺」で降ります。

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「浄妙寺」です。 

1188年極楽寺という名で創建され、約100年後、浄妙寺に改名されました。

この辺りの地名は浄明寺で、字が違うようです、

境内は国指定史跡になっており、拝観料100円が必要です。

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本堂は江戸時代のものだそうですが、屋根は銅で葺き替えられており、まぶしいです。 

周囲も芝生がきれいで、ちょっとイメージとは違った本堂でした。 

墓地には足利貞氏の墓所もありました。 

そして肝心の枯山水です。

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奥にある喜泉庵に入れば、正面から庭を見られます。

ここではゆっくり庭を見ながら、抹茶と干菓子がいただけます。

600円または1000円かかるので、ここでは客も少なく、ゆっくりすることができます。

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お茶の作法は詳しくありませんが、ここでは勘弁してもらいます。

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↑向かって左側です。

↓向かって右側です。

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庭を見に来たというよりも、おしゃべりをしに来たという感じの数人のグループが帰ると、あたりはシーンとして落ち着いた雰囲気になります。

いつまでも庭を眺めていたいですが、次に向かいます。

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2013年10月20日 (日)

早稲田の環状4号線の行き先と甘泉園公園

都電の早稲田駅の近くに、新目白通りから早稲田通りまで南北に通る300mほどの道がありますが、現在はここで行き止まりです。

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少し高いところから見ると、都電の通る新目白通りより北側も用地が取得されているようで、延伸するみたいです。

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どこにつながるのか、ちょっと様子を見に歩いて行ってみました。

すぐ北には神田川が流れているので、まず護岸に道路橋を渡すための橋台工事が片側だけ行われていました。

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神田川から北側は豊島区ですが、かなり空地も増えています。

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工事の看板を見ると、これは都市計画道路の環状4号線で、不忍通りとつながるようですが、この先にはかなりの急坂があります。

ところが、文京区に入ってみると、急坂の部分では用地取得していないようで、空地がありません。

坂を登り、目白通りまで来て、日本女子大学近くの公園から道路の開通するはずの南側を上から見ると、

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道路になる雰囲気ではありません。

しかし、振り返ると、目白通りの北側には不忍通りが既に開通しており、接続するための空間も確保されています。

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ちょっと不思議なので、どうなっているのか調べてみました。

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